に向かってポストマンが走ってきて、彼女に手紙を渡し、立ち去っていった。
 その場にいたリンクとイリアは、手紙を受け取った彼女の表情が、それはそれは物凄く嬉しそうだったので、軽く首を傾げた。


恋文


 先ほどまで笑顔だったの表情は、一転して暗い――というか険しくなっていた。
 イリアが入れたお茶にも手を付けず、ただ手紙の表面を眺めている。
「ねえ、一体どうしたのよ」
 うん、と頷きはするものの、まだ口に出せるほど思考が纏まっていないのか、言葉が続かない。
 実は物凄く悪い知らせだったのだろうか。
 リンクもイリアも、いよいよ不安になってきた頃になって、やっとは表情を緩ませた。
 すっかり冷めてしまった茶を口にし、肩の力を抜く。
 それと同時にリンクも、知らず力を入れていた身体を緩ませた。
「言う気になったの?」
「ごめんねイリア、リンク。心配かけちゃって……」
「それで、どうしたんだよ」
 うん、とこれまでと同じように頷き、今度は言葉を続ける。
 彼女は手紙を裏返し、差出人を示した。
 リンクはなんの気なしにそれを見て――目を見開く。
 差出人の欄に、ゼルダ、と書かれていた。
 ゼルダ。ハイラルの王女。の親戚。
 隣を見ると、イリアも目を丸くしている。
 ハイラルを治める者からの手紙が目の前にあるのが、信じられない様子だ。
 自分たちとはおそらく、一生関わらないであろう人からの物品が目の前にあるのは、不思議な感じがするものだ。
「ゼルダにお願いされちゃったんだ。――婚約者と一度会って欲しい、って」
 婚約者。
 何かがノドの奥に詰まったような気になって、リンクは軽く咳払いをする。
「なんか、私の婚約者がゼルダに直訴っていうか、懇願したんだって。手紙で」
 ゼルダからの手紙の中には、婚約者がに宛てた手紙も入っていた。
 内容を聞くのは失礼に当たるだろうと、リンクもイリアも何も言わずにいたが、表情に好奇心が浮いていたのだろう。
 掻い摘んで説明してくれた。

 は15歳の今まで、婚約者がいることを知らされてはいなかった。
 けれど、あちらは幼い頃から彼女を知っていたらしい。
 生涯の伴侶として以外を考えてはおらず、突然に婚約を破棄されたことを驚いている。
 家柄がどうというのは置いておいて、とにかく一度会って欲しいと懇願していた。
 つまり、婚約者からへの――ある種の恋文だ。
「政略結婚だって言っても、うちみたいな末端じゃなんの力もないのに。固執しなくたって……」
 息を吐き、はお茶の残りを一気に飲み干す。
 イリアが注ぎ足しながら、首を傾げる。
「でも、家柄がどう、っていうのではないって言ってるのでしょう?」
「さあ……。本心はどうかな。貴族社会はごたごたしてるからね、真実なんて翳って見えないものだよ」
 そういうものなのか。
 リンクもイリアも、貴族の領域に踏み込んだことなど一度もないから、さっぱりだが。
「どうするんだ? 会うのか?」
「――どうしたらいいかな」
 質問したら、逆に質問し返された。
 本気で困っているらしいの表情に、リンクは腕を組む。
 イリアは暫く考えた後、両の指先をあわせながら、頷いた。
「わたしなら……会わないわ。だって、変に期待を持たせてしまうかも知れないじゃない」
 相手は少なからずに好意を持っている。
 その状態で会って期待を持たせるより、手紙でお断りをする方がいいのでは、とイリアは言う。
 ただ、ゼルダ姫のお願いも蹴ることになるが。
 リンクはイリアより長い時間、考えを巡らせ――口を開いた。
「俺なら、会いに行く……と思う」
「ちょっとリンク」
 イリアから声が飛んでくるが、首を振って言葉を続けた。
「放っておいて後悔するようなことになったら、尾を引くだろ。だったら会って、ちゃんと話をつけたほうがよくないか?」
「それは……」
 イリアは言いつぐむ。
 に視線を向けると、お茶のカップの底を見つめていた。



 その日の夜。剣術の訓練をしていたリンクは、イリアと一緒に村長の家へ行っていたが戻ってきたのを見て、剣を振るのをやめた。
 彼女の瞳に、悩みの影は見えない。
、村長になんて……?」
「ゼルダの所へ行ってきます、って」
 言い、苦笑する。
「今夜発つつもり」
 ――今夜!?
「早すぎないか? 明日だって別に」
「あんまりゼルダを待たせたくないしね。リンク、悪いけどいない間、私の畑の様子、みておいてくれる?」
 それは構わない。
 ただ――本当に、まさかこんなに早く出て行くとは思わなくて、リンクは少なからず動揺していた。
 同時に、離れがたいと思っている自分に気づいて、ため息を零す。
 ――なんなんだよ俺。むちゃくちゃだ。
 自分からに、婚約者に会いに行けと後押ししたくせに。
「なあ……イリア、怒ってたか?」
「あはは……大丈夫だよ。本気でリンクに怒ってるんじゃないと思うから」
 イリアは、リンクがを遠くへやるつもりだと憤慨していた。
 と一緒に自宅へ帰るときも、
『あなたのせいで、が結婚でもしたら許さないから!』
 かなり鼻息を荒くしていた。
 彼女にとっては唯一、腹を割って話せる女友達で、絶対に手放したくない存在らしい。
「どうだかな」
「あーもう……面倒。どうせこの格好で王城まで入れないから、着替えさせられるんだろうし」
「じゃあ、俺のピアス着けてちゃ駄目だろうな。貴金属って感じじゃないしさ……」
 豪華なドレスには似合わないだろう。
 けれどは嫌そうな顔をした。
「いやだよ、絶対に外さない。これ凄く気に入ってるんだから!」
 本気で嫌がっている彼女。
 リンクはなぜだか顔が熱くなった。
 あれは『リンクのピアス』であって、『リンク』ではないのだけれど。
 自分が大事にされている気がして。
「……、聞いてもいいか」
「うん、どうぞ」
「ちゃんと、帰ってくるよな」
 もし本当にイリアの言う通り、結婚して遠くへ行ってしまったら。
 可能性はある。
 だから確認したくなった。
 戻る気があるのか、と。
 リンクの言葉は真剣そのもので、だからも変に茶化したりせず、まっすぐ彼を見返している。
 ややあって表情を緩ませ、彼女は右耳のピアスに指を触れさせた。
 その行為は、半ば癖のようになっているみたいだ。
「私は、この村に住んでるんだよ。ここが私の家」
 戻ってくるに決まっていると笑うを見て、リンクも微笑む。
 その答えだけで充分な気がした――今は。


 見送りはいらないというを、リンクは結局、家の中から見送った。
 あちらも気づいていたのだろう。
 去り際に手を振っていたのだから。
 彼女が見えなくなってから暫くして、リンクは床に入る。
 変な喪失感があった。

 ちなみに、翌朝のイリアの機嫌は、最高に悪かった。


2008・4・4