紫の解放 3 その日、トウヤとソルは、ギブソン・ミモザ邸の裏手にある研究室を借り、その床に、にかかった<呪い>を外すための魔法円を、朝からこもりっきりで書いていた。 魔方円――魔方陣とも言うが、大掛かりな召喚を行う場合等、なにかしらの大きな魔力磁場を発生させる場合に、使われる事が多い。 たった一文字のつづりの間違いや、文字が少々こすれていたというだけでも、書き手の意図しない効力を現す事がある。 それゆえ、酷く慎重に書かなくてはならない。 今回書いているのは、大きさとしては中型程度のものだが、中に組み込まれている文字が、上級者でも難しいために、やたらと時間をとられていた。 「……よし」 カツン、と音を立て、ソルは白いチョークのような物を、地面から離す。 魔法円を書くには、専用の書き道具が必要になるが、これはソルが持って来た物でまかなった。 チョークのように見えるが、実の所、それは魔道具である。 ソルとトウヤが出来上がった魔法円にチェックを要れ、小さく息をついた。 「トウヤ、を呼んで来よう」 二人に呼び出されたは、まだ、少々ギクシャク気味のバルレルと一緒にやって来た。 バルレルは部屋の端に座り、様子を伺う事に決め、はトウヤに導かれて、魔法円の中央に進み出る。 丁度、円の真ん中に立たせると、彼は 「大丈夫だから」 と、優しげに微笑み、そっと手を握ってから、ソルの位置と真逆の方向――円の端に立った。 円の中のを挟むように、トウヤとソルが立つ。 「じゃあ、始めるぞ」 ソルが、静かに言う。 彼女は迷いもせずに、頷いた。 「お願い」 「我、汝が流れを阻む者」 ソルの口から、低い音で呪文が呟かれると、を囲む円の一番外枠が、紫色の光を放ち、ぼぅっとしたそれを保っている。 次いで、トウヤが言葉を放つ。 「我、汝が棘を抜き去る者」 目もくらむばかりの閃光と共に、二つ目の枠が輝く。 トウヤとソルが次々に言葉を発し、残る最後の文字一つまで、全てに紫色の光が灯った。 二人の声が、重なる。 「「汝に眠る邪悪な枷を解き放つ」」 の真下に淡い紫色の光が灯り、彼女の体を包み込んだ。 バルレルは真剣な目で、それを見続けている。 「「四界王、エルゴの名の下に」」 魔法円から強烈な光が発せられ、は思わず目をつむる。 なにかが、体の中で暴れているような感覚――。 苦しくはないけれど、モヤモヤして気持ち悪い。 吐き出したくなる。 突然、の体から力が抜け、その場に膝をついてしまった。 トウヤもソルも、円を制御しようと必死で、少したりとも力を抜けず、駆け寄りたくても駆け寄れない。 もしここで、魔法円の力を拡散させてしまえば、行き所のなくなった<力>が、自身に降りかかるとも限らない。 最悪、この場所を破壊してしまうかもしれない。 「っくそ……トウヤ…こんな……!」 ソルがうめく。 トウヤも必死で力のバランスを保ちながら、唇を震わせた。 「サプレスの力が……溢れる……っ!?」 「…こうなると思ったんだよ…!」 バルレルが紫色の閃光と格闘しているソルとトウヤ、そして、中央で膝をついているに視線を向け、舌打ちした。 だが、これは必要な事。 『呪い』 を解放しなければ、彼女の体は――いずれ耐え切れなくなる。 だが……バルレルにしても予想外なほど、トウヤとソルにとっては全くの憶測外な、『サプレスの力の流出』に、以外の者達は、泡を喰らった状態になった。 その頃、魔法円の中央で膝をついているは、自らの体の異変に気づいていた。 右手から、例の――紫色の蔦が、地面の魔方円に吸い出され、消えていっている。 の体から、抜けて出て行っているように見受けられた。 だが、彼女の体に未練があるかのように、 時折、蔦はドクドクと脈動しながら、それでも強力な魔法円の力に引きずられるように、次第に姿を消していった。 の手から、最後の蔦が抜かれた。 ―――瞬間。 「っ…!!」 ソルが、魔法円――いや、から発生した、大量の力に吹っ飛ばされ、トウヤも同じように、踏ん張りきれず、風圧に吹き飛ばされた。 研究室の中を、得体の知れない風が飛び回る。 バルレルは再度舌打ちし、魔法円の中央にうずくまっているを見やった。 「くそっ…だから止めろって言ったんだよ!!」 「やだ! 止まって……止まれ!!!」 は自分の体を抱きしめ、必死に<なにか>を抑えている。 分かったのだ。 自分が――自分の体から、力が流れ出ている事が。 召喚獣を誓約する為に使う力の、何十倍もの勢いで、己の体から、悪しき気配が抜けていくのが。 どんなに止めようとしても、自身にはどうしようもない。 トウヤもソルも、事を止められない。 力は、強風のように研究室中にまとわりついていた。 は次第に、疲れてきた。 酷く眠くなってきて。 誰かが、『このまま眠ってしまえ』 と、遠くで囁いている気がした。 その誰かは、酷く優しい声で……そして、知っている声だ。 吟遊詩人の、あの人の声だ。 「おい! しっかりしろ!! トウヤ、ソル、呪文は続けてやがれ!!」 バルレルは渦巻く力の中心――に向かって、ゆっくり歩き始めた。 強風が吹き荒れているにもかかわらず、彼はさほどスピードを落とさずに歩いている。 トウヤもソルも、力に気圧されて膝をついてはいるものの、バルレルに言われた通りに、封じの呪文を続けはじめた。 「バ、ル……」 バルレルはに近寄ると、彼女の前にかがみ込んだ。 驚いた事に、彼女の足には例の紫の蔦が、動かせまいとしているかのようにまとわりついている。 意識が混濁しているらしいの頬を、ぱぁんと一発はたくと、少しだけ、目に力が宿った。 「意識を手放すな! 問題がデカくなる!」 「う、ん……」 トウヤとソルの<呪文>の続く中、バルレルは、の力の殆ど入っていない体を正面から抱きしめ、目を閉じて――覚悟を決める。 「、俺に力を送り込むんだ。出来るな!」 「力を送るって…?」 「前みたいに俺が吸いきれる量を越えてやがる。だから、お前が、自分で、力を俺に叩きつけろ。頭で考えるな。出来るはずだ!」 バルレルの声が、響く。 は――バルレルの温かい背中にゆっくり手を回し……抱きしめた。 力を送る? どうやって? バルレルは 『頭で考えるな』 と言った。 『出来るはずだ』 とも。 力を集めて――送り込む。 それだけ。 バルレルの背中に回されていた手が、本人の意思とは関係なく――動いた。 両の手を開き、すぅ、と口から息を吸うと、それに呼応したように、研究室を暴れまわっていた風がピタリと止み、一つの方向に向かってゆっくり流れ始めた。 の、手に向かって。 暴れていた風は、手に集まるにつれ、紫色の球体の形をとり、それは右と左に一つずつ――。 球体の周りには、ルーン文字を繋げたようなリングが、ふわふわと浮きながら、ゆっくり回転している。 風は――すっかり収まり、彼女自身から発生している<力>も、静かになっていた。 「、俺に、力を送れ」 バルレルが優しく言う。 は―――なぜか、この球体が彼を苦しめると知っていた。 頭の隅で、『送っちゃいけない』 と叫ぶ自分。 でも、手の方は――バルレルの言葉通り、動く。 は、球体がそこにないかのように、ゆっくりとバルレルを抱きしめた。 紫色をしたそれは、なんの躊躇もなく、バルレルの体に消えていく。 ビクリと、彼の体が震えた。 激痛が彼の体の中を走り回るが、の体を抱きしめ、必死で耐える。 手にはじっとりと汗をかき、眉根は寄せられ、歯を食いしばって、体を暴れる 『力』 を、必死で慣らす。 どれ程の時間が経っただろうか。 バルレルの震えが止まった。 の右手――今まで呪いの紋様があったその場所に、小さな長めの六角形が三つ、浮き上がる。 彼女は、バルレルが苦しまなくなったのを、ぼやけきった頭の隅で認識し、そのまま――――眠りに落ちた。 目覚めた時、トウヤ、ソル、バルレルが側にいた。 彼らは一様に疲れており、イスに力なくもたれかかり、眠っている。 ただ一人、バルレルだけは――眠ってはいなかったけれど。 「……気がついたかよ」 「うん……」 窓の外を見ると、既に太陽は完全に沈んでいた。 闇の世界が、広がるばかり。 バルレルはの側によると、彼女の眠っているベッドに腰掛けた。 「呪いの方は、きっちり解けた」 「……そっか、迷惑かけて、ごめん」 「………別に」 ふい、と横を向く。 は微笑みながら、己の右手の甲を見て……青くなった。 印が、ある。 紫色の、細長い小さな六角形が三つ――手の甲に浮き出ている。 「な、なんでまた、手に…紋章みたいなのが…」 「そいつなら、心配ない。単なる印だ」 「なにか知ってるの?」 がバルレルの顔を覗き込む。 だが、彼は少し考えた後――首を横に振った。 知らない、というよりは、今は必要がない、という意味で。 「……とにかく、メシ食って、寝ろ。トウヤとソルは、メシ食ってずっとお前を看病してた」 「バルレルは?」 「………俺のことはいーんだよ。テメェの事を一番に考えろ」 「はぁい」 まだ疲れのたまっている体を動かし、は広間へと向かって行った。 聞きたいことはあったが、バルレルが答えてくれるとは思わなかったし、もし、知らされるべきものであれば――いずれ、分かるはず。 は、右手の印が嫌な感じのしないものだったから、そう考える事にした。 バルレルはベッドに腰掛けたまま、窓の外を見ていた。 「…俺はどうすればいいんだろうな…」 印の意味。 それを知る人間は、どの位いるのだろう。 彼女は、いつ知るのだろう。 自分の存在の重さに。 意味深全開なバルレルは相変らずです。進み方滅茶苦茶で、 これはホントにサモンかと自分に問いたい。 ……あいも変わらずスミマセン…お付き合いくださってる方に多大な感謝を; 2003・2・5 back |