夜影月光





 鬱々とした夜の影の中、は静かに息づいていた。
 日を追うごとに己の体が蝕まれていくのが分かる。
 自分という人間の最後の一つまでもが何かに侵蝕されてしまったら、一体どうなってしまうのだろう。
 波の音が頭の中で反響する。

 月光のみが灯りとなっている部屋の中に、一つの光が灯った。
 ――ランプのそれとは違い、触れれば霧散してしまいそうな、ひどく淡い光。
 はそれを目に映しながらも、ぴくりとも動かなかった。
 光は次第に形をなして、人の形にまでなる。
 見知った姿。小さく呟いた。
「……ハイネル、さん」
 ハイネルはに悲しげに笑いかけると、側に近寄ってきた。
 窓の下に座り込んでいる彼女の前に立つ。
『 君を助けれるほどの力は、今の僕にはないんだ……すまない 』
「……」
『 君に今、ディエルゴという意識が割り込みをかけている。それを跳ね返すためにはとても強い想いや力が必要なんだ 』
 しかしハイネルにもの状態が充分過ぎるほど判っていた。
 彼女は今、外部からの二つの悪意に体を奪われかかっている。
 自身の憎しみが付け込まれる隙を与え、ディエルゴの意識を割り込ませた。
 無色の派閥が飲ませいる呪薬の効果もあって、彼女のもともとの心は散り散りになりつつあった。
 手助けをしたくとも、ハイネルにはその力がない。
 の花嫁としての力があるから、側に姿を現すことができるだけで――自分の力を行使して助け出すことなどできない。
 無力が辛い。

『 、しっかりするんだ。君が折れてしまったら、悲しむ人たちがたくさんいる 』
 はその言葉に頷いた。
 しかし――彼女の体はこうしている間にも、ディエルゴと無色の薬に蝕まれている。
 しっかり意識を保とうとしているのに、頭の中には完全に霞がかかっていた。
 現実が遠く離れていくみたいに。
 ともすれば気を失いそうになる意識を、なんとか繋ぎ止める。
 こんなところで負けていられないのに。
 心が折れ、意識が乗っ取られたらきっとそれはもう自分ではない。
 想像すると恐ろしくて身震いが走る。

『 僕は君たちを見守ってる……それしかできなくて、本当にすまない 』

 ハイネルの姿が霧散した。
 ぎこちない心の動きで、は思う。
 ――まだ、大丈夫だと。


 一方のレックス達はというと、無色のことで頭を悩ませていた。
 それともう一つ。
 バルレルの機嫌が著しく悪い。
 食事も一緒にとらなくなった彼に、ナップが夕食を届ける。
 本来もいるはずの部屋が、バルレル一人しかいないと妙に寒々しく感じる。
「おい、メシ」
「……ああ」
 礼すら言わずに皿を受け取る。
 毎度のことなので別に文句もない。
 ナップは椅子に座って食事をしているバルレルの向かいにあるベッドに腰を下ろした。
 食事が終わるまで、二人とも一言すら喋らない。
 バルレルがすっかり食べきってしまってから、ナップは切り出した。
「……なあ、無事だと思うか?」
 彼は答えない。
 ナップはなおも問う。
「お前、何とも思わないのかよ」
「ウルセェ。どうにかできるなら、とっくに何とかしてんだよ」
 突き放すように言われ、少しだけ怯んだ。
「バルレルは知ってたのか? が……あんなに、何ていうか」
 ――憎しみに煽られる戦いをすることを知っていたのか。
 目線だけでそう問う。

 ナップは――が連れ去られる直前の彼女の変貌を恐ろしく思っていた。
 同時に彼女をそれほどまでに追い詰め、憎悪を高める要因になった、あのオルドレイクという存在をひどく嫌悪していた。
 本来の彼女の姿からは思いつかないような、歪んだ笑顔。
 淀んだ黒紫色の剣を握りしめ、オルドレイクに突き進んでいった彼女は、とても危うくて――悲しく見えた。

 俯くナップに、バルレルは目線を窓の外へ向けたまま言う。
「あのバカはバカなりに分かってんだ。こんなの意味がないことだってことぐらい。ただ――」
「ただ?」
「思考や理性と感情は別モンだ。心底納得しない限り、乗り越えない限り、あいつの中でオルドレイクのことは現在進行形。……終わらねェんだ」
 それを手伝うことはできない。
 彼女の内面――しかもとても深いところにある心の問題だから。
 言えば今までだって手助けできた。
 しかしは濁すだけで、決して己の心の深みにまで踏み込ませない。
 その暗い部分は、見せるにはとても醜悪だったからだろう。
 見せれば心配されることは分かりきっていた。
 だから、言いもしない。
 封じていた。
 ――それが、過去へ来て、若いオルドレイクを見て――それまで必死に押し止めていた自身の気持ちの堰が崩れた。
 自身を呑み込む怒りは、彼女を暗い淵に突き落とした。
 バルレルは――止められなかった自分を悔いていた。
「……何が護衛獣だ。肝心なときに……何にもできやしねぇ……」
 拳を握るバルレル。
 ナップは静かに月を見た。
「これからどうなるんだろうな……」






暗いっ。まだ暫くこんなテイスト。2連載の時にはあんまりなかった気がする…
こうまで暗い話とゆーのは。オルドレイクが前面に出ているからであろうけども。
ますます不高度が上がってる気がするバルレル…が、頑張れバルレル!!

2004・8・27

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