色の無い檻で 3





 無色の船に連れてこられて二日経った。
 が仲間たちから外れて、三日目の計算。
 食事はきちんと――世話係りの少女、レイエルが持って来てくれていた。
 それを残すことはしない。
 脱出に必要な力を蓄えていなければならないからだ。
 しかし意に反して、体に力が戻ってくる様子はなかった。
 は知らない。
 自分の食事に、呪薬(じゅやく)が混入されていることを――。


「……様、大丈夫ですか?」
 ベッドに横になり、ぐったりとしているを心配して、レイエルが側につく。
 もうすぐ夕食を運ぶ時間だが、側についていてくれる少女に
「お役目しないと、怒られるでしょ……大丈夫だから」
 言うが、彼女は首を横に振る。
 心配そうな目をして傍らを離れようとしない。
「……ごめんなさい」
「どうして謝るの……?」
 言いたい。けれど言えない。
 そんな雰囲気がレイエルから漂って来た。
 痛々しくて体を起こし、無理矢理笑顔を作る。
「レイエル、大丈夫だから。ほら行って!」
「……すぐ戻ってきますから」
「平気だからね、ほんと」
 ぽん、とレイエルの肩を叩くと、しぶしぶ部屋の外へ出た。
 オルドレイクの機嫌を損ねれば、即殺されたって文句は言えないだろうレイエルを、この場所に縫い付けておくわけにはいかない。
「おっと」
「あ、申し訳ありません!」
 言いながら走り去っていくレイエルと入れ違いに、髭の男と栗色の髪の女性、それとイスラが入ってきた。
 途端にの体に力が入る。
 ――戦闘するつもりもないし、戦おうと思っても多分、今はまだ無理だ。
 しかしそれでも警戒という名の反応を起こすのは、仕方がない。
 イスラはベッドの上で警戒を強めているを見、くつりと笑う。
「どうしたんだい? だいぶ参ってるみたいじゃないか」
「……余計なお世話」
 はイスラの側にいる髭の男と栗色の紙の女性を見た。
 無色の船に乗っているのだから、部下なのだろう。
 髭の男はひどく異質な <気> を発している――と思う。
 だが女性の方には異質ではなく……何と言っていいものか、違和感が先に立った。
 どこかで出会っているような。
 でも、この時軸ではありえないはずで。
 ふとすれば朦朧としてしまう思考を現実に引き戻したのはイスラだった。
 彼は部屋と入り口を遮断している鉄格子に顔を近づける。
、こちらはウィゼル様。オルドレイク様のお側付きで護衛をしている方さ。こっちの彼女は暗殺者ヘイゼルさん。二人とも凄く強い。先生たちはきっと敵わないよ」
「みんな負けたりしない」
 きっぱりと言い放つ。
 眉根を寄せるイスラを他所に、ウィゼルがに声を掛けた。
「娘。淀んだ心は全てを狂わせる。お前はそのままでよいのか」
 厳しい声。
 この場にいる人間には不似合いな言葉。
 はウィゼルをじっと見たまま、首を横に振った。
「いいなんて思ってない」
 それは確かな事だったが、今のにはどうしようもなかった。
 嫌悪。憎悪。
 理性でもって押し止めるのは可能だが、それは単純に一時しのぎにしかならない。
 オルドレイクという人物がいることが――例えそれが過去であれ――震えが来るほどにおぞましくて。
 同時に笑えるほど嬉しくて。
 ウィゼルは小さく唸ると、それきり何も言わなくなった。
 ヘイゼルは最初から口を開く気がないのか、ただじっと成り行きを見ている。
「……それで一体何の用なの。世間話をしに来たわけじゃないでしょ」
 静かな声で告げるとイスラがニヤリと笑った。
 は彼を見やったまま黙っている。
「実はね、オルドレイク様からの言伝があるんだよ」
「――何」
 聞きながら、でもの目は酷く冷たい。
 青い炎が灯ってるのに本人は気づいていないのだろうが。
 しかしイスラは気にする事もなく話を続ける。
 静まった室内の中、彼の声だけが妙な優しさと明るさを持って届く。
「言ってもいいかな?」
「――言うんだったら早くして」
 ため息混じりに言うと、彼は頷いて先を進めた。
 がそれをどう思うかを知っていながら。

「オルドレイク様はね、君をとても気に入ってらっしゃるんだ。それでね……」

 一間置き、そうして言う。
 にとって毒にも等しいその言葉を。

「君を手にするって。――分かる? 君は、オルドレイク様の寵愛を受けられるんだよ。あの方の夜伽をするんだ。あの方の子を宿す女になれる」

 怒りではなく、悲しみでもなく、単純な嫌悪がの身体をよじ登ってきた。
 誰が、夜伽、するって?
 誰が――誰の子を――?

 がピクリとも動かないので、イスラは彼女の顔を覗き見た。
 だが、彫刻にでもなったみたいに動かない。
 暫くそうしていると、彼女の口が小さく動いた。
「……それ、は……もう、決まってるの……?」
 本当に小さな声。
 さすがのイスラも、彼女の様子に明るい声色を出す気にはなれなかったようで。少しだけ落ち着いた調子で返答をする。
「僕はそう聞いてるよ」
「結婚、してるんでしょう――」
「そうだね、でも無色ではあまり関係ないみたいだから」

 突如として、は召喚を試みた。
 ぎょっとするイスラやヘイゼルを尻目に、彼女は訥々とした声でアフェルドを喚ぶ。
 ――しかし。
「無駄だよ、ただでさえ君は力を奪われてるし、この部屋は召喚術の威力を著しく弱める」
「……アフェルド、お願い」
 姿さえ殆ど見えないアフェルドに声をかける。
 彼は窓に何度も攻撃を仕掛けるが、全くびくともしない。
『お前の体がもたない。これ以上は無理だ』
 アフェルドが心配して言うが、は首を横に振る。
「お願い……」
『駄目だ。お前が事切れる。……すまない』
 言い、彼は姿を完全に消してしまった。
 花嫁であるを守り、同居する存在であるアフェルドやネロフレアたち四棲は、
 彼女に過度の負担がかかる事――この世のものではなくなってしまうような事は絶対にしない。
 彼はにこれ以上の負荷を掛ければ、どちらにせよいい方向には向かないと察して、引き上げた。
「……嫌」
 イスラたちに見向きもせず、はベッドから立ち上がると窓の側に近寄り、格子の入ったその窓にすがりついた。
「嫌だ……」
 ぼろぼろと涙が零れる。
 涙と共に、自身も崩れ落ちた。
 ――激しい嫌悪。
 それが彼女の意識を吹き飛ばした。


「これは……どうなさったんですか!?」
 レイエルが食事を持って帰ってきたとき、部屋にはイスラたちと、床に伏したがいた。
 イスラは少し気まずい顔をし、それから小さく笑った。
「――オルドレイク様からの伝言を伝えただけだよ。彼女の手当てを頼む」
「……分かりました。ウィゼル様、すみませんが彼女をベッドへ」
 ウィゼルはそれを承知し、をベッドへと寝かせる。
 それを見届け、イスラたちが無言で出て行く。
 出て行く彼らに一礼し、レイエルは急いでの側へと駆け寄った。
 食事はテーブルの上に置いてあるが、この状態で食べられるとはとても思えなかった。
 レイエルは完全に意識を失っているらしいの額に、冷やした布を乗せてやる。
 身じろぎもしない。
 顔色は先刻よりも悪い。
「……様」
 苦悩の混じった声で名を呼ぶ。
 レイエルは無色の人間だし、オルドレイクが彼女に何を言ったかの想像はついた。
 それが彼女をこんな風にするとは思わなかったけれど。
 無色の中にいるからといって、無色の在り方を全て良しとしている訳ではないレイエルは、の、ある意味でボロボロになった姿を見て悲しくなり、同時に憤った。
「大丈夫です、きっと……大事な方々の所へ戻れます」
 聞こえてはいまい。
 けれど、口に出さずにいられなかった。
 オルドレイクを尊敬している。
 だが、強さが尊敬の対象であって、間違っても人となりを尊敬してはいない。
 ――自分が無色の人間である事が辛く感じられた。
「いい方法があればいいのですけど……」
 窓の外の島は夕暮れから夜への様相。
 近いようで遠いその場所へ、を戻す事はレイエルには難しくて。
 深いため息をつき、彼女が目覚めた時に少しでも楽になれるようその場で見守る。
 これ以上の傷は――心にせよ体にせよ、彼女に障る。
 傷つけて欲しくない。
 しかし同時にそれはありえないと知っているレイエルは、唇を噛み締めた。




どんどん黒く…;;すみませんすみません…!!

2004・8・6

back