愛馬の背に乗り、は夜道を駆けていた。
 今朝から振り出した雨は、今日になっても止まず、早駆けをするの身体を打ち濡らしている。
 数日前、両親の突然の訪問があり、婚約者(認識では友人だ)のダークとすぐに婚姻しろとせがまれた。
 ついでにトアルの悪口つきで。
 さらに、ゼルダにもっと取り入れとかなんとか。
 準備もせず、怒りに任せて出てきたのは完全な失敗で、必要最低限の荷物こそあれ、雨風をしのぐための厚手の外套などはない。
 元々、雨が多い時期ではなかったし、油断もあった。
 これで温かい時期でなかったら、風邪でも引いただろう。
 雨を吸って重たくなった薄手の外套をそのままに、はトアルへと急いでいた。




長雨に閉ざされた空間で





 窓に顔を寄せて表を眺めていたリンクは、降り続いている雨に軽い溜息をつくと、ごろり、ベッドに転がる。
 うんざりするほど降っている訳ではないが、雨が続くと畑仕事もできないし(やったとしても、常よりも苦労する)、剣術の訓練もままならない。
 雲の流れが遅いから、少なくとも明日までは降り続きだろう。
 決して雨が嫌いだというわけではないが、天気の日よりも行動範囲が狭まる。
「あー……がいればなあ」
 彼女がいれば、少なくとも弓術の基本訓練ぐらいは教えてもらえるだろうに。
 から手紙が来たのが、もうずっと前のことのように思える。
 何気なく、再度、外を眺めた。
 先ほどまではなかったものがあって、リンクは勢いよく身体を窓際に押し付けた。
 あわてて窓を開け放つ。
!!」
 彼女は、厩に愛馬を入れながら、リンクの方に顔を向けた。
 ひらひらと手を振る彼女は、完全に濡れねずみだ。
 リンクは棚から大判のタオルを引っつかみ、表へ飛び出した。
 彼女は馬から下ろした荷を纏めているところで、飛び出してきたリンクを見て驚いたようだ。
「た、ただいま、リンク。ごめんね、起こしちゃった?」
「元々寝てないよ。それより、ずぶ濡れじゃないか!」
 の頭の上からタオルをかぶせ、わしわし拭いてやる。
 わ、とかうぷ、とか言いながら、はそれでもされるがままになっている。
 頭から足先までぐっしょりの彼女の身体は冷えていて、拭いても付け焼刃ではあるのだが。
「ああ、こんな所にいたら風邪を引くよな。俺の家においで。温まってるから」
「ごめんね。じゃあ荷物置いて、服を取って、すぐそっちに行くよ」
「いや、荷物持つから。はすぐ服を」
 それじゃあと微笑むの顔色は、悪いように思えた。
 ――戻ったらすぐに、温かいもの作ろう。
 

「悪い。ミルクしかないけど……」
「ううん、ありがとう」
 はソファに座り、木のカップを両手で包みながら、湯気の立っている液体に少しずつ口をつける。
 リンクは彼女の肩に上掛けをかけてから、彼女の隣に座った。
 隣に座る彼女は、先ほどよりもずっと温まっているようだが、まだ冷えているみたいだ。
 かといって、抱き寄せて暖めるわけにもいかず、変わりに、ずり落ちそうになっている上掛けをかけなおしてやった。
「こんな遅くに戻ってくるとは思わなかったよ。何かあったのか?」
「たいした事じゃないんだけど。久々に色々あって、頭に来ちゃったんで……勢いで出てきてしまいました」
 あははと笑うの表情には、力がない。
 貴族社会で何があったのかは、リンクには到底理解が及ばないが、少なからず、彼女にとっては苦労が多かったのだろう。
 トアルへ戻ってきてホッとして、張り詰めていたものが抜けてしまったのかも知れない。
 が戻り、けれど単純に喜べないリンクがいる。
 彼女の疲れた様子を見ると、喜びきれないというか。
 せめて自分が傍にいて、支えになってあげられていれば――なんて。
 現実には不可能で、それに自惚れでしかないことを考える。
「ねえリンク。みんなは元気?」
「え、ああ。いつも通りだよ。イリアと……特にコリンは、が早く帰って来ないかって、毎日村の入り口の方ばかり見てたけどな」
 おそらく最も村の入り口を見ていたのは自分だが、リンクはそれを口にしなかった。
 そっか、とやんわり微笑むの頬は、先ほどよりも赤みが増している。
 彼女は空になったカップをサイドテーブルに置き、はふ、と息をつく。
 まだ濡れている髪を指先で弄るに、リンクは問いかける。
。その……婚約者は、どうだった?」
 こんな事を聞くのは、失礼にあたるかも知れない。
 だが、聞かずにはいられなかった。
 彼女は戻ってきた。でもまた、すぐに出て行ってしまったら?
 例えば――そう、結婚とかで。
 自分の考えたことに苛立ち、リンクは眉を潜める。
 彼女はそれに気づかず、婚約者を脳裏に思い浮かべたのだろう、面白そうに笑った。
「それがねリンク。びっくりしたんだよ!」
「……ビックリって」
「ちょっと仏頂面で……私が言うのもなんだけど、貴族にあるまじき態度でね。うん、でも思ってたよりずっと好感持てた」
「……………ふうん」
 リンクは知らず、から視線を逸らしていた。
 ――なんだよ。行く前はあんなに否定的だったのに。
 嫉妬だと分かっていても、婚約者に苛つく。
 いや、楽しそうに話をするに、苛つくのか。
 苛立ったリンクの気持ちは、けれど次の瞬間、
「その人ねえ、リンクにそっくりだったの!」
 呆気にとられて、どこかへ消えてしまった。
 思わず言われた「そっくり」という言葉に驚き、の顔をまじまじと見つめる。
「……そっくりって、婚約者が俺に?」
「双子かと思うぐらい似てた。髪と目の色は違ったけど。だからなんか親近感沸いちゃって、すぐ仲良くなったの」
 双子と思うぐらい似ているとは、言い過ぎではないか。
 思いながらも、が婚約者に対して警戒心をほどなく解いたのは、自分にそっくりだったからだと言われて、気分が一気に浮上する。
 単純なものだと失笑を零した。
「それで、――」
「ねえリンク。貴族って、おかしいよね」
 呟くように言うの瞳には、眠気の色が浮かんでいた。
 考えてみれば疲労しているはずで、眠くなるのも当然だ。
 リンクは言葉を紡ごうとする彼女を、妨げはしない。
 眠りに逆らって、が言葉を続けているからだ。
「どうして、好きでもない人と一緒になれるのかな。政略結婚が普通だと思えるのかな。私には、ぜんぜん分からないよ」
「……俺にも分からない」
 そんなものは、分かりたくもない。
 の体はすっかりソファに預けられていて、半ば以上、眠りの世界に足を突っ込んでいる。
 自分の横で、安心しきっている彼女。
 男としては微妙な感じがしなくもない。
 完全に言葉が止まってしまったの肩を、少しだけ抱き寄せる。
 流れに逆らわない彼女の身体は、リンクに寄りかかった。
 肩口に彼女の頭が乗っかる。
 そっと頭を撫でると、が、本当に小さな声で――寝ぼけたみたいに――言葉を吐く。
「私、言わないから……が困るから……言わないからね……」
「――? 何を……?」
 返事が返ってくるとは、全く思っていなかった。
 けれど、はどこか悲しげに微笑んで。
「リンクに、すき、って、いわないの……」
 思わぬ言葉に、リンクは目を見開く。
、今のっ――」
 急いて訊ねようとしたリンクは、彼女が安らかな寝息を立てていることに気付いた。
 寝ぼけた際の、なんの意味もない言葉だったのか。
 それとも、密かな彼女の本心だったのか。
 探る術などない。
 だけれどもなんとなく、が何かに遠慮していることは間違いがない気がして。
 彼女の肩を、ぎゅっと抱き締めた。
「君が言わないなら、俺が好きだって言っちゃうからな……」
 明日晴れたら、に弓術を教えてもらおう。
 もし雨なら、一緒に話をしよう。2人きりで。
 どちらにしても彼女と一緒の選択しかない自分に気付き、リンクは後頭部を掻いた。

 ――雨は、まだ止まない。



2008・6・24