砕け、揺らぐ 1




「そんな……お止め下さい! 彼女はもうボロボロの状態です!!」
 叫ぶレイエルをオルドレイクは一笑に伏した。
「だからこそだ。呪薬で、あの娘の身を護る術は殆ど失われていると言っていい。……今なら叩ける」
「ですが……」
 オルドレイクは酷く楽しそうに口の端を上げると、大振りの椅子の肘掛に体をもたれかけさせた。
 ツェリーヌが彼に向かって言う。
「それでは、今日……?」
「ああそうだ。イスラが裏切った今、あの娘は戦力になる」
 痛みを無視して、彼はクツクツと笑い自身の顎を撫でた。
 本当に楽しそうなオルドレイクに、レイエルは唇を噛み締めて服の裾をぎゅっと握る。
 ――これで、本当にいいのだろうか。
 力を尊敬してこの世界に身体ごと浸かったけれど、こんな風にあの女性を痛めつけるのは、本意ではない。
 己が命令に従い、呪薬を飲ませていた。
 それは今更な話で、どう謝罪しても許してはもらえないだろう。
 しかし――。
 レイエルは力を込めた瞳をオルドレイクに向けた。
「……何だレイエル」
「いえ。最後の調整役、私にお任せ願えませんでしょうか」
「……ほう。お前はあの娘を気に入っているのだろう。どういう風の吹き回しだ」
 オルドレイクの眼光に怯みもせず、レイエルは彼をじっと見、口を開く。
「気に入っているからこそです。……最後は私がきちんとしたいんです」
「ふむ……よかろう。ただし、調整だけだ。後は我がやる」
「ありがとうございます」
 深々と礼をし、レイエルは部屋を出た。
 ツェリーヌが少々険を寄せ、オルドレイクを見やる。
「あなた、あの子供に任せて平気でしょうか」
「なに……しくじったなら消せばよいだけの話。代わりはいくらでもいる」
「……良しなに」
 オルドレイクはこれからのことに思いを馳せて――小さく笑った。
 きっといいものが見られるだろう、と。


 は暗い場所にいた。
 光源がなく、地面と天の境目など見えやしない場所。
 墨で塗りつぶしたみたいな――闇の世界。
 音が全くしないというのに、耳が痛くならないのはおかしなものだ。
 彼女はあちこちに目線を彷徨わせるが、黒以外のものは全く見えない。
 ついにおかしくなったのかと、半ば自嘲気味に笑んだ。

 ぱき。

「……何の音?」
 暗い世界に突然、何かのひび割れたような音が聞こえてきた。
 ふと気配を感じて後ろを振り向けば――
「……シャルトス……!?」
 碧の賢帝と呼ばれる剣が、そこに刀身を光らせて浮かんでいた。
 どうしてレックスが持っているはずの物が、こんな所に浮かんでいるのか。
 側に近寄ろうと足を動かすが、いくら歩いても――走っても一向に近づかない。
 見えているのに、手に取れない。
 距離は何をしても縮まらなさそうだ。
「なんなの……?」
 おかしな世界だとため息をついた瞬間に、またあの音が聞こえてきた。

 ぱき。

「??」
 よくよくシャルトスを見ると……ヒビが入っている。
 背筋が意味もなくゾクリとした。
「や、やめて……」
 自身にもよく分からないままに、声を出していた。
 なにを止めろなのか。
 なにが起こるのか。
 ――本当は、知っているからだろう。

 ぱき、ん。

「だめ……!!」

 手を伸ばしても、走っても――シャルトスに近づけない。
 ひび割れは今や目を凝らさずとも分かるほどに、酷い形になっている。
 損傷激しく、剣としてはもう意味を生さないのではないだろうかと思えるほどに。
 ふわり、とシャルトスの回りに赤い光が廻る。
 一筋の線のようになった赤い光は、どこかで見たことがあった。
 ――己の意識に割り込みを欠けてくる、赤い色。
 いい物じゃない。
 そうと理解した瞬間、赤い光はシャルトスを締め上げ――
「やめてーー!!」

 きらきらと、破片が闇の中に落ちていく。
 崩れ落ちたシャルトスは、溶けて、消えていった。


「っ!!」
 身体が軋んで悲鳴を上げるのを無視して、は思わず起き上がっていた。
 思考が混乱している。
 背中を伝う冷えた感覚に、こちらが現実なのだと理解できた。
 ベッドの上にいる自分が妙に空々しい。
「……あれは、夢……?」
 変な夢。怖い夢。
 ……そう、凄く怖い夢だった。
 シャルトスが折れる夢なんて……。
 手の甲で汗を拭い、大きくため息をつく。
 外を見ればもう既に夜に近く、無色の船に来てから意識がハッキリしないことが多いからか、体内時計が滅茶苦茶になっている気がする。
 サイドボードにおいてある水を口に含み、咽喉に流し込んだところでレイエルが部屋に入ってきた。
「レイエル? ……どうしたのそれ」
 彼女は荷物を手にしていた。
 その荷物は…陸に置いてきたとされていたはずの、の物で。
 彼女が、戦場からこっそりと持ち込んでくれていたらしいことが分かった。
 レイエルはに近寄ると、その荷物を渡した。
様、これを持って逃げてください。オルドレイク様は今日、あなた様を追い込む気です。今ならまだ逃げられます……だから」
「ちょ、ちょっと待って。どういう……」
「すみません……意識を弱らせる薬を飲ませていたのは私なんです。償いとは言いません、でも、逃げてください! これ以上あなたはここにいたら……」
 泣きそうになりながら必死に訴えるレイエル。
 はそんな彼女をじっと見つめ――首を横に振った。
「ダメ。そんなことできない」
「ど、どうしてですか!」
「あなたが危険だから。……レイエル、絶対に機会を見つけて派閥から抜けて、お願い。あなたは優しい。こんなところ似合わないよ」
 小さく笑いかけるに、彼女は大きく頷いた。
「分かりました、だから!」
「……私なら大丈夫。何かをするためにここに来たんでしょ? 平気だから……やって」
 平気なはずはない。
 今は割合普通に話をしているが、本当のところはもうボロボロなはずなのだ。
 それでも人を気遣うに、レイエルは俯く。
 ――手には、呪薬が握られていた。
 彼女が逃げてくれなければ、これを飲ませるしかない。
 悩むレイエルには再度言う。
「平気だから」
「……分かり、ました……」
 意を決し、呪薬を彼女に見せる。
 手の平に小さな丸型の薬がちょこんと乗っていた。
「これは今までのものと違って、一時的にですが激しく魔力抵抗をなくすものです。それでも……」
「貸して」
 レイエルから半ば奪い取るようにして、薬を飲む。
 水も一緒に飲んで――息を吐いた。
 まだ変化はない。
 いや、変化があったとしても当人には認識できないようなものなのかも知れないが。
「ご苦労だった」
 レイエルとがはっとする。
 いつの間にか、ウィゼルが入り口に立っていた。
 もしかしなくても、レイエルが荷物を勝手に持ってきたことに気づいているだろう。
 あとじさる彼女を、ウィゼルは無表情に見つめた。
「お前のことを報告したりしない。そこの娘を素直に渡してくれれば、それでいい」
「……でも」
 俯くレイエルに『大丈夫』と笑いかけ、は立ち上がった。
 不思議と、しゃんとしていられた。
「ありがとう……あなたがいてくれて、よかった」


 ウィゼルにつれられ、はオルドレイクの前まで来た。
 何やら負傷しているようだが、そんな事どうだっていい。
 憎い相手を目の前にしているにしても、気持ちの昂ぶり方が尋常じゃないということにはとっくに気づいていた。
 呪薬、とやらのせいだろう。
 それとハイネルが言っていた、ディエルゴとやらの力――。
 オルドレイクはツェリーヌを側に寄せ、何やら耳打ちする。
「分かりました」
 ツェリーヌはの目の前まで来ると――突然指を額に当てた。
「!!?」
 一瞬、体が強張る。
 ――動けない。
 ツェリーヌの後からオルドレイクが歩いて側に来た。
 傷が深そうな彼に向かって、はなけなしの力で笑う。
「あはは……っ……いい姿してるじゃない……」
「ふん。イスラの小僧が裏切りおったからな……」
 イスラが裏切った?
 無色の力を一時的に利用していた――だけなのだろうか。
 ツェリーヌがあてる指からの魔力波が邪魔して、上手く考えがまとまらない。
 オルドレイクは鼻を鳴らし、を見据えた。
「イスラの小僧はキルスレスを持って、ちと自信過剰になっておる……まあ、あやつの処分は苦労もすまい」
「イスラがキルスレス……紅の暴君の持ち主!?」
「何だ、知らなかったのか。あやつは紅の暴君の適格者……碧の賢帝が砕け散った今となっては、唯一の抜剣者だ」
「――なに?」
 今、何て言った!?
 驚愕するに、オルドレイクはニヤリと笑いかける。
「そうか……言っていなかったな。シャルトスはイスラのキルスレスによって砕かれた……」

 見た夢が鮮明に頭の中に浮かぶ。
 折れた剣。
 散った、それ。
 あれは――ただの夢などではないのでは――。

 衝撃を受けているの胸に、オルドレイクが手を当てる。
 触れられた部分から、身体の力が抜けていく。

 オルドレイクは酷く厭らしげな笑いを零し――に言葉をかけた。
 束縛という名の言葉を。

「お前は我に掌握されるのだ……我のために」

 力を。



そろそろ暗い部分も終盤近しでございまする。
ストックがなくなってヒーコラ言ってますが、更新に差し支えはしないよう頑張ります。
結構レイエルお好みだったりして(オリジナルだけど)

2004・9・24

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