声 3




「あなたが、私に話しかけてきた人だよね?」
 聞いておきながらなんだけど、間違いではないと確信している。
 の表情に、その男性は小さく口の端を上げた。
 それは肯定。
 彼は静かな声で――以前のように頭の中にだけ響く声ではなく、実際に空気を振動させた音声として――言った。
「そうだよ……自己紹介しよう。僕はハイネル・コープス。ヤッファのマスターであり……キュウマの主人であるリクトの友人だった者」
 この人が、レックスの剣を介して話しかけてきた人――。
 では、なぜ今こうして自分の目の前にいるのか、には分からない。
 剣は側にないのに。
 けれど現れてくれたのだから、この際聞きたいことを聞いておいて損はない。
 が真摯な目を投げかけると、彼は微笑んだまま、
「僕の知る限りのことは教えるよ。そのために出てきたんだからね」

 さわさわと鳴る銀色の木々の側で、二人は話を始めた。
 小さな声ではないけれど、他には誰もいないこの場所では、話す音は空気に吸われて消えてゆく。
「抜剣者がいなくてもこうして君と話ができるのは、君の<四界>の力があるから。  淀みなく清楚な力を生み出す君は、自身で気づいていないかもしれないけれど、強大なエネルギーの塊のようなものなんだ」
「……そう、なの?」
「君自身が剣を引き出す力を得た事によって、更にそれは顕著に現れ――僕はこうして姿を現せるぐらいになった。君の側だけだけれどね」
 しかし、それはごく一時的なものだと付け加える。
 全ての死者が、の側に現れるわけではないという事も。
 そこまで聞いて、ふと首を傾げる。
「……んと、という事はあなたは死んでるって事?」
「そうだよ」
 間をおかず、でも少し寂しそうに言う。
 軽率に発した自身の言葉が、その表情をさせてしまった。
 罪悪感が湧き出してくる。
「ご、ごめん……私」
「気にしないでいいよ。それより、話を進めようか」
 今起きている事の方が、自分の事より大事なのだと彼は言う。
 なにも言われなくても分かった。
 彼は――ハイネルは、この島を愛しているのだと。
 は静かに頷いた。
 彼の言葉を刻むために。

「この島は――君たちが入った施設……あそこを中核として動いていた」
 施設――あの、喚起の門のある場所。
 剣の力によって門が開く、島の中央部。
「膨大な魔力を生み出す施設、それによって開かれる異界の門。自然の摂理を曲げるためだけに作られた物――」
「魔力、異界の門、そして自然の摂理を曲げる……」
 の頭の中に遺跡でヤードが言っていた言葉が浮かんだ。
 それに関わる物も。
 エルゴの王。
 それを模した施設。
 四属を操る剣。
「ここは……無色の派閥の作った島なんだよね?」
「そう。なにしろ僕はその”無色の派閥”の人間だったんだからね」
「……そうなんだ。でも、それらしくないね」
 ソルみたいだ。
 ハイネルの言葉は更に続く。
「無色の派閥は、界の意志であるエルゴを作ろうとしていた」
「そんな事できるの?」
 単純な疑問。
 トウヤやソルと一緒に、最初の戦乱に関わった当時、エルゴに出会ってはいたが――あれはこの世界で言われるところの神だ。
 それを作ろうと考えるあたりが”無色”の特性なのだろう。
 普通は考えないことをやる。
 神の領域に踏み込む事さえ躊躇しない。
 のいた”名も無き世界”と違って、こちらには見える神がいるのだ。
 だが無色にとって、いかなる者であろうとも
 利用できるか出来ないかの、二つの選択肢以外は存在しないように見受けられる。
「この世の全てのものは、見えない力によってエルゴと繋がっている――。元々世界はエルゴから生じたもの。エルゴ碑文、序説と言われるものだ」
 改めて言われると、この世界は確かにの生まれた世界とは違うものだと実感する。
 万物は見えない力でエルゴと繋がり、その影響を受ける。
 人も、自然も、なにもかも。
 全てはエルゴの意志の元に。
 しかしが出会ったエルゴは、それを放棄して――いや、違う。
 放棄していたのではなく、それこそ本当にリィンバウムに任せていたのだ。
 本物のエルゴは、世界を愛しく思いこそすれ、破壊しようなどと思っていない。
 だからトウヤのような、誓約者が現れる。
 マグナやトリスのような、調律者が現れる。
 は思考を切り替え
「……続けてください」
 ハイネルは頷いた。
「無色は考えた。見えない力でエルゴと繋がり、世界がその影響を受けると言うならば底に割り込みをかけることで、あらゆる存在を支配できる。境界線(クリプス)と僕らは呼んでいた」
 彼は空を仰ぎ――
「この島は、境界線を用いた支配を試みるために用意された場所だったんだ。思うままになる世界の部品として、島のみんなは召喚された」
「喚起の門はそのためのものなんだね」
「そう。そして――無色は自分たちの技術と力に自惚れ過ぎた」
 はため息をつく。
 そうして無色の中核となる人物は、後に自身を破滅させるのに。
 学習能力がない。
「自惚れ過ぎたっていうと?」
 が問う。
 彼は苦笑いを浮かべ、続けた。
「万物全ての意志を受け止め、理解する必要があるんだよ? エルゴだからこそできる業。強引にやっても――」
「受け止めきれずにしくじる。そういう事?」
「そういう事」
 なるほど。確かにと頷く。
 入ってくる情報量に対して、受け入れる側の器が小さければ情報が溢れる。
 たとえこの島ひとつとしても、相当の情報量なはずだ。
 それを受け入れられなければ、人物の中で情報が乱れ、当人の意志というものを押しのける。
 情報を廃棄しようにも、次々と入ってくるそれらに対して抵抗できなければ――発狂するだろう。
 精神と頭脳の死。
 あるいは情報の氾濫で、その通り死んでしまう人もいただろう。
 データの入れ物はあくまでも<正常な人間>でなければいけないから、死んでしまった者は中核になり得ない。
「……中核を担う人間を、核識と言うんだ」
 静かなハイネルの声。
 が考える時間をきちんと取って喋ってくれるのがありがたい。
「要になる核識になろうとした者は、耐え切れずに次々壊れていった。新しい世界を創るという名目に従ってね」
「でも、できなかったんでしょ?」
 どう考えたって、普通の人間に出来る芸当じゃない。
 しかし――疑問が現れた。
「ハイネルさん、なら、施設だけを廃棄すれば問題なかったんじゃないの?」
 島ごと放棄する必要があったのだろうか。
 施設を放棄し、島だけでも使おうとする。
 それが無色のやり方のような気がした。
 しかし――ハイネルはの言葉に首を横に振った。
「それを達成した人間が、一人だけいたんだよ」
「……それって」
 ハイネルは、静かに――儚げに笑った。

「僕が、核識だ」



ハイネルさんです。他の皆は、護人との話をしている頃ですな。

2004・4・25

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