彼女と共に在りたいと思うことは、村人の期待を裏切ることで。
 今までの自分の生活を、一変させるかも知れないことで。
 けれど、欲せずにいられない人を目の前にして、いつまで口を噤んでいられるだろう。
 彼女が誰かのものになるなんて、ちらとでも考える度、心臓が握り潰されそうになってしまうのに。



君の髪に口付けて



「なあリンク、今日はの奴はどこにいるんだ?」
 たいてい不遜――というか、大きな態度のタロは、今日も変わらず腰に手を当てて人に質問する。
 リンクは割り終えた薪をくくって、薪小屋に放り込むと、汗の浮いた額を拳で拭った。
「彼女なら、何か書くものがあるんだって、家にいるよ。邪魔しちゃ駄目だぞ」
 タロはさもつまらなそうな顔をし、足元にあった小石を蹴り飛ばした。
「どっか連れて行ってもらおうと思ったのになあ……」
「それじゃ、俺と行くか?」
「いいよ。と2人がいいんだ」
 ふんと鼻を鳴らし、タロは急に恥ずかしそうな顔をして、村の方向へと走って行った。
 リンクは軽く頭を掻き、息をつく。
 本当に、随分と気に入られたものだ。

 がハイラル城から戻って、数日が経過した。
 彼女曰く、親と喧嘩して勝手に帰ってきた――だそうだが、その後、彼女の両親から連絡はない。
 ゼルダには、の方からすぐに謝罪の手紙を出した。
 数日経てば『大丈夫』という旨の返信があるような気がする。
 ハイラル王女は、どうやらに甘いようだから。
 リンクは大きく伸びをし、背中の力を抜いた。
 軽く腕を回してから、持っていた斧を薪小屋にしまう。
 次の仕事に向かいながら――はたしては、何を書いているのだろうと考える。
「リンク! うちのお父さんが手伝って欲しいことがあるって」
「あ……え? ああ、イリア、今行くよ!」
 遠くからイリアに声をかけられ、リンクは小走りでそちらに向かった。


 夕刻になり、仕事を終えたリンクは、まだの姿を見ていないことに気付いた。
 ――もしかして、ずっと家にいるのか?
 思いながら、何の気なしに彼女の家の扉を叩いた。
?」
 中から返事があった。
 扉を開くと、窓際のテーブルで、せっせと何かを書いているがいて。
 手招きされて中リンクが部屋に入ると、彼女はぐっと身体を伸ばした。
「あー、やっとで終わったよ……」
「今までずっと書いてたのか?」
「他のこともやりながらだったけど……まあ、てこずったのは確か」
 まだ椅子に座ったままのの横に立ち、机の上に視線を移動させる。
 見る限り、彼女が書いていたものは手紙のようだった。
 内容を見たわけではない。封筒がそこにあったから、そう思っただけだ。
 きちんと封をしたその手紙の宛先を見て、リンクは思わず眉根を寄せる。
 宛先には、ダークと記されていた。
「……ダーク、さんに書いてたのか」
「うん。手紙貰ったから、その返事」
 好んで文章を書くような性格には見えないのに、律儀だよねと笑う
 急に苛立ちを覚えた自分を自覚して、リンクは軽く奥歯を噛む。
 彼に手紙を書いている間、ずっとそいつのことを考えていたはずで、それが猛烈に気に入らない。
 子供かよと己を叱咤するが、気分は元に戻ってくれやしなかった。
 ――なんだよ俺。どうしたいんだよ、を。
 背中から眺める彼女の姿が、またどこかへ消えてしまう気がして。
 リンクは知らず、を背中から抱き締めていた。
「あ、あのぉ……リンク、さん?」
 戸惑ったようなの声。
 けれど、抱き締めた側も自分の行動に戸惑っていた。
 冗談だよと笑って離れればいいのに、できない。
 触れていたい。
 ただ触れるだけでは満足しない自分に気付きながら、リンクはを抱きすくめる。
 の元婚約者のように、惚れているんだとはっきり口にできたら、どんなにいいだろう。
 だが、口にしてしまって、関係が粉々になるかも知れないことは、ひどく恐ろしかった。
 彼女はこうして触れても嫌がらないし、怖れもしない。
 少なからず好意を持ってくれているのだろうが、自分の持つそれと、乖離していたら?
 好きだと言うことも、好きかと問うことも恐ろしいのに、欲望とは正直なもので、触れたいという気持ちはどうにも抑制し難い。
「……俺のことだけ、考えてて」
 言いながら、指先での髪に触れ、引き寄せて口付ける。
 何をされているかなんて見えないはずなのに、はびくりと身体を跳ねさせた。
「リン、ク……」
。俺がもしこの村を出て行く時が来るとしたら、君は――ついてきてくれるか?」
「な、なんの話をしてるの?」
「例えば、だよ」
 もし、村長にならないのならと村に居辛くなったとして、別の場所へ行くと言ったら。
 彼女は共に歩んでくれるだろうか。
 は暫し言葉を休め、ふ、と息を吐いた。
「………きっと、ついて行くよ」
 小さな声だった。
 本心であれ、そうでなかれ、ついて行くという言葉が嬉しい。
 膨れ上がった気持ちの処理方法が見つからなくて、リンクは強くを抱き締め続ける。
……俺……っ」
 ――君が、愛しいんだ。
 どうしてなのか分からない位、愛しいし、欲しい。
 リンクはの右耳――リンクの青いピアスがつけられている耳朶に、優しくキスを落とした。
 彼女の身体がますます強張る。
 嫌がっているのかと不安になり、少し抱き締める力を弛めると、は急に横を向いた。
 顔が赤い。
「ずるいよリンク、こんなのっ……心臓爆発しちゃうよ」
「ごめん。でも俺は」
 君のことが、とても。
「俺、が好……」

 勢いに任せて告白しようとしたその途端、玄関がノック音を立てた。
 はリンクを押しのける勢いで立ち上がり、慌ててそちらへ移動する。
 照れ隠しだと分かっていても、少々の落胆は否めない。
「イ、イリア。どうしたの?」
「ちょっとお裾分けにね。あら、やっぱりリンクもここにいたのね」
 微笑むイリア。リンクは引き攣った笑いを浮かべるので精一杯だった。


 結局その日、リンクはに告白することができなかった。



2008・8・1