眠る少女



 その夜、ゼルダは上機嫌だった。
 近々行われる鳥乗りの儀式のため、自ら儀式で身に纏うショールの材料が、やっとで手に入ったからだ。
 ショールを彩る模様を入れ込む、鮮やかな青の糸がなかなか手に入らず、ここ何日かやきもきしていたが、これで作業が続けられる。
 一年に一度、大事な鳥乗りの儀式。その儀式で重要な役を担う、伝説の女神。
 由緒ある女神の役柄に自分がつけたことは、とてもとても幸運なことだった。
「とはいえ、少し根を詰めすぎたかしら……」
 ゼルダは目を擦り、窓から外を見やる。
 視界に広がる夜の景色。
 ショールを作るために殆ど部屋にこもりきりだったせいか、体が固まってしまった気がした。
 ――少し、お散歩して来ようかしら。
 それは、とてもいい考えのように思えた。
 手に入れたばかりの青の糸と、未完成のショールを大事そうに衣装箱へとしまい、ゼルダは静かに部屋の外へと出ていった。



 空に浮かぶ島、スカイロフト。
 ロフトバードと呼ばれる巨大な鳥と共に生きる人々の土地。
 島の北側には大きな女神像があり、人々の暮らしを見守っている。
 ゼルダもまた、女神像に見守られながら生活する女学生のひとりだ。
 校長という肩書きを持つ父はあれど、生活の基盤である寄宿舎においては、他の学生たちと同じ立場の身の上。
 本来なら夜も更けてきた頃合いに外に出るのは、あまり褒められたものではない。
 普段ならしないことをしてしまったのは、きっと、ショールの完成が近づいてきたからだ。
 早く女神の衣装を身に纏ってみたい。
 そんなことを考えていたからか、足は自然に女神の神殿前広場へと向いていた。
 広場で少しだけ足を休めて、そして帰って寝よう。
 思っていたゼルダは、広場に横たわる何かを視認し、ぎくりと足を止めた。
「っえ…っ!?」
 それは、人だった。
 広場の小さな灯りに照らされたのは、どうみても人間。
 それと認識するなり、ゼルダは慌ててその人物に駆け寄った。
「ねえ、ねえあなた、大丈夫!?」
 ぴくりとも動かないその人の顔にかかっていた髪を払ってみる。
 体つきでそうとわかっていはいたが、ゼルダと同じぐらいの少女だった。
 問題は、ゼルダがこの少女を全く見たことがないということだ。
 長い黒髪。スカイロフトでは見たことがない格好。
 薄く開かれた口唇は、浅く呼吸を繰り返している。
 どこか苦しげだが、大きなけがは見当たらない。地面にこすりつけたせいなのだろうか、頬が少し傷ついているようだが、夜の薄闇の中でははっきりとは見えなかった。
「聞こえるかしら? ねえ……」
 軽く揺すってみても、なんの反応もしない。
 どこの誰か知らないが、どうあれ彼女を放っておくわけにはいかないだろう。
 ゼルダは助けを呼ぶため、寄宿舎へと走った。
 幼なじみの彼なら、彼女を運んでもらえるはずだ、と。




 濃い金の髪をぐしゃぐしゃとかき回しながら、この部屋の主であるリンクは幼なじみのゼルダと、自分のベッドの上で眠っている見知らぬ少女を見やった。
 そろそろ寝ようかと思っていたところに、突然すごい勢いで扉を叩かれ、出てみればゼルダの姿があって。
 こちらが何かを言う前に、
『女の子が倒れているの! リンク手を貸して!』
 血相を変えて手を引かれ、従うしかなかった。
 そうして連れて行かれた女神の像の前には、確かに女の子がいた。
 状況が見えないまま、言われるままに女の子をおぶり、自分の部屋に戻ってその子を寝かせて少し経つ。
 普段、女神像から寄宿舎に入るとゼルダの部屋の方が近くていいはずなのだが、今日はそこへ通じる門が閉じていた。そのためより近いリンクの部屋に運んだ。
 浅く呼吸を繰り返している女の子は、リンクから見ても、とても安眠しているようには見えなかった。
 ぎゅっと寄せられた眉はいかにも苦し気だ。
 リンクは、桶に張った水でタオルを濡らしているゼルダに声をかけた。
「なあゼルダ。校長先生にこのこと、伝えないといけないんじゃないかな」
「ええ、そうね……そうよね。わたしったら、焦って色々なことが飛んでしまっていたみたい」
 タオルを絞り、眠る彼女の顔の汚れを落としたゼルダは、ふぅっと息を吐いた。
「父の所へいって、話をしてくるわ。リンク、彼女のことお願いね」
「うん、わかった」
 リンクに背中を向けたゼルダは、部屋を出る直前、くるりと振り向き、
「その子に変なことしちゃだめよ!」
 ぴ、っと指を突きつけた。
 何を言われているのかさっぱり分からないリンクは、けれどとりあえず頷いておく。
 ゼルダはそれを確認し、部屋を出て行った。
 ――慌ててるなぁ。無理もないか。
 思いながら、残されたリンクは眠る少女の顔を何の気なく眺める。
 肩程までの長さがある黒髪は乱れており、噛み締めたのか、それとも単純に切ったのか、口唇からは僅かに血が滲んでいた。
 頬には軽いもののように見えるとはいえ擦り傷があるし、夜だからというわけではなく、顔色はあまりよくない。
 今は掛布で隠れているが、彼女が着ている服はスカイロフトの住民のそれとは似ても似つかないものだった。
 漆黒色の髪も珍しい、というか見たことがない。
 そして、リンクの中で拭えない違和感を発しているのは??少女の耳だ。
 ――この子の耳、丸いぞ。
 スカイロフトに住む住民は、例外なく全員耳の先が尖っている。それが普通だからだ。
 けれど眠る彼女の耳は。
「……不思議な子だな」
 髪の色といい、耳といい。興味にかられ、少し触ってみたくなる。
 ちょっとだけ、と思いながら耳に指を近づけ――やめた。
 具合の悪そうな女の子相手にすることじゃない、と思ったからだ。
 リンクはがしがしと頭を掻くと、彼女の側に椅子を移動して座った。
 苦し気なのがなんだか可哀想で、幼い子供にそうするように、彼は彼女の頭をそっと撫でてやる。
 ほんの僅か、寄せられた眉が緩んだ気がした。


 ゼルダが校長を連れて駆けてきたのは、それからしばらく経ってのことだった。




2014・9・10
完全に見切り発車。そして名前変換が一度もないという…