「もう少しで目的地だ。ほら、さっさと動け」 挟み込まれた両足でわき腹を叩かれ、リンクはノドの奥で唸る。 文句を言うべき声を持たない今の彼が不服を示すには、唸るか、さもなくば吼えるしかなかった。 リンクは今、人間ではなかったから。 平気じゃないのはたぶん俺 狼。 それが今のリンクの容。 影の領域とやらに支配された場では、普通の人間は存在していられないらしい。 あくまで『普通の人間』はだ。 リンクは活動できる代わりに、己の容を狼に変容させていた。 自分で望んでそうなった訳ではないし、理由も判らない。 それでも、動けるのは幸いなことだろう。 イリアとコリンがさらわれたのを皮切りに、トアル村は平和から切り離された。 村だけではなく、世界全体が脅威に晒されている。 何が起きているのか分からない中で、リンクは――少なくとも今は、自分の上に乗って命令をしている人物の命令を聞くしかなかった。 理由も判らないまま囚われ続けるよりは、命令を聞くという前提で表に出る。その方が有意だと思ったからだ。 あちこち移動しながら指示された方に進むうちに、大きな塔の中に入った。 今、リンクの目の前には大きな鉄扉がある。 少しだけ開かれたそこに、そろりと前足を進めた。 まさかここに、彼女がいるとは思っていなかった。 ゼルダが誰かと喋っている。 意識の端でそれを認識していたが、ベッドに横たわった体を起こすのはひどく億劫だった。 ミドナだろうか。 何度か会ったことのある彼女。 最近、彼女が何故か、仲間である影の軍団に追われていると知った。 ややあって、彼女たちの声が途切れる。 「起きられるのか?」 眼前に突然現れたミドナ。 は頷き、顔を歪めながら起き上がった。 ミドナは鼻を鳴らして笑う。 「生きてたな。これからオマエを連れ出してやるよ」 「失せものは見つかったの?」 「ああ。そこにいるだろ、ほら」 背後を見ずに示される。視線をそちらに向け、は目を瞬いた。 黒色の柔らかそうな毛を持つ、大きな生き物――狼がいた。 の驚きに呼応するかのように、見つめた先の狼が目を見開く。 「アレと一緒に脱出するからな」 「…………ピアス、つけてる」 力の入らない身体に鞭を打ち、は狼の前に座った。 じっとこちらを見つめる獣に触れる。 耳には覚えのあるピアス。の付けているそれと同じもの。 まさか、と思いながらも、獣に訊ねた。 確信があったわけではない。 常識で考えたら馬鹿げているし、人に言えば一笑に伏されるだろう。 それでもは、人語を理解できようもないはずの狼に声をかけた。 「リンク、だね?」 「………くぅん」 小さく鳴き、頷いた。やっぱりだ。 何がどうなっているのか分からないが、この獣はリンクらしい。 は狼――リンクの首にぎゅっと抱きつく。 どこを通ってきたのか、埃っぽかったりごわついていたりする毛並みを気にも留めず、ただ腕に力を込めた。 全然安心できる状況じゃないのに、気の緩みで涙が出かかる。 軽く息を吐いて気を落ち着け、リンクから手を離した。 ミドナがくるりと回り、を覗き込んでくる。 「オマエ、コイツを知ってんのか?」 「村の、大事なお隣さん。……どうして、こんな姿に?」 「話は後でな。今はここを脱出するのが先ダロ?」 「……うん」 は緩々と立ち上がる。ゼルダがクローゼットの中から外套を取り出し、彼女に渡す。 「弓はミドナが預かってくれています。――。必ず脱出して、そして幸せに暮らして」 「ゼルダ、私は」 「行くぞ!」 ミドナの声に引かれ、は口唇をかみ締めてゼルダと握手を交わし、きびすを返す。 リンクもそれに続いた。 なんとかハイラル城を脱出したリンクとだったが、影の領域を抜けてさえも、リンクの姿は狼のままだった。 ミドナは光の世界では姿をはっきりとは顕現させられないようで、リンクの影にもぐってしまった。 残されたのは、狼の自分と、少しだけ顔色のよくなっただけ。 ミドナのワープした先が泉の中だったため、の服は裾から半分ほど濡れている。 着ていたものがゼルダ姫のそれと似たドレスだったから、歩いたら纏わり付いて邪魔になるかも知れない。 『……』 愛おしむように、空気を胸いっぱいに吸う彼女の名を呼ぶ。 残念ながら、彼女には狼の鳴き声にしか聞こえていないはずだ。 けれどはこちらを向き、弱々しく微笑んだ。 「今は嘆いてる場合じゃないよね。――ゼルダの事は気になるけど、今はどうしようもない。だから……立って、歩かなくちゃ」 今にも泣きそうな顔で微笑む。 リンクはたまらず彼女の頬を舐めた。 ――人間に戻れれば彼女を慰められるのに! 全然大丈夫そうには見えないを、狼の姿で慰めることは難しく、ただ傍にいることしかできない。 『。……くそ、せめてちゃんと会話が出来ればいいのに』 すりよるリンクの頭を、の手がやわやわ撫でる。 「ごめんね、私なら本当に大丈夫だから」 「くぅ、ん」 軽く鳴いてみせたら、すすり泣きのようになってしまった。 ――違うよ。平気じゃないのはオレの方だ。君が無理をしているのを見るの、平気なんかじゃない。だから無理をしないで。 ありったけの思いを込めて、鼻先を寄せる。 ――ああ、人間に戻りたい。 2014・7・5 |