花嫁 2 ・宅の屋根の上に、バルレルの影があった。 この世界に来てすぐ、とある確信を得ていた彼に、の母親の説明など、無用のものだ。 皆と一緒になって、大人しく話を聞くような彼ではなかったし、彼女の母は、彼にとって微妙な心境を生む存在だったので、こうして、屋根の上で月見をしている。 「……ったくよぉ…」 誰にともなく、呟く。 不満が、彼の中に渦巻いていた。 何故、自分なのか。 何故、こうも落ち着かないのか。 が――自分自身をきちんと認識したからといって、バルレルに、何か変化が訪れる訳ではないというのに。 嫌われる訳でも、敵だと思われる可能性も、全くないだろう。 彼女の、あの性格では。 暫く月を眺め、俯いたバルレルの横に、影が落ちた。 彼は、横を見ない。 見ずとも、誰だか分かっていたからだ。 馬鹿らしいほど懐かしい、気配。 影――男は、うーん、と伸びをし、夜の空気を、胸いっぱいに吸う。 長身。 紅の長い髪を後ろで一本に縛り、頭には当然のように二本の角。 煌めく赤い瞳に、呪紋を浮かせている腕に頬。 紫色の服。 端正な面を持つ、若い男――否、悪魔は、月を見上げて、カラッとした声で言った。 「久しぶりの本来の姿ってのは、いいもんだな」 「……ケッ」 素っ気無い態度をとるバルレルに、男は苦笑いした。 「おいおい、久々の再会に、そりゃねェだろが、バルレル」 「…うっせぇなあ、あっちじゃ、アンタがいなくなって、二百年近く経ってんだ。 今更、兄貴分もクソもあるかよ…アズライト」 悪魔――アズライト――は、バルレルの横に立ったまま、彼の頭を、べしん、と叩いた。 「クハハッ! 言うようになったじゃねーか! 昔から、弟分の中では、反抗的で強かったからなァ」 アズライトは高らかに笑うと、バルレルの横に座り込んだ。 バルレルは、アズライトを見ぬまま、ブツブツと文句を言う。 「勝手にリィンバウムに降りやがって。しかも、の父親で、人間の姿保ってるなんざ、信じらんねえぜ」 はぁーっとため息をつきつつ、文句は続く。 「しかも、俺にしか分かんねぇような『禁呪』本まで書き残しやがってよ…」 「アレ見たのか。ハッ、まさか、オレだって、こんなトコに来ると思っちゃいなかったんでな。リィンバウムに骨埋めるつもりだったからよ…」 「敵のオンナに惚れて、悪魔たちにアホみてーに敵意持たれてよ…。赤眼(せきがん)の王も、困ったもんだぜ」 アズライトは、かつて、サプレスで”赤眼の王” とまで呼ばれたほどの、実力者だった。 バルレルは、彼の最盛期、いわば弟分――勿論、血の繋がりなどないが――として、彼と肩を並べていた。 ある日、アズライトは、サプレスの力を弱める者……”サプレスの花嫁” と呼ばれる人物がリィンバウムにいると知り、そこへ自ら降りていった。 勿論、その人物を亡き者にし、リィンバウムへの進攻をやりやすくするために。 もっと言えば、自分がサプレスで、強固な力を保持するために。 ……が、それから暫く行き来するうち、彼の様子が徐々にだが、確実に穏やかになっていき――ついに、サプレスを裏切った。 花嫁は、自分たちが憎むべき者。 その、”サプレスの花嫁”――自分たちの力を削ぎ、リィンバウム進攻を邪魔する者である 『ソルアリア』 という女と共に、かの地の辺境で、まるで、普通の男女のように暮らし始めたのだ。 それを、黙って見過ごす訳にはいかなかった。 サプレスでも剛の者と言われる悪魔たちが、リィンバウムへの結界障壁を越え、まずは、”花嫁の国” を滅ぼした。 神聖な場さえなければ、リィンバウムに悪魔の力が流れ込みやすくなると考えたからだったのだが、破壊し、そこに住む全ての人間を殺しても、神聖な力は止まらなかった。 次に悪魔たちは、花嫁当人を狙った。 思った通り、花嫁一人の力で、リィンバウムに流れる、四世界の力を神聖化し、調和していると悟った悪魔は、彼女を執拗に狙い、殺そうとした――。 バルレルはその場にいなかったし、行きたくもなかったので、何がどうなったのか分からないが…。 「…アズライト、あの時――戦って、勝ったんだろ?」 「まァ、大半はぶち殺してやったけどよ。ソルアリアを狙う奴もいてな」 「…逆利用……力を、利用しようっていう奴か」 ふと、レイムの事を思いだすバルレル。 あの男も、を利用しようとしている。 という事は、アズライトに牙をむいた事があるのかもしれない。 (今度こそ、とか何とか言ってたもんな) バルレルが、こっそりとそんな事を考える。 「まあ、とにかく…オレとソルアリア――花嫁の力と、悪魔の力が同時衝突して…オレたちは、ここへ飛ばされた」 「で、人間の姿で誤魔化して生きてる、ってか?」 「まァな。最近じゃ、ソルアリアの力で、悪魔としての能力なんざ、本来の姿にでもならない限り、使えやしねえ。人間として、年齢積んでるしな」 悪魔の姿になれば、それはそれとして、若いままなのだが。 それは、の母にしてもそうだ。 今の人間の姿は、偽りの姿――本当は、まだ二十代ほどの年齢でしかない。 サプレスの花嫁も、悪魔と同じく、人とは少し違う所があるようだ。 それに、普通にリィンバウム側から考えれば、二人がここ…日本へ来たのは、二百年ほど前――という事になるのだが、どうやら、移動する際の空間のねじれのようなもので、日本側では、二十年程度しか時間経過がないようである。 ねじれ方を上手く利用すれば、元の時間に――ぴったりと同じとはいかないだろうが――戻る事も可能だろう。 戻れれば、だが。 アズライトは、今更ながら、バルレルをマジマジと見た。 「…ところで、お前、何でチビィんだ?」 「……分かってるクセに、言ってやがんのかよ」 じとん、とした目を向けられ、アズライトは口の端を上げた。 ばんばんと、バルレルの背を叩く。 「ハハッ、悪ィなあ。ま、ウチの娘の誓約に縛られちゃ、さしものお前も、そんなナリよな」 「ったくよぉ…今じゃ王とまで言われるこの俺が…」 ブツブツ言うバルレルが面白いのか、アズライトは口の端を上げたままだ。 だが、ふと、真面目な顔になり、眉根を寄せた。 「…しかし、まさかがあっちに行くとはな…。これも、運命、ってやつか」 絶対に、『声』 に応ずるなと言っておいたのだが――残念ながら、引き合う力に抗う事はできなかったらしい。 は、三代目、サプレスの花嫁……そして、アズライトの、悪魔の血をも引く娘。 それゆえか、それとも ”世界” が必要としてか、リィンバウムへと召喚された。 トウヤとは違い、エルゴにではなく、四つの世界と、リィンバウムに必要とされて。 始めから、”サプレスの花嫁” として、力を尽くすために――欠けたピースを、狂った歯車を、正常にするために……。 バルレルを、アズライトと関わりの深い彼を、護衛召喚獣を呼ぶ際に召喚したのも、偶然ではあるまい。 が無意識に、選び、呼んだのだ。 自分を護ってくれる――父のような波動を持つ、悪魔を。 「…お前になら、をくれてやっても、いいかな」 「冗談こくな。あんな跳ねっ返り、ゴメンだぜ」 そう言いながらも、月に照らされるバルレルの顔は、ほんのり赤い。 「顔、赤いぞ」 「うっ…るせぇ…よ」 アズライトはケラケラ笑うと――すっと目を細め、月を仰ぐ。 「大変なのは、これからだろう? お前が、護ってやってくれよな」 「………ケッ」 月を見る、悪魔二人。 バルレルは、アズライトとは違うと思いながらも、己の心に宿っている想いを、無視する事はできなかった。 相変らずオリジナルですねー、やっとここまで来たって感は非常にあるんですが。 書き手として、ですけど…。皆さま寛大なお心でお許しを(苦) 2003・7・5 back |