花嫁 1





 静かな家で、の母はソファに座り、一冊の本を見ていた。
 父親はその横に座り、彼女の肩を優しく抱いてやり、肩までかかる長い髪を、撫でた。
「……何で、こんな事になっちまったんだろうなぁ…」
 母は、憂いを秘めた瞳で、本を見つめ続けている。
 父はその本を見て、苦笑いをこぼしながら、自分の茶色がかかった髪を、かきあげる。
 二人とも、父と母というより、まだ若い男女にしか見えない。
「……オレたちが、もっとしっかりしてれば…」
「……仕方ありませんよ。運命と血が廻り、混じりあって…もたらされた結果ですもの」
「護って、やりたかったな」
 切なげに言う父の言葉に、母はふと、微笑んだ。
「大丈夫、あの子は強い子です。それに――」
「それに?」
「……彼が、いますでしょう?」



 家に帰ってきた、トウヤ、ネスティ、トリス、バルレルは、すぐにでも母から話を――無駄だとは思いつつ、話を聞きたかったのだが、何だか上手くごまかされ、結局、皆が夕食を摂り、お風呂に入って暫くするまで、話はお預けになってしまった。

 ダンッと紅茶のカップを置き、が少々怒りつつ、母を問い詰めた。
「母さん! もうはぐらかさないで、話を――」
「分かってます。…ほら、話すから、座って」
 静かな物腰で言われてしまい、息が抜けたように、ソファに腰を下ろす。
 これから話す、という時になって、ネスティがある事に気づいた。
「…バルレルと、父君は?」
 母は紅茶をこくんと飲み、にこりと微笑んだ。
 『どこかその辺にいるでしょう』 と軽く言う。
「は、はあ…」
「で?」
 が先を促す。
 静かに、ふぅ、と息を吐き、何かを決意したような瞳で、母親はと、その仲間たちを見つめた。
「…あなた達の言いたい事は、何となく察しがつきます」
「…父さんも母さんも、驚いてない。私がトウヤと別世界にいたって言っても、ネスティやバルレルやトリスが、その世界から来たって言っても…余り、驚いてないよね」
「……」
「まるで、当然、みたいな態度してる。どうして?」
 ネスティも、口を挟んだ。
「…貴方がたは、一体……」
 すると、突然、の母は、全然全く関係ないことを話し始めた。
、昔、お話してあげたわね。覚えてる?」
 お話…と聞いて、出てきたのは、何度も何度も聞かされた――いや、正確には、せがんで聞かせてもらっていた 『お話』 の事。
「悪い王様が、お姫様を閉じ込めて、そのお姫様は、悪魔と一緒に出て行くって話しでしょ?」
 その辺にありそうな話――。
「……そんな、馬鹿な」
 ネスティが小声で呟く。
 ……これと同じような話を、彼は聞いていた。
 この世界ではなく、リィンバウムの世界で。
「ネスティ?」
 トリスが不思議そうに彼の顔を覗き込む。
、その話、覚えているか?」
「え、うん」
 頷くの変わりに、とでも言うように、の母が、優しげな声で、語って聞かせる。


 昔、ごく少ない人だけが知る、荒れ狂う水と風と大地が守る、小さな小さな国がありました。
 その小さな国に名はなく、高慢な王様が王妃様と一緒に、ごく一部の民と共に暮らしていました。
 王様の国には、たいそう綺麗なお姫様がおりました。
 お姫様は、神様に祈りを捧げ続ける役目を持っていました。
 姫に笑顔は訪れず、悲しみも怒りもありません。
 ただ、毎日毎日、同じ場所に座り続け、この小さな国と、その外の大きな世界を、邪悪な力から守っていました。
 ある日、王様がお姫様に、こう言いました。
「お前の力を継ぐ者が必要だ。子供を作らなければいけない」
 お姫様は王様が好きではありません。
 口答えの代わりに、首を横に振りますが、王様は許してはくれませんでした。
 その日の夜、姫が悲しみにくれた心で夜空に輝く星を見上げると、一つの影が降りてきました。
 影は、いつの間にか人の形をとり、お姫様の近くにあります。
 翼があり、目は赤く、角がありました。
 お姫様は、静かに聞きます。
「貴方は、悪魔ですか?」
「その通りです、お姫様」
 お姫様は、聖なる人物です。
 悪魔と仲むつまじくするわけにはいきません。
 悪魔は、姫には触れられませんでした。
 なぜならば、姫の周りには、邪悪を退ける『力』が働いていたからです。
 その日から、悪魔は姫に寄れる限りの場所に座り、たわいのない会話を楽しみました。
 毎日毎日やってくる悪魔に、お姫様は親近感を抱くようになりました。
 そして、いつしか二人は心を通わせ、お姫様は、神殿の外に出たいと思い始めました。
 でも、それは決して許される事ではありません。
 お姫様が神殿を守らなくなれば、世界のバランスが崩れてしまうかもしれないのです。
 顔に出さず悩む姫の下へ、今宵も悪魔がやってきました。
「お姫様、わたしは、あなたを連れて外に出たい」
「でも、許されない事です」
 姫はそう言いましたが、悪魔は譲りませんでした。
「あなたと一緒に、外の世界で暮らしたい。あなたが、『はい』と言ってくれれば、わたしはあなたをお連れします」
 姫は、悩みました。
 『はい』と言えば、閉じ込められているような生活から逃げ出せます。
 『いいえ』と言えば、悪魔は二度と現れないかもしれませんが、苦労のない平穏が待っています。
「どうか、その場所から勇気を持って、手を伸ばしてください」
 お姫様は悩んだ末に、ゆっくりと手を伸ばし、悪魔の手を握り締めました。
 姫には、悪魔が自分を助けに来てくれた、王子に見えます。
 そうしてお姫様は、それまでの自分の名前をそこに置いて、悪魔と共に、外の世界へと旅立ってゆきました。


 母は、話し終えると、ネスティを見た。
 彼は小さく、口唇を震わせている。
 間違っていなかったのだ。
 自分の考えは――自分が、について調べた事は――。

 よく分かっていないは、何となしに、懐かしさを感じて微笑んだ。
「懐かしいなぁ…。その話した後、母さんも父さんも、怖がらせるためかなんか知らないけど、『決して、声に応えるな』 って言ってた…」
 その声が何なのか、幼いには分からなかったけれど。
 母が、優しく微笑んだまま、言う。
「…そう、そのお話こそが、私達が驚かない理由……」
「で、では…貴方は……」
 ネスティは、今までの調べから、既に一つの答えを導き出していた。
 それに同意するように、母は頷く。

「私の本当の名前は、ソルアリア。
かつて、リィンバウムで、サプレスの花嫁と呼ばれていた女です」







何も言うまい。さくっと次へGO。

2003・7・5

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