元、とはいえ、貴族であった自分が村人に受けられるには、それなりに時間というものが必要みたいだ。
 分かっていた事だろうと言い聞かせながら、は持っていた斧を振り下ろす。
 薪用の乾いた木が、すぱぁん、といい音をして真っ二つに割れた。


サラリと言わないで欲しい



「なあリンクー、あの女、まだいるのか?」
 川辺近くで畑の手伝いをしていたリンクは、いきなり声をかけられて顔を上げた。
 いつの間にやら、ガキ大将のタロが腕組みをして、側に立っている。
「今日はマロと一緒じゃないのか」
「ああ。あいつなら、なんか小難しい計算してるけど……じゃなくて! あの女のこと聞いてんの!」
 ――やれやれ。
 リンクはため息をつく。
 タロのように、直接口に出すことをする者は余りいないが、つい最近やってきたばかりの元貴族――のことを気にする輩は、とにかく多かった。
 親切心で気にしている者もいれば、あからさまに『貴族』というものに対して、警戒心を抱いている者もある。
 の何を警戒するんだと、リンクは言ってやりたいが。
 タロは警戒心旺盛なうちの筆頭で、なにかというと「あいつはまだいるのか」と聞いてくる。
 手布で汚れた指を拭き、リンクはもうひとつため息をついた。
「いるよ、もちろん。彼女はトアル村の住人になったんだ。当たり前だろう?」
「オイラは認めないぞ、あんな奴。貴族なんて、なんにも出来ないに決まってんだ」
 偏見交じりの発言。
 リンクは思わず噴出してしまった。
 怪訝な顔をするタロに、すぐに言葉をかけてやれないほど笑ってしまう。
 タロは、彼女の生活を全く知らない。
 村の殆どの人間がそうであるように。
 けれど、ご近所のリンクはよくよく知っているから。
「タロ、本当になにも出来ないか、見てみればいいさ」
「な、なんだよ……。リンクもイリアもいつの味方だから、庇ってそんなこと言うんだろ」
 味方とか、そういう問題ではないのだが。
 肩を軽くまわし、リンクは口端をあげ、タロに笑みかける。
「それじゃ、行ってみるか? 彼女のところに」


 リンクの家の隣に、の家はある。
 タロは彼女の家の屋根に目線を固定し、丸い目をさらに丸くしていた。
 また無茶してるなと思いながら、リンクは声をかける。
「おーい、ーー!」
 彼女はこちらに気づき、足場が不安定であるのに、大手を振ってきた。
「やー、リンクー! どうしたのー? 早いねーっ」
「ちょっとな! とりあえず降りてこないかー? 大声で喋り続けるのキツいんだ!!」
「はーい!」
 景気よく返事をしたの姿が、屋根の上からなくなる。
 あっとタロが声を上げた。
 彼女が落ちたと思ったのだろう。
 実際は、彼女自らが『降りた』だけの話なのだが。
 は家の横、厩の屋根の上にゆっくり降りて、そこからリンクの前に飛び降りた。
 腰に巻いていた紐を外す。また、屋根の上に上るときに使うだろう。
「ふー、お待たせ。それでどうしたの? もしかしてイリアに会いにきた?」
「イリアがいるのか」
 問うリンク。彼女はこっくり頷いた。
「お菓子作ってくれてるの。屋根の補修が終わったら、お茶しようって」
 その言葉に、タロが驚く。
「……や、屋根の補修を、おまえ、ひとりで?」
「ええと……君は……タロくんだっけ」
「なんでオイラの名前……」
 イリアに聞いたんだよと微笑む
 タロは一瞬息を詰め、ふて腐れたように横を向く。
「そ、そうかよ。……お前、補修なんてできんのかよ。女で貴族の癖に。どうせ弱くて、なんにもできねえんだろ」
 は軽く耳の後ろを掻きながら、どう言ったものかと視線を地に向け、ややあってタロを見返す。
「補修は素人だけど、大掛かりなことをしてる訳じゃないし。それから、タロくん」
「な、なんだよ」
「女だけど、もう貴族じゃないつもりだし、弓の腕ならリンクより俄然上なんだから、馬鹿にしないでね」
「ほ、本当かよリンク!?」
 リンクは肩をすくめて、本当だと返答した。
 弓をあまり使ったことがないリンクは、当然のことながら、に敵わなかった。
 彼女に遠的当てをさせると、ものすごい命中率だった。
 逆に、剣術はリンクが勝ち。
 は剣が得意ではないようだ。
「……証拠みしてよ。リンク、こいつの武器もって来てくれよな!」
「証拠って……?」
 タロはふいにの手を取ると、村の方へと彼女を連れて行こうとする。
 リンクが呼び止めると、証拠を見せてもらうんだ、の一点張り。
 仕方なく、の家の中にいるイリアにひと言かけてから、リンクもまた村へと向かった。
 愛用の弓一式を持って。

 彼女の姿は、容易に発見できた。
 タロの姿はない。
、タロは」
「あそこ」
 苦笑しながら指を示す先には、木を手に持ったタロの姿。
 彼はかなり遠くの、川の中にいくつかある、切り立った岩の上にいた。
 意味合いを察して、リンクは苦笑する。
「危ないんじゃないか? あの木を打ち抜けってのか。……ほら、弓」
「ありがとう。私も、危ないからって言ったんだけど。聞いてくれなくて」
 行動がタロらしくはある。
 やれやれと肩をすくめ、リンクは後頭部を掻いた。
 本当に危険で、がタロを傷つける可能性が少しでもあるのなら、リンクは弓を渡さなかっただろう。
 だが距離から見て、大丈夫だと彼は確信している。
 は息を吐き、すぅ、と瞳を細め、弓を構えた。
 リンクは、彼女の――なんというか覇気のある横顔を見つめ、なんとなしに自分の胸元を掴む。
 理由は分からない。
 なんとなく彼女が遠くの人に見えて、嫌だったのかも知れない。
 の手が、矢から離れる。
 まっすぐ、ブレることもなく進む矢は、タロの持っていた木をぶち抜いて、更に後ろへと飛んで行った。
 遠くのタロが、ひとりで大興奮して飛び跳ねている。
 きっと、あれで潔く彼女のことを見直すだろう。
「これでタロも、君に少しは優しくなるだろ」
「そういうものかな」
「ああ」
 暫くしてタロが戻ってきた時、少なからず彼の態度は軟化していた。
 というより、を尊敬の目で見るようになっていて。
! 今度オイラに弓を教えておくれよ!」
「え、い、いいけど」
「絶対だぞ! ……ところでさあ」
 タロの視線が、の右耳に固定される。
 かと思えばリンクの左耳に目を向け、突然、にやりと笑う。
「な、なんだよタロ」
「リンクー、お前もすみにおけないよなー。にプレゼントしたのか」
 タロは自分の耳朶をぱしぱし指先で叩く。
 リンクは出来る限り普段通りの表情を作り、なんでもない事のように頷く。
 別に、やましい事は何もない。
「邪推するなよ。隣人への、ちょっとしたお近づきの印ってやつだから」
「ふーん、本当かよ」
 ニヤニヤ笑いを止めないタロ。
 リンクは顔に手をやり、参ったなと内心で呟いた。
 確かに出会って直ぐの人間に、自分が普段身に付けている物を渡すのは、普通ではない気がする。
 かといって、ピアスを返してもらうつもりは更々ない。
 彼女が自分の持ち物を身にしてくれているのは、なんだか嬉しいことだと思えるからだ。
 ――俺、確かに……まるでに惚れてるみたいだよな。
 自分の態度を顧みてそんなことを思い、慌てて頭を振る。
 何食わぬ顔でに向き直った。
「……。イリアが待ってるんじゃないか?」
「あ、そうだね。せっかくお茶菓子作ってくれてるんだから。……タロも来る?」
 が親切にも尋ねると、タロは首を振った。
 他にすることがあるらしい。
 彼はをじっと見て、鼻を鳴らす。
「……なんにもできねえ、ってのは取り消す!」
 言うが早いか、タロは駆けて自分の家の方へと立ち去ってしまった。
 は大きく息を吸い、リンクに向かいなおる。
「それじゃ、行こうかリンク。……来るんでしょ?」
がよければ」
 いいに決まってるよと微笑む彼女。
 2、3歩先を行き、くるりと振り向いたは、少し嬉しそうに見える。
「ねえリンク、これで一歩前進かな。少しは村に受け入れてもらえるかな」
「少なくともタロには、きっと仲間として扱ってもらえるさ」
 そっかそっかと頷く
 彼女は「あっ」と声をあげ、リンクの前に立つ。
「でも、私が一番大事なのはリンクだからね。だって、リンクが私を受け入れてくれたから、頑張っていられるんだもん」
「っ……
「行こっ」
 に手を引かれながら、リンクは熱くなった自分の頬を、軽く叩いた。
 ――頼むよ。そんな嬉しいこと、さらっと言わないでくれ!




うちのヒロインは、剣より弓使いが多い。
2007・7・31