妬かれる幸せ



 リンクとイリアが一緒にいる。
 それは長年繰り返してきた、この村では普通であり普遍的な光景だ。
 丸一日一緒にいようが、丸二日一緒にいようが、彼らが築き上げてきた幼馴染という時間の中の、たったのひとコマでしかない。
 だからそれに何かの感情を差し挟むのは、余計であること甚だしいはず。
 頭では分かっていても、感情がついていかない。
 仲睦まじげに仕事をしながら笑いあう彼ら。
 その様子を遠目にしながら、はこっそりとため息を落としつつ、厩舎の横で独り寂しく作業をしているファドに声をかけた。
「ファド、お届け物だよ」
「あ、ああか。届け物って……」
 自分で頼んでおいて忘れたらしい。
 は腰のポーチから、包まれている道具を取り出し、彼に渡した。
 包みを開いたファドは、それでやっと思い出したらしい。
「そうだった、羊の刈りハサミ……悪いなあ、取りに行ってくれたのか?」
「ていうか、モイさんに渡せって頼まれたの。全くもう……毎日忙しいのも分かるけど、頼んだものを忘れちゃだめだよ?」
「わ、悪いなあ、本当に」
 がりがり後頭部を掻くファド。
 あまりに小さくなっているので、はくすくす笑った。
「私はいいけどさ。……ところでイリアとリンク、何してるの?」
 気にしなければいいのに、自分から話題を振ってしまう。
 結局のところ、視界に入ってしまったそれは無視しきれないものらしい。
 ファドは毛刈りハサミの感触を確かめつつ、「ああ」と頷く。
「トアル山羊の乳搾りと出荷が終わって、一休みってとこだろ」
「じゃあ今日は山羊乳のシチューにでもしようかな……」
 夕食のことでも考えていないと、リンクとイリアの間に割って入ってしまいそうだ。
 ――私ってヤな奴だ。
 リンクから気持ちを伝えられそうになると、逃げてしまう。
 確定的な言葉を聞いてしまったら、戻れなくなる。
 彼の、トアルでの居場所を奪ってしまう。
 それが怖くて、先延ばしにしているのはこちらなのに。
 は思い切りため息をつく。
 ファドが目を瞬いた。
「なんだ、どうしたんだ?」
「なんでもない」
 気にしない、気にしない。
 リンクの笑顔はみんなのもので、特にイリアのもので、だからこんな風に苛々するのは間違ってる。
 見るのが嫌なら、立ち去ってしまえばいいんだ。
 落ち着けばそれで問題ない。
 リンクはイリアと会話中で、こちらの様子に気づくはずなんてないし、多少気が荒れていてもきっと大丈夫だ。変に心配させることはない、と思う。
 は自分の気持ちを落ち着かせようと、右耳のピアスに指を触れさせた。
 癖になってしまっている、この行為。
 リンクがくれた綺麗な青いピアスに触れていると、気持ちが静まる。
 怒りでも不安でも。
 自分にとって、感情を凪がせてくれる大事な道具のひとつになっていた。
 だから自然に――時には無意識に――指を伸ばす。
 ファドは、今更ながらの耳朶にあるピアスに気づいたのか、
「それって、なんかリンクのに似てるな」
 しげしげと見つめて来た。
「ん、リンクに貰ったの。トアルに来てすぐだよ」
「へえ。ずっと着けてるのか?」
「そうだね……貰ってから外したことないかも」
「あのリンクがなあ……。そっちの髪飾りもリンクが?」
「髪留めの方はダークのお手製」
 へえ、とファドは目を丸くする。
「彼の彫金って高いんだろ。モイさんが唸ってたもんな」
「やっぱりダーク凄いんだね。これは彼からの貰い物だから、値段は分かんないよ」
「……お前、モテるなあ」
 それは酷い勘違いだと思う。
「そういやリンクって、イリアに贈り物とかしたことあんのかな」
 イリア、という名を耳にしただけで、自分の体がぴくりと反応するのが分かった。

 ――ああごめんイリア。私、あなたが大好きなのに!

「ファドが分からないのに、私が分かるはずないじゃない。まだ一年一緒にいないんだよ?」
 失笑しながら、は己の発した言葉に愕然とした。
 そうだよ。一年も一緒にいないんだ、まだ。
 彼を知った気になっていたけれど、そんなのはこちらの思い過ごしでしかないのかも。
 それなのに嫉妬なんて、みっともない。
 仕方ないじゃないか。リンクはみんなのリンクだ。
 牧童で、次期村長で、イリアの幼馴染で……お隣さん。
 ――普通に『お隣さん』だったら、こんな気持ちにならなかったろう。
 ぐるぐる勝手に回る思考に疲れてきたのに、それでもまだ勝手に回転を続ける頭。
 考えたくないと考えることは、既に『考えてしまっている』ということで。
 抜け出せない輪の中に放り込まれた気分のは、とにかくこの場から逃げ出そうと決意した。
 そろそろ戻る、と口に出そうとした瞬間、ぐいと腕を引かれてたたらを踏んだ。
 振り向くと、
「リンク」
 いつの間にやら、イリアと話をしていたはずのリンクが側に居た。
 彼の表情はにこやかだが、腕の引きの強さが少し強い。
「ファド、を借りていくよ」
「どうかしたの?」
「エポナとを休ませに行こう」
「別にいいけど……」
 そういうことだから、とリンクが勝手にファドに別れを告げる。
 彼に半ば引きずられるような形で牧場の外を目指しつつ、はちらりと厩舎の傍らにいるイリアに視線を投げた。
 彼女は少しだけ苦笑して、こちらに手を振る。
 も彼女に手を振り返した。
 先ほどまで考えていた事が事だったので、多少ぎこちない笑みだったかも知れない。


 エポナとを連れて森の泉へ入り、彼女たちを遊ばせてやる。
 はその様子を見ながら、イリアとリンクの間柄に嫉妬していた己に、軽い自己嫌悪を起こして項垂れていた。
 その様子にリンクが気づかないはずがなく。
「どうしたんだよ、元気ないな?」
「……内面的なものだから、大丈夫」
「俺が平気じゃない。できるなら話して欲しい」
 それは少し難しい。
 話題が思い切り彼自身のことなのだから。

 けれども、悲しそうな声色で名を呼ばれてしまうと……。
 リンクの顔を曇らせたいわけではないのに。
 深くため息を零し、は指先で土をかいた。
「…………イリアとリンク、凄く仲よさそうにしてたから、その」
 隣で驚く気配。
 どう思われるかが怖くて、顔が上げられない。
「幼馴染だし、当たり前のことで、だから……ええっと、ごめんね」
 謝ることしかできない。恥じ入るとはこのことだろうかと思いながら、はぎゅっと目を閉じる。
 ――どうか嫌われませんように。
 口にしてしまったことを後悔していると、耳朶に指が触れた。
 恐る恐る瞳を開ける。
「リンク?」
、そんなことで落ち込んでたのか?」
「そ、そんなことって。私にとっては凄く重要で――」
 眉を寄せるとは違い、リンクの表情は爽やかで。
 嫌悪どころか、むしろ嬉しくてたまらないと言わんばかり。
「なんでそんなに嬉しそうなの」
「だって、俺とイリアに妬いてくれたんだろ?」
「妬い……っ」
 それはまさにその通りで、けれどもリンクにこうして直接言葉にされると。
 先ほどまでの落ち込みはどこへやら、今は顔が熱くてたまらない。
 明らかに染まっているであろう頬。
 何を口にしていいのかさっぱり分からなくなって、はまた俯く。
「嬉しいよ。今、凄く幸せだ」
「…………そう?」
「そう。君と俺の気持ちが繋がってるって分かるからね」
 微妙な関係故に、互いがおおっぴらに互いを求めることはできない。
 否、可能ではあるのだろう。全てを塗り替える覚悟があるのならば。
「私って意気地なしだなあ……一丁前に焼もちは焼くくせに」
「いいよ、もっと焼いてくれて」
「だ、だから満面の笑みで言わないでよ……」
 ちょっと複雑な気分になりながら、はじゃれあうエポナとを眺めた。
 何も気にせずに互いを求め合える彼女らが羨ましいと、心底思う。
 いつか、心からの想いを口に出せたら。
 そうしたら、嫉妬なんてしなくなるんだろうか。
「それはまた、別の話なのかな」
 呟く。リンクは首を傾げる。
「何が?」
「んー、なんでもない!」



2013・11・4