花嫁 4





 は話を聞いた後、一人でベランダに出てみた。
 仰ぎ見る月が、やけに小さく見えてしまうのは、リィンバウムの月を、見慣れてしまったからだろう。
「……頭一杯になちゃうよなぁ…はは…」
?」
「? ああ、トウヤ…」
 声をかけてきたのは、トウヤだった。
 トリスはネスティと一緒にまだ下にいるのだろう。
「入っていいかな」
 部屋に入る許可を求める彼に、手招きすると、トウヤは部屋に入り、ベランダに出て、の横に立った。
 彼女と同じく、ベランダに体を押し付けるようにして、月を仰いだ。
「……ちっちゃいよなぁ…」
「やっぱ、そう見えちゃうよね。どっちが本当の故郷か分かんないよ、あはは」
「それって、笑い事かい?」
 くすくす笑いあう二人の間に、穏やかな空気が流れる。
 だが、の沈黙を期に、ぴたり、と穏やかさがなりを潜めた。
 トウヤは景色を見たまま、に問う。
「どうしたんだい? 悩み?」
「うん……違うような、違くないような…」
 答えになっているような、なっていないような返事。
 彼女はベランダの格子に背中を預け、座り込むと、自分の部屋の中を見た。
 電灯をつけていないので、光源は、月の光だけだ。
 部屋の全てが、懐かしいと感じてしまうのは、やはりリィンバウムに長くいたからなのだろう。
 一年やそこらで、長いのか、という話もあるが。
 無言でいる彼女と同じように、トウヤも格子を背にして座り込んだ。
「ご両親の事? それとも、自分の事かい?」
「…うーん、両方、かな」
 苦笑いを零しつつ、そう呟いた。
 まあ、自分の親が、よもやリィンバウムに関わりのある人間――しかも、片方は悪魔――だとは思っていなかっただろうし、それが原因で、自分が普通でない状況下に置かれたというのは、少々複雑な気分になる要素だろう。
 もし、自分がその立場だったら……。
 トウヤは考えようとして、止めた。
 考えた所で、無駄な事。
 本当に自分がその立場に立っているわけでもなし、下手な慰めや言葉は、かえってその人物を傷つける事もある。
 トリスやネスティは気づかなかったようだが、彼女は結構、自分の置かれた状況にダメージを受けている。
 顔に出さないだけで…。
 付き合いの長いトウヤには、彼女のちょっとした仕草や表情で、それが分かってしまうのだ。
 ……が好きだから、というのも噛んでいるだろうが。
「…母さんと父さんを、怨んだりとか、そういうのは全然ないんだけど、これからの自分の事考えると、ちょっと怖くなっちゃってさ」
「…あの悪魔達と、レイムって男の事だろう?」
「うん」
 彼らは、知っていた。
 多分――初めて会った時から。
 が 『サプレスの花嫁』 だと。
 だから、封印を施したり、執拗に力を増幅させようと、狙い続けたり…していたんだろう。
 今思えば、トリスやマグナと一緒にいるというのは、彼らにとっては一石二鳥だった事だろう。
 色々と、策謀し易かったに違いない。
、ここに残るって、選択肢もあるんだよ?」
 トウヤの唐突な一言に、思わず彼を見た。
 彼の目は真剣で、冗談を言っているようには全く見えない。
「…本気で、言ってる?」
「勿論」
 ここに、日本に残る――。
 そうすれば、リィンバウムでの事はなかったかのように暮らせる。
 召喚術で相手を吹き飛ばす事もなければ、剣を持って戦う事もなく、人を殺める事もない。
 何より、悪魔に利用される事も、つけ狙われる事もなくなる。
 だが――。
「…ダメだよトウヤ、そんな事、できない」
 は俯き、それからゆっくり、目をつぶって上を向いた。
 自分が今まで育ってきた ”日本” という地は、温かくて、懐かしくて、優しい。
 ハヤト、ナツミ、アヤ。そして、トウヤ。
 大事な友達。大事な両親だって、こっちにいる。
 でも、でも――。
 リィンバウムは、それ以外のものを与えてくれた。
 勿論、普通に生活する上では、必要がなかったものばかりだけれど。
 『生』 というものが、渦巻いている世界。
 暖かな ”日本” が、何か違うと感じていた自分。
 リィンバウムという世界が、に与えたものは、試練そのものだったかもしれない。
 たとえ辛くても、逃げ出したい程恐ろしくても、それに負けない物を持つ事ができたのは、一重にあの世界で、戦ってきたからで。
「…トウヤだって、戻るでしょ?」
「まあね」
「だったら、質問は愚問だったね」
 上を向いたまま、くすくす笑う
 迷いは、吹っ切れていた。

 そうだ。
 いつだって、戦ってきた。どこでだって。仲間と、一緒に。
 怖がる事なんか、ない。
 本当に怖いのは、自分に負けてしまう事。
 今まで倒してきた人達を、なかった事にしてしまう事。
 だから。

「…失くしたくないんだ。今の、この気持ちを」
「……僕も、そうだよ」
 トウヤはの肩に手をまわし、そっと引き寄せた。
 驚きはしたものの、嫌がりはしない。
 は目を閉じ、その暖かさに安堵感すら覚えた。
「…
「うん?」
「僕は、君を護るよ」
「……ありがと…」
 不思議と、彼の言葉を素直に受け止められた。
 トウヤは卑怯だと思いながらも、目を閉じている彼女の口唇に、そっと己のそれを触れ合わせた。
 途端に、ぱちっと目を開く
 その頬が、赤く染まる。
「あ…トウヤ…ちょ……今っ…」
「バルレルばっかりじゃ、ズルイし」
「アイツの場合は、助けてもらってるってだけで…」
 口から魔力を吸ってもらって、助けてもらってる。
 そういう認識らしい。
 そうじゃないのも、あるとは思うけど。
 『サプレスの花嫁』 として自覚し、覚醒した今となっては、そんな事はないだろう…というのが、の自認。
 が、トウヤはバルレルの気持ちに気づいているのか、クスクス笑うと、もう一度その口をふさいだ。
「んぅ……ばっ、ばかぁ!!」
「オマケ」
「何がっ」
 二人、顔を見合わせ――それから、笑い始めた。
 何だか、無意味におかしくて。


「…いい雰囲気じゃないかぁ? バルレル、負けるかもな」
「うっせえよ、アズライト」
 その様子を、上からこそりと覗き見ていたバルレルと、父親――悪魔アズライト――がいたとは、気づきもせず、二人は笑いあっていた……。





ちょっとトウヤとラヴ。ソル、ごめん(滝汗)
以後、ちょっと鈍足…になる予定。

2003・7・5

back