目を閉じた時、2度と目覚めることはないのだろうと思っていた。
 未だそこに肉体があり、目蓋を開く、という行為が行われた事実に驚く。
 力の入らない右腕をなんとか持ち上げ、その指先を見、
「……生きてる」
 呟いた。




痛みを伴う予感



、気がついたのね」
 何かを探るように自分の指を見つめていたは、声をかけられ、視線をそこから外した。
 失意と落胆をない交ぜにした声の主を見るため、体を起こす。
 ぐらつく頭に眉を潜め、細い息を吐く。
 目的の人物は薄闇色の外套を頭からすっぽりと被って、窓の外を眺めていた。
「ゼルダ……っけほっ……」
 呼びかけると同時に、ノドが異様に乾いていることに気づいた。
 飲むものを探して視線を彷徨わせた。
 そうして見回しながら、考える。
 ――ここは何処だろう。
 目が行ったのは、火が入った暖炉だった。
 変に寒々しく薄暗い部屋の中で、唯一、活動感の見出せるものだったからかも知れない。
 自分が今まで眠っていたであろうベッドや、備え付けられている小さなテーブルやカーペット類は、決して豪華ではないが、簡素ながらも見事なものばかり。
 ゼルダは、小さな棚から銀杯を取り出し、テーブルにあった瓶から水を注ぐ。
 手渡されたそれを受け取って、渇きを潤した。
「ありがと。ここは……どこ?」
「ハイラル城の西棟上部」
 確かそこは、非常時にのみ使われる王族の個室だったと記憶している。
 堅固な扉と長い回廊。城内に敵兵が侵入してきた際の、最後の司令塔。
 逆に、敵兵に閉じ込められるにも最適の場所。
 柔らかなベッドの端に腰掛けながら、は杯をサイドテーブルに置いた。
「……ふぅ。閉じ込められてる方、みたいだね」
「ええ」
「何がどうなったのか、教えてくれるよね」
「その前に、体の具合は大丈夫かしら?」
「凄くかったるいけど、平気。動ける」
 そう、と微笑むゼルダの笑みは常より硬い。
 やはり状況は悪いのだと無言の内に伝わってくる。
「わたくし達は、敗北しました。ハイラルは現在、影の領域と化しています」
「影の?」
「窓の外を見て」
 言われるまま、は窓辺に寄って外を見やる。
 眼下に広がる風景に目を見開いた。如何に表現したらいいのだろう。
 黄昏色に染まった景色。
 城はあちこちに争いの痕を残して、痛々しさを伝えてくる。
 空気は何かを含んでいるのか、時折、濃い色と光を放つ。それが何かは当然知らない。
 警戒するかのように、が何匹も弓で打ち落とした黒い巨鳥が、この塔や城の周囲を飛び交っている。
 それらは褒めらたものではないが、
「――綺麗」
 不謹慎にも、風景自体に関してはそう思う。
 横に立ったゼルダは、の自然な感想に苦笑を浮かべていた。
「わたくしも綺麗だと思うわ。永遠の黄昏。昼もなく夜もない。……時が止まっているかのように感じてしまうけれど」
「それは……やだな。太陽も月もないなんて」
 軽口を叩き、そうしてからゼルダの言葉に耳を傾ける。
 彼女の口から語られたのは、が気を失ってから今までの全てだった。
 自分達が置かれている状況は、悪かった。
 ハイラル城は陥落し、今やゼルダは王女という呼称を失ったに等しい。
 ゼルダが降伏を選んだことで、民は『魂のみ』の存在になった。
 命を絶たれない代わりに、真実、命ある者には触れられない存在と化した。
 少なくともハイラル城下町にいた者たちはそのはずで、けれどもゼルダは全てを知っているわけではなさそうだ。
 伝え聞かされている事のみを、彼女も口にしているようだったから。
「影の者たちは、ハイラルを拠点として世界中を影の領域にするつもりのようね」
「…………素朴な疑問なんだけど」
「なぜ貴方がここにいるか、かしら」
 は頷く。
 不思議に思って当然だろう。
 ゼルダの話によれば、彼女以外の『光側の人間』は――少なくともこのハイラル城では――魂のみになっている。
 それは民や兵士、彼女に仕えていた重鎮たち、王家の関係者に関わりなくだ。
 なのに、単なる親戚(それも末席すぎて王家に媚びを売る親だ)のがどうして存在を奪われていないのか。
 影の者が自分を生かしておく道理が、全く存在しないのに。
「ゼルダが命乞いをしてくれたとか」
「勿論それはしたわ。聞き入れられはしなかったけれど」
「……降参。教えて」
 ゼルダは微笑み、の右手に優しく触れる。
 導くようにベッドへ移動したゼルダに従い、はまたそこへ腰掛けた。
「影の領域に触れた者は誰しも、己を変化させる……人々が魂になったように。わたくしが変化しないのは、己の魔力と、神の力を宿していると云われる存在だからでしょう」
「ハイラルは神の寵愛を受けた大地、だっけ」
 かつての話ではあるものの、確かにそのように言われていたし、口伝され続けている。
 そして王族は、神々の血と力を引き継いでいると伝えられていた。
 真実、その通りなのかどうか判別方法などない。が、実際にゼルダは強力な魔法を使う。
 それは他の誰にも出来ないものであっても、彼女の手にかかれば極めて容易な程に。
 魔力で己の姿を変化させることさえ可能だと聞く。
 は見たことがないのだが。
「王家の血を引くからといって、変化しないんじゃないよね。だって」
「わたくしとあなた以外は、家計図に名が乗っていても、人の容を保持できてはいないわ」
「じゃあどうして」
 首を傾げる。ゼルダは瞳を伏せる。
 それがとても苦しそうで。
「ゼルダ?」
「……ごめんなさい。わたくしの我侭が、あなたをここに留まらせた」
 彼女は微笑む。力のない笑みだった。
「あなたに傍に居て欲しかった。だから……必要のない、深く眠っていたあなたの力を呼び起こしたの。人の容を失わないほどの力」
 は突然、右手に痛みを感じて視線を向ける。
 ゼルダに触れられいた手の甲に、今までにない変化があった。
「なにこ……っ……ぐ……っ」
 強烈な手の痺れと熱。は呻き、顔を歪める。
 熱した何かが手の上を這っていくような痛みと同時に、説明のつかない何かが体の中を駆けて行って、意味も分からず涙が零れた。
。今のあなたには力が宿っている。――必要のないもの。戦うためのもの。古の記憶にのみ残るもの。でも、もしわたくしがそれに手を加えなかったら、あなたは魂だけの存在になってしまった。――そんなことは出来なかった」
 ゼルダは手をゆっくりと離す。
 痛みは暫く残っていたが、尾を引きながらも消えて失せた。
 は己の手を凝視する。
 神殿や王族の彫像などでよく見る形が、浮き上がっていた。
 歴史書の中で、聖なる三角、と呼称されることもあるそれ。
 淡く蒼い光を放つ三角形を、は信じられない思いで見つめ続ける。
「これ、って……?」
「本当にごめんなさい……」
 何度も謝るゼルダ。
 それほどに酷いことなのだろうかと、は痛みの引いた手を軽く振る。
 少なくとも魂のみとして在るより、こうして行動できることの方がずっといいだろう。
 は微笑み、ゼルダの手をぎゅっと握った。
「謝らないで。確かにちょっと驚いてるし、状況が掴みきれてないけど……いつもと変わらないしさ」
「……いいえ。急いでここを出なければ」
「だって、私に側に居て欲しいからコレを着けたんでしょ?」
 手の甲を示しながら言うと、ゼルダは苦笑した。
「わたくしはそれを引き出しただけ。伝承に伝わる神の力とはまた別の、元々あなたに与えられた印。……確かに、あなたに側に居て欲しいわ。けれど」
 一度言葉を切り、彼女は続ける。
「影の領域に触れているだけで、あなたの体力は著しく削られていくようなのです。魔力を使うことに慣れていないせいもあるでしょう」
「居るだけで、勝手に魔力を使ってるからってこと?」
「ええ。今のままでは制御できないのでしょうね……」
 つまり垂れ流し。
 ずっと体に力が入らないのはそのせいか。
 ゼルダは口にしないが、もしこのままここに居続ければ、動けなくなるに違いない。
 己の防衛本能が裏目に出て、命の灯火を消す。
 それが何時なのかは分からないが、そう長い時間も与えられてはいない気がした。
「でも、出られないでしょ。幽閉されてるんだもん」
「……あなたが眠っている間に、影の者に知人が出来ました。その人がもしかしたら手助けを」
「影のって……まあ、向こうさんの勢力も一枚岩ではないか」
「彼女は誰かを探しているようでしたし、今はここに居ないようですが……」
 ゼルダは小さく息を吐く。
「頼んでみましょう」
 己を責めるような顔をしているゼルダ。は微笑む。
「気にしないで。だって生きてるし、動ける」
「ですが」
「大丈夫だって。それにね、ゼルダに必要とされるのは凄く嬉しいし、私に出来ることがあるならしたいと思うの。だから、力を引き出したことを後悔されると困る」
 彼女を安堵させるためではなく、本心からそう思う。
 自分にとって、ゼルダはかけがえのない友人であり、恩人だから。
 ゼルダはその瞳から涙を零し、大きく頷く。
「……ありがとう、
「こちらこそありがとう、ゼルダ」
 ――私を必要としてくれて、ありがとう。


2014・4・19