は整えられた部屋の中で、机に向かっていた。 羽ペンを持ち、つらつらと文字を綴る。 ふと手を止めて顔を上げると、見事な青空が目の前にあった。 ――トアル村の皆は、どうしているだろう。 永久保存メール さっさと会って、さっさと帰るつもりだった。 なのに、準備が整っていないだの、形式がどうのだの、しきたりがどうのだの。 結局、の『さっさと帰る』予定は、見事に崩れ去ってしまっていた。 婚約者――いや、一応元婚約者だ――と会うまで、あと数日。 堅苦しい服を着たまま、ここに縫い付けられていなければならない。 溜息をつき、羽ペンを置く。 おかしなところはないか、文面を確認して――なんだか文面が、愚痴っぽくなっている気がした。 とはいえ、今の素直な心境を書き綴っているわけで、何度書き直しても、似たようなものになるだろうことは、容易に知れる。 まあいいかと自分を納得させ、きちんと折り畳み封筒に入れ、ロウで封をした。 「さて、と。出しに行きますか……」 「、いるかしら?」 椅子から腰を上げた途端、扉がノック音を立てた。 振り向いて返事を返す。 「ゼルダ」 金色の髪が美しい女性の名を、は呼ぶ。 ゼルダ。ハイラルの姫――いや、立場は女王だ。 の親類であり、貴族を辞めたを気にかけてくれる、優しい女性。 彼女は部屋に入ると、が持っている物を見る。 「あら……手紙を出しに行く所でしたか?」 「うん。トアル村のお隣さんにね」 「お隣さんというのは……によくしてくれる、リンクという人ね」 そうだと頷き、はまた椅子に腰かけた。 今度は机ではなく、美しい装飾の施された、テーブル近くの椅子だ。 ゼルダも同じように、の向かいに座る。 タイミングよく侍女が入ってきて、そつなくお茶を淹れては退出していく。 香る紅茶に口をつけ、ひとごこちついた。 「……ごめんなさいね、わたくしのせいで窮屈な思いをさせてしまって」 「ゼルダが謝ることないじゃない。例の人に頼まれて、仕方なかったんだし」 貴族を辞めてハイラルを出たを引き戻すことに、ゼルダが乗り気でなかったことは、重々承知している。 彼女はたいていにおいての味方で、貴族というものの気質を嫌がっているを、理解していたから。 「こっちこそ謝らないと。両親、五月蝿いでしょ」 「平気よ。あなたのご両親は――こう言ってはなんだけど、典型的な貴族だもの。王家に逆らうようなことはしないわ」 親戚とはいえ、この国を動かすゼルダに口出しはできない。 いや、の両親の場合は『しない』だけだ。 下手なことを言って、印象を悪くするよりは、に関して口を噤んでいたほうが有益だと判断したのだろう。 元々、高貴であると自負して疑わない両親だけに、は納得してしまう。 「それで、『あの人』は数日中に来るんだね?」 「ええ。それまで我慢して、ドレスを着ていてね」 「……肩こりそう」 くすくす笑われる。 数ヶ月、ドレスから離れていただけだが、堅苦しくてたまらない。 常日頃これらを着ているゼルダを、軽く尊敬する。 ゼルダの瞳が細められ、の右耳に視線を向かう。 それに気付き、彼女は癖のように――ピアスに触れた。 「リンクさんからの貰い物、本当に綺麗ね」 「でしょ? お気に入りなの」 もらって以来、手入れ以外は外したことがない程だ。 ゼルダは瞳を細め、優しく微笑む。 「外しがたい?」 「あんまり外したくはないなあ。お守りみたいになってるし」 「ふふ……」 嬉しそうに笑うゼルダ。は首を傾げる。 何か面白いことがあったのかと問えば、彼女は殊更嬉しそうに、笑みを深めた。 「ええ、とても! まさかがこんなに早く人を好きになるなんて、思っていませんでした」 「…………誰が誰を好きだって?」 「が、リンクさんを」 さらりと答える親類。 は言葉を頭の中で咀嚼し、すっかり理解した後で、目を見開いた。 「ちっ……違うよ! そのっ、リンクにはイリアって言う幼馴染がいるし!!」 大手を振って否定する。 力いっぱい振りすぎて、危うく紅茶のカップをひっくり返すところだった。 いきなり何を言い出すんだゼルダ。違うよゼルダ。 否定ばかりが思考をぐるぐる回るのに、口にしたら嘘っぽいであろうことは理解済みだ。 少なからず、自分がリンクを好きなことを、はよく知っているから。 どういう類の感情かは別として。 「そうかしら。わたくしは間違っていないと思うわ。以前と比べたら、雰囲気が柔らかですし。それもリンクさんのおかげでは?」 「いや、それは貴族環境から抜け出られたせいだと……」 以前までのは、とにかく不機嫌だった。 ゼルダや一部の友人にのみ心を開き、それ以外に対しては、いっそ分かりやすいほど態度を硬直化させていた。 生まれたときから、淑女であれと強制し続けられ、大股で歩いただけで叱責される。 弓を習えば周りの者からはしたないと言われ、馬に乗れば男勝りだと言われる(望むところだが)。 食事のマナーに関しても、うんざりするほど細かい決めごとがある。 ナプキンをたたむ時は小指を上げろ、とかなんとか。 いちいちそんなことを気にして食べていたら、料理の味も半減するというものだ。 嫌悪の最もたるものは、王家親類としての力を目当てにしてくる、おべっか使いの貴族たち。 それを当然のものとしている両親も、正直、好きではない。 それに比べて、トアルは天国だ。 リンクやイリアたちと、草の上に座ってお弁当。 ――最高! 思った次の瞬間には、現実問題、今すぐトアルへ向けて出発できない自分がいて、ため息が出た。 ゼルダはくすくす笑う。 「貴族が嫌、というだけではないと思うけれど。自覚がないのかしらね?」 「ゼルダ、あんまり人で遊ばないでよ」 「あら、遊んでなんていないわ」 心外だと驚いたような態度をするゼルダ。 は軽く手を振って、苦笑いを浮かべる。 「一度、リンクさんに会ってみたいわ。きっと素敵な方ね、あなたがそんなに気にするのだもの」 「……まあ、私が気にするしないは別として、会えるものなら会わせてあげたいな」 瞳を瞑る。 脳裏にリンクが浮かんだ。 「リンクね、風と土の香りがするんだよ」 「では、と一緒ね」 ゼルダの言葉に首を傾げる。 彼女は柔らかく微笑み、の手を握った。 「あなたは風の香りがするもの」 表へ出た瞬間、ポストマンが正面に立っていて、驚いたリンクは大きく後ろに下がった。 ――し、心臓に悪いな。 向こうも、今まさに扉を叩こうとしていたようで、少なからず驚いているはずなのに、表情には全く表れないのが凄い。 ポストマンは鞄の中を引っ掻き回し、一枚の手紙をリンクにずずいと差し出した。 「リンクさんにお手紙でーす!」 「あ、ああ……どうも」 受け取りのサインをすると、ポストマンはかけ声と共に立ち去って行った。 「えーと……誰からだ……? ……!?」 差出人の署名を見て、リンクは家の中に引っ込む。 封筒の端をナイフで丁寧に切り、中身を取り出した。 「拝啓、トアル村のリンク様」 様、と付けられることが妙な感じだが、手紙だしなと勝手に納得し、読み進める。 本文の始まりは、唐突だった。 なにせ、『走りたい、外に出たい』から始まっているのだから。 ――拝啓、トアル村のリンク様。 走りたい、外に出たい! なんて書くと鳥篭の中にいるみたいだけど、実際はもう少し自由です。 窮屈なドレスを着て、運動不足になりそうなのは確かだけど。 こちらの予定としては、あと数日で例の人と顔合わせすることになりました。 終わったら即刻帰りたいと思います。 ゼルダに会えて嬉しいけど、やぱりお城は堅苦しいから。 リンクの方はどうかな。 イリアや皆に変わりがなければいいんだけど。 あともう少し、リンクのピアスを精神安定剤にして、頑張って『貴族』してるね。 追伸。とってもリンクに会いたいです。帰ったら馬乗って出かけようね! 「……とりあえず、元気みたいだな」 言いながらも、最後の一文に顔が緩む自分を抑えられない。 ――会いたいって。俺に。 口元に手をやり、二ヤつく顔を隠す。 ここで誰か人が入ってきたら、間違いなく変な奴だと思われるだろう。 でも仕方がないじゃないか。嬉しいんだから。 リンクは丁寧に手紙を折りたたみ、封筒に戻す。 本棚から最も大事にしている本を抜き取り、その中に手紙を入れる。 更に、貴重品を入れてある机の引き出しに、丁寧にしまいこんだ。 「早く帰って来いよ……」 手紙じゃなくて君が帰ってきてくれないと、俺は満足できない。 2008・5・23 |