色の無い檻で 1




 耳を劈く(つんざく)咆哮に、は剣を持つ手を振るわせていた。
 叫びは、よく知っている人のもの。
 ――バノッサの、もの。
 彼の姿は異形のものと成り代わっていた。
 近くにはトウヤやソルの姿もある。
 悪魔に取り込まれたバノッサは、それでも彼の意思で、オルドレイクに最後の鉄槌を下した。
 自分の父親を、今までの恨みを込めて、その異形の体で。
 バノッサは父親を殺した。
 今でも鮮明に覚えている。
 あの男の悲鳴を。
 最後の断末魔を。

 なのに私は許せてない。
 多くの人を苦しめた、あの男を。
 私の時代には既にいない、あの男を。
 誰のためでもない、私自身の気持ちの上で、許すことが出来ない。

 その名を狂気と言うのかもしれない。


 ゆっくりと目を開くと、の目には真っ白な天井が映った。
 頭だけを動かし、周りを確認する。
 簡易的な調度品の置かれた、普通の部屋。
 自分の下には白いシーツが敷かれていて、眠っていた場所がベッドの上だと改めて認識する。
(――私、どうなったんだっけ)
 ぼんやりと霞がかった思考の中に、酷く鮮明な声があった。

『 怒りを持ちて、我が元へ来たれ 』

「っつぅ……」
 ずくん、と頭に痛みが刺す。
 額に手をやり、波が去るのを待つ。
 ――私、本当にどうなったんだっけ?
 ゆっくりゆっくり、頭の中で今までの流れを巻き戻していく。
 ……アルディラの所から、帝国兵たちとの戦いの場へ。
 そこで――――あいつを、オルドレイクを見て頭に血が上って――

「失礼します」
「誰!?」
 ノックの音に、思わず体を捻ってベッドから降り、壁を背にして立った。
 腰に手をやるが、剣がない。
 それどころか、いつも身につけているサモナイト石付きのアクセサリ類も全てなくなっていた。
 ゆっくりと扉が開き入ってきたのは――白い装束を着、濃灰色の瞳をした小さな女の子。
 髪は完全にフードに覆われていて分からない。
 少女はが目覚めているのを確認し、ホッとした表情になる。
「よかった。気づかれましたか」
「……ここは」
「無色の船にございます。あなた様はオルドレイク様に連れられ、この部屋へ……」
「無色の、船……」
 全身の力が抜けそうになる。
 何を――自分は、どうしてこんな所にいなくてはならないのだ。
 憎い者のいる場所に。
「……帰る……」
「無茶をしないで下さい! まだあなた様の体調は……」
 ベッドから下りて立ち上がろうとしたが、の頭はぐらついた。
「私にはよく分かりませんが、全身が疲労されてます! 今は無理をしないで下さい!」
「……無色の船なんかに、いられな――」
「入るよ」
 少々乱暴な音を立てて、部屋の扉が開いた。
「……イスラ」
 がぽつりと呟く。
 彼は口の端を上げて小さく笑うと、を無理矢理立たせた。
 少女がそれを見て、ほんの少し狼狽した声を上げる。
「あ、あの……まだこの方は」
「オルドレイク様のご命令だ。連れて行く」
 言うだけ言い、少女を残してはイスラに連れられ、無色の船の廊下を歩き出した。
 カイルの船より明らかに大きなそれらを目にしながら、の心に黒い色が蘇る。
 水に墨を落としたみたいに。
「……イスラ、オルドレイクの所へ行くの?」
「そうだよ」
「私は、どうしてここへ」
「オルドレイク様のご命令さ。君に興味があるんだそうだよ」
「私はアイツを殺そうとしてるんだけど」
「さぁ? 今の君にそれができる程の力があると思えないけど」
 イスラの言葉に、ぐっと詰まる。
 いつもなら感じられる自身の魔力が、抜けてしまっていた。
 代わりに在るのは、真っ赤な色をした何か。
 毒々しいもの。

「さぁ、入るんだ」
 少し軋んだ音を立て、大扉が開く。
 の目の前に、馬鹿馬鹿しい造りの広間がひろがった。
 祭壇らしき物の前に、オルドレイクが。
 その少し横に白い装束を着た、彼の妻らしい女性――逆側には髭を蓄えた年配の男性と、どこか懐かしい感じがする栗色の髪の女性がいた。
 イスラに押し出され、オルドレイクの前に立たされる。
 途端に込上げて来る気持ち悪い感覚。
 闘志の灯る目をしたを、周りの者たちは何でもないことのように見ていた。
 オルドレイクは見つめ、にやりと下卑た笑みを零す。
 血が――沸騰したみたいになる。
 はオルドレイクに向かって、無意識に紫の剣を振りかざしていた。
 否、今は紫ではなく黒紫色。
 淀んだオーラを発するその剣先は、近くに控えていた髭の男に阻まれ、はかなく掻き消えた。
 がくりと膝をつき、荒い息を吐く。
 何で――こんなに近くにいるのに――!!
 己の無力さに、腹が立つ。
 イスラに無理矢理立ち上がらせられ、オルドレイクを真正面から見た。
 若い――けれどが始めて会った時と同じように、野心と欲望に燃えた瞳。
 人を、召喚獣を踏みつけても、何の抵抗もないだろう男。
 自分の命はエルゴより尊いと信じて疑わないだろう男。
 歯噛みして睨みつけるの表情に、オルドレイクは満足気な笑みを浮かべている。
 腹立たしい。
「……女、面白い剣を使うな」
 ――無言。
 すると、オルドレイクはの腹に一撃を見舞った。
 鈍い痛みがの腹に響く。
 しかし屈するつもりはない。
「無色に入れ」
「死んでも嫌」
「我はお前の力が欲しい」
「お断りよ」
 オルドレイクの指が、の頬をつぅ、と撫でる。
 背筋を薄ら寒いものが駆け上がった。
 ――気持ち悪い。
 ――触れないで。
 声は言葉にならない。
怒りのあまり、口唇が震えた。
「我が憎いのだろうな。お前の目は憎しみに満ちている。だが――我はお前に出会ったことがない。憎まれる筋合いもないが」
「うるさい。こっちにはあるのよ!」
 先の話。
 もっともっと、何年も先の話。
 あなたは私の大事な人たちを傷つける。
 今のオルドレイクには覚えがなくても、どうしても許せない。
 初めての戦乱以降、無理矢理押さえつけ燻っていた炎が、一気に噴出したみたいに感じる。
 怨みは何も生み出さないと知っている。
 憎しみは何も生み出さないと知っている。
 それでも。
 イスラに行動を制限されたままで、は精一杯の抵抗――つまり睨むことだけ――をしていた。
「面白い女だ。興味深い」
 す、とオルドレイクの顔が近づいてきた。
 嫌がる暇もなく、彼の口唇がのそれに重なる。
 舌が口唇を舐めた。
 首を振り、何とか逃れようとするがそれすら許さず、更にの口唇を侵略する。
 いやだ……いや!
 悔しさの余り涙がこぼれ――怒りが溢れる。
 の身体から魔力波が飛び出し、風圧に耐え切れず、オルドレイクが吹っ飛んだ。
 息を弾ませ鋭い目つきで威嚇しているを見、体勢を立て直すと大笑いし出す。
「イスラ、この女を第三船室へ」
「はい」
「離して……離せっ!!」
 嫌がるを連れ、イスラは第三船室へと彼女を連れ、出て行った。

「……あなた、大丈夫ですか」
 オルドレイクの妻、ツェリーヌは余り心配でもなさそうに声をかける。
 夫が別の女とキスしたことなど、まるで眼中にない。
 そうすることが、より無色の発展に繋がるとして黙認する。
 それが無色の女。
 オルドレイクは顔にかかっていた前髪を横に払いのけ、笑う。
「奴らの仲間に、あれほどの抑圧された憎悪を持つ者がいると思わなかった。……使えるぞ」
「何をなさるおつもり?」
 オルドレイクはツェリーヌの疑問に何も答えず、ただ笑うだけだった。







クラー。オルドレイク氏、最悪っぷりを今後も披露。
だぼっと頑張ります。

2004・7・23

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