紫水晶 5




 夜が海さえもすっぽり包み込む。
 船のたいていの者たちは寝静まっていたが、レックスは一人、甲板に出て海を見ていた。
 目線は海に固定されているが、彼はそれを見ているわけではなかった。
 海からやって来る冷えた風に身を晒しながら、考え事をしていた。
「……はぁ」
 何十回目かのため息をつく。
「どうしたの?」
「うわっ」
 後ろから声をかけられ、驚いて振り向くと――
「アティ……脅かすなよ」
 夜風を遮る布を身につけたアティがいた。
 彼女はレックスの隣を位置どると船の縁に寄りかかった。
「眠れないの?」
「……ちょっと考え事をね」
「相談になら乗るわよ?」
 いつもとは口調の違うアティだが、レックスの前ではこんなものだ。
 同郷出身でしかも兄妹のように育ってきたので、今更遠慮なんて言葉もない。
 レックスは暫く言うか言わないか迷っていたが――意を決して口を開いた。
 自分だけで悩んでいたって、解決しない。
 だったら。
「……実は」

 レックスは、バルレルから言われた事で考え込んでいるという事を告げた。
 自分がを好きなんじゃないか、という事について。
 それを聞いたときのアティの表情といったら、似合わないほどに呆れを表現していた。
「レックス、あなた本当に……気づいていないの?」
「え、なにが」
 バルレル君が突っかかってるのも頷ける……と言いた気に額を押さえた。
 レックスは気づいていないのだろうか?
 を見るときの自分の目を。
 生徒を見る時とは違う、別の意味で優しい、愛しさを秘めた目を。
 視線の先には、たいていがいるのに。
 そして彼女と話している時、彼はとても――温かい。いつも以上に。
 周囲の人間は殆どが気づいているだろうに、自覚症状がないとは思わなかったと、アティは苦笑いした。
 口元は布で隠してしまったので分からなかったかもしれないが。
「……なんだよアティ」
 幾分か不機嫌さを含んだ声に、アティはレックスの目を見た。
「レックス。頭の中で一杯になってるでしょう?」
「な、なんで分かるんだよ」
「分からない方がおかしいわ。やっぱり好きなのよ」
 そうかなぁと頭を掻く彼に、一つ自覚をしっかり持ってもらおうとアティは口を開いた。
「じゃあ、ちょっと目をつぶって想像してみて?カイルさんとが――」

 つらつらと言葉が並べられていく。
 カイルと
 カイルの部屋で二人だけで、楽しそうに話をしている。
 カイルの手がの手を強引に掴む。
 はそれを嫌がらない。
 ちょっと頬を赤らめながら、手を繋いだまま会話をする。

 レックスの眉根が寄せられた。
 アティはそれに気づきながらも、想像させる為の言葉を止めない。

 真面目な顔で、カイルがを見つめる。
 二人は見つめあって、距離を縮めて――

「冗談じゃないっ!!」
 怒鳴り声。
 そこでピタリと言葉を止め、アティは自分が怒鳴った事に対して驚いているレックスを笑顔で見やった。
 彼はまだビックリしている。
「想像だけで、そんなに怒るんだもの。……分かった?」
「う……」
 頬が一気に赤くなった。
 気づいてしまえば、引く事は出来ない。
 決して忘れる事はできない。
 当人がどう思っているか知らないが、彼は好きだと気づいたら引き下がらないタイプだとアティは思っていた。
 やるだけやって、それでもダメなら笑って終わらせる。
 そういう人。
「……、か」
「近くにバルレル君がいるから、がんばらないと負けるよ?」
「それが、彼に不思議な事言われたんだよな」
「不思議な事?」
 頷き、言われた言葉をアティにそっくりそのまま伝える。

「『どうせ、別れる事になんだ。生半可な気持ちならとっとと捨てろ』って」

 どういう意味なのか分からない。
 アティにも分からなかった。
 生半可な気持ちなら……だけであれば、レックスに対しての宣戦布告かなにかに思えるが、どうせ別れる事になるというのは、どういう事なのだろう。
 人間、この世からいなくなる時は”別れる事”に値するだろうが、それは誰にでも当てはまる事だし、少々突飛過ぎる。
 しかも彼は『忠告』として言ったというから、余計に突飛に聞こえる。
「……彼女とバルレル君は、空から落っこちてきたんだよね。もしかしたら、どこか全然別の場所から来た人かもしれないわ」
「だとしても、会えなくなるわけじゃないし…ほら、よく言うだろ?『同じ空の下』ってさ」
 自分で言いながら、レックスは自問していた。

 本当に?
 本当に同じ空の下だと言えるのか?

 漠然とした、でも確かな別れの予感が出会ったその瞬間から彼の中にはあった。
 揺らめいていた己の心が、彼女が好きだという心だと認識してしまった今は、その事についてあまり考えたくなかった。
 時が来ればきっと分かる。
 その時に全力を尽くせばいい。
 そうする事しか、今はできないから。

 さし当たっての難問は、彼女に好きと伝える事――。
 アティは小さく笑みをこぼし、
「とりあえず、明日のために今日は寝たら?」
 とレックスを半ば無理矢理甲板から部屋への階段へと連れて行った。




今度はレックスとアティメインのお話でした。
恋愛色です(何色よ)

2004・3・12

back