夕闇の慟哭 3





 夕陽の向こうから、人がやって来た。
 ゆっくりと歩いて来るその姿。
 の脳裏に一人の男の姿が浮かぶ。
 男はイスラの横に立つと、の知るそれとは違う、若々しい声で言葉を発した。
「ゴミの始末に存外手間取ったな。待ちかねたぞ」
「申し訳ございません」
 栗色の髪の女性が頭を下げる。
 黒髪のその男は鼻を鳴らした。
「まあよかろう。長い船旅でカンが鈍ったことにしてやる」
「さあ、貴方こちらへ」
 白い衣を着た女性が、男の後ろに回る。
 カイルが憎々しい言葉で
「こいつが親玉か」
 と言う。
 ヤードは驚きの声に真っ青な顔で、口唇を震わせていた。
「ま、さか……直々に出向いてくるなんて……!」
「なるほど、あいつがそうなのね」
 スカーレルの目が細められる。
 男はそんなカイルたちには全く目もくれず口を開く。
「同志イスラはどこだ」
「はい、ここに」
 いつの間にか側に寄っていたイスラは、男に頭を下げていた。
「今日までのお前の働き、見事だった。我らのこの一歩は始祖らが夢望み続けた、新たなる世界の架け橋となるだろう」
「ありがたいお言葉、感謝にたえません。そして、遠路よりのお越し、心より歓迎いたします。オルドレイク様」

 ――オルドレイク。
 その言葉を聞いた瞬間、の身体が強張った。
 隣にいたナップが、不思議そうに顔を見上げる。
「……?」
 しかし彼女からの返事は、一瞬遅れた。
 気づいていなかったのか。
「な、何?」
「どうしたんだよ」
「……別に、何でも」
 その間にも、オルドレイクとレックスたちの対話は続く。


「下等なケダモノども。この方こそ、お前たち召喚獣の主、この島を継ぐためにお越しになられた、無色の派閥の大幹部、セルボルト家のオルドレイク様です」
「今頃になって、まだでしゃばって来るかよ」
 頭の中が、真っ白。
「我はオルドレイク・セルボルト。始祖の残した遺産、門と剣を受け取りにこの地へとまかりこした」
 無色の派閥。
 召喚師を頂点とする世界を作るため、暗躍する破壊者たち。
 の頭にそれらの言葉が――今まで何度も対峙し、その度に反復してきた言葉が流れてゆく。

 レックスが皆を護るために、抜剣し、オルドレイクに攻撃を仕掛ける。
 それはオルドレイクの結界に阻まれ、届かない。
 カイルが苦々しく言葉を発す。
「ヤツの結界が強力なだけじゃない……できねえんだ、あの馬鹿には! 戦いを嫌って人を傷つけることにさえ躊躇いを持つあいつには、殺意ある問答無用の一撃をぶつけることができねえんだよ!」
 加勢しようとする皆を止める栗色の髪の女性、そして、オルドレイクを夫だと言う白い衣の女性。

「おいっ! !! しっかりしやがれ!!!」
 バルレルがに思い切り怒号を響かせる。
「……オルドレイク」
 レックスが本格的に負けようとしたその時、の中にあった何かが弾けた。

 どんなに気づかない振りをしていても、どんなに奥底に封じていても、それが自分の中にある事を知っている。
 もう終わっていると分かっていても、いつもみたいに割り切れない。
 流せない。
 私の中には、いまだ覚めやらぬ憎悪がある。
 凶悪な感情。
 静める術を知らない、黒い心。

 オルドレイク・セルボルト。
 の知るその人物は、自分がいた時代より当然ながら若かったけれど――湧き上がってくる感情は変わらない。
 時間を置いて尚、膨れ上がるもの。
 止まらない。

 始めに変化に気づいたのは、バルレル。
 次にソノラ、カイル。
 対峙していたレックスも、アティも気づいた。
 そうして次々に、彼女の異変に気が付く。
「お、オイ…………?」
 カイルの声にも全く反応せず、男――オルドレイク――を見つめている。
 は小さく口の端を上げていた。
「……まさか、こんな所でまた会うとはね……あはは……」
 歪んだ笑顔。
 歪む空気。
 冷たい炎が体を蝕む。
 醜悪な感情が首をもたげる。
 心音がいやに響き、そのくせ頭の芯が妙に、すぅ、としていた。
 理解している。
 このオルドレイクは過去の人間だ。
 結末だって知っている。
 でも――だからなんだって言うの?
 まだ憎んでいる。こんなにも。
 の心がどす黒い念に覆われる。
 怒りと歓喜で、彼女の剣を持つ手は小さく震えていた。
、一体どうし……」
 アティが恐る恐る声をかける。
 それでもの目線はオルドレイクを見据え、薄い笑いを浮かべるだけ。

 トウヤ。
 ソル。
 バノッサ。
 カノン。

 次々と大事な人の顔が頭に浮かび上がり、燃え上がって消える。
 止めようとするもう一方の心は、たわいのない棒のようにあっさり折れてなくなる。
 燃える。
 心が憎しみで溢れて、私という大地が黒く染まる。

 壊せ。
 壊せ。
 壊せ。

 囁く己の声。焼け付く己の心。
 燃え尽きても構わない。
 あの男をここで止められれば。

 抜剣しているレックスの横を走り抜け、はオルドレイクに剣を振りかぶった。
 それをすんでで止めたのは、イスラ。
 ぎゃりり、と剣の擦れる音と共にが離れ――イスラなど目に入っていないように、目標の人物に突っ込んでいく。
 それもまた、イスラに防がれる。
 彼の攻撃を受けて、の体には無数の傷が出来上がっていた。
 決して浅くはない、それ。
「どうしたんだい。いつもは先生たちみたいに甘い君が、今日は殺気立ってるね」
 純粋に驚きを含んだイスラの声に、は口の端を上げて言った。
「あいつさえいなければ……あいつさえ消してしまえば……!!!」
「オルドレイク様の事かい? 僕が邪魔をしないとして、君はきっとあの方を殺せないよ。君が一番分かってるんじゃないかい、君は甘いんだよ」

「殺すわ」

 の迷いのない一言に、レックスもアティも生徒たちも――とにかく、仲間全員が驚愕の表情を向けた。
 いつもの彼女ではないと実感したのだ。
 心底ぞっとする。
 イスラの攻撃で血を流しているにもかかわらず、彼女は”笑って”いる。
 痛みなどないかのように。
! やめろ!!」
 バルレルが悲鳴に近い声で制止を呼びかける。
 同時にとイスラの間を割って入ろうとしたが、強力な黒紫の障壁に阻まれ、吹き飛ばされる。
 彼女の手にはいつの間にか、例の剣――紫の剣が握られていた。
 美しい刀身と淡く輝いていた紫色のそれは、今は黒紫色の光を発している。
 の体にあった傷は、逆再生でもしたかのように塞がった。
「ははは!! 凄いじゃないか! 君の口から『殺す』なんて言葉が出るとは思わなかったよ」
「邪魔を――しないでっ!!」
 空気を切る音と共に、イスラの横の大地が切り裂かれる。
 の身体から黒紫のオーラが立ち上った。
 オルドレイクがそれを見て唸る。
「……あの女、使えるな。イスラ、その女を捕らえよ」
 その言葉に、バルレルが声を上げた。
「ふざけんな!!」
 しかし護ろうとしても、は自我を把握できないほどに心を崩していて、周りなど完全に無関心――オルドレイクを殺すためだけに突き進んでいく。
 当のは全く気にした風もなく、邪魔なイスラに剣を振るおうとし――そこで止まった。

 紅色の意識が、の頭を直撃した。
 紅色の声が、の思考を奪った。

『 ……染まった 』

『 心を闇に蝕まれた花嫁 』

『 怒りを持ちて、我が元へ来たれ 』

 紅い意識。
 怒りに飲まれた心。
 ぷつん、と糸の切れた人形の如く、はイスラの腕の中に倒れこんだ。
 それと同時に剣も消え、黒紫のオーラもなくなる。
「おっと……」
 イスラはを抱きかかえ、レックスとバルレルを挑発するように見やった。
 『お前らは無力だ』と言わんばかりに。
「っ……そいつを返せ!!」
「冗談言わないでよ。オルドレイク様からのご命令だからね」
「……安心しろ。面白い素材だ。殺したりせん」
 くつくつと笑うオルドレイク。
 は意識の中で、その声を聞いていた――。




く、くらーーー!こっから暫く暗くなりますよと前も言ったか…(汗)
女主がコワイ。自分で書いてて思った…;;

2004・7・16

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