イスラ


 沈んでるみたいだね。
 そう声をかけられた瞬間、はその場から立ち上がり、飛び退っていた。
 彼はやたらと人のいい笑みを浮かべて、何食わぬ顔をしてその場に立っていた。
 は暫く警戒していたけれど、それも何だかアホらしく、肩の力を抜く。
 もし彼が何かをしようとしているのなら、声をかける前にしているはずだからだ。
 今後に何か策略がないとも限らないが、目の前に脅威がないのに常に肩肘を張っているのは労力の消費以外の何物でもない。
 慎重なウィルあたりには怒られそうな行動だ。
 とりあえず座らないままでいる事にし、声をかける。
「何か用件? ――イスラ」
 イスラは肩をすくめる。
「心配したんだよ? てっきり先生にやられちゃったかと思ってさあ。生きてたみたいだね」
 瞳を覗き込んでくるイスラに、は少しだけ腰を引いた。
 ある程度警戒してしまうのは仕方のない事だろう。
「――ふぅん、僕の呪縛からも、オルドレイクの呪力からも逃れたんだ。興味深いね、あれから何があったんだい?」
 あれから。
 イスラが弱りきったオルドレイクから更なる呪縛をかけ、を自分の思うままにし、レックスを――仲間を攻撃させてから。
「まあ、色々と衝撃的な事があってね」
 自嘲気味に言い、
「ところで用件は?」
 何の事もないように問いかける。
 イスラは腕を組んでうーんと唸った。
「もう一度掌握したかったんだけど。……こんなにスッキリされてるんじゃ、もう駄目だな。君は簡単に暗示にかかる域ではなくなっちゃったしな、残念」
「……まあいいや。ケンカする気がないなら、少し休んでけば」
「僕は敵だよ?」
「細かい事にこだわるな若人」
 も充分若人なのだけれど、という突っ込みはどこからも入らなかった。


 とイスラは一定の間を取って座り、ただまっすぐに海側を見つめていた。
 互いの顔を見ないでいるだけで、少なくともイスラは気を落ち着けているように思えた。
 潮風が2人を過ぎていく。
 太陽は夕陽と名を変え、濃い橙色を世界に落としていく頃合い。
「寒くない?」
 イスラに問われ、は頷いた。
「私は平気だけどね。なんせ、旅してれば野宿だってちらほらある訳で」
「旅か……」
 彼は潮風を思い切り吸い込み、ゆるりと吐いた。
 そうする事で、自分を落ち着けさせているように見えた。
「僕の体はね、病魔に侵されてるんだ。だから君みたいに旅をしたくてもできないんだよ。……羨ましいな」
「ビョウマ? それって病気って事だよね」
「普通の病気じゃない。生まれた時から生と死の境の住人さ。いつ死んだっておかしくないんだ」
 イスラは訥々と吐き出す。
「無色のお偉い様がね……呪いをかけたんだよ。僕の父は召喚術による破壊活動を取り締まる役目を担ってた」
 なるほど、それで矛先が――彼の父親ではなく、家族に向いたのだ。
 は苛立たしげに息を吐いた。
「無色のやりそうな事よね。より弱い者を甚振るのが信条というか。……でも、元気そうに見えるけど」
「剣の力を忘れたのかい?」
「あー……そっか」
 高度な知識、飛びぬけた身体能力、不老染みた命。
 それらは剣を得た適格者に与えられる恩恵である。
「呪いの力から逃れたかった僕にとって、剣の力は生きる糧なんだ」
「ちょっと待って。あんた、無色が憎いんじゃないの? なのに無色に加担して」
「今は裏切ってるけど?」
 そういう問題ではなしに。
「あんたさ……何がしたいの」
 が問うと、彼は押し黙った。
 考えているのだと目線で分かる。
「イスラはさ、無色に呪われてる。だから自分を解き放ってもらうために、無色にある剣を利用したんだよね」
 答えはない。
「でもさ、今はもう剣を手に入れたんだから、いいんじゃないの? 無理してレックスたちの敵に回る事だってないんだと思うけど」
「無理なんかしてない。僕はお前らみたいな甘い奴らが嫌いなだけだ!」
「……まあ、そういう事にしといてあげてもいいけど」
 剣を手に入れるために無色へ入った。
 手に入れたから無色を離脱した。
 現在は、感情に任せて嫌いな人を手にかけようとしている。
 そもそも、『嫌いだから敵に回ってる』という。これがおかしい。
 無色へ入るのに物凄い苦労をしたはず。
 用意周到に自分を押し隠し、理由をつけ、仲間と認められなければならない。
 ――そして、最重要機密の紅の暴君を手にする。
 憎しみがちらりとでも顔に出ようものなら、彼の計画は一瞬にして瓦解したはずだ。
 オルドレイクはこの島に入るためにイスラを斥候にした。
 それだって、信用がなければできない。
 全て計算し、ひたすらに無色へ尽くしているというイメージを与えなければ、あの団 体の上位に取り入る事ができない。
 そういう計算高い人間が、たかだか『甘い奴らが嫌い』だけで行動を起こすのだろうか?
「……紅の暴君と碧の賢帝、かぁ」
 剣を持てばゆるぎない力が手に入る。
 だが――にはこれこそ呪いのような気がしてならない。
「激しい力は余計なものを背負い込みやすいんだよね……望む望まないに関わらず」
「サプレスの花嫁、だったっけ」
「逃げる事は多分可能なんだよね、私の場合。でもさ、逃げちゃったら、後悔するだろうなーってのも分かってるから、逃げられないんだよなぁって」
「僕は剣の力を欲してた。だからこれでいい」
「そうかなぁ。イスラが欲しかったのは平穏で、剣の力じゃなかったんじゃない?」
 彼の顔が歪む。
 痛いところを突かれたという感じだったが、一瞬のうちに嘲笑の中に消えてしまった。
「馬鹿じゃないのかお前。そういうお前はどうなんだよ」
「私は……まあ確かに平穏だけってのは面白くないかもね。でもまあ、血の半分が悪魔だって事を考えれば、存在が平穏じゃないっつーか」
「……血の半分が悪魔?」
 言ってなかったっけ、ときょとんとしつつ、は軽く笑った。
「そ。私の母さんは人間だけど、父親はサプレスの悪魔。普段的に悪魔化してた訳じゃないからさ、別にどうでもいいんだけど」
 どうでもいいのかという目をイスラが向けてくるが、軽く無視した。
「あんた、どうしたいんだ」
「私はね、護れればそれでいいかなって思ってる」
 何を、とはは言わなかったし、またイスラも聞かなかった。
 聞かれない事がありがたかった。
「――悪夢を回避できれば、それでいい」



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かなりすっきり終わっちゃいました…;あれぇ…;;
が、頑張らなくちゃ!(滝汗)
2005・10・28
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