紫水晶 4



 レックスは一人、蒼氷樹の群れを前にして手頃な岩に腰を下ろし、木々の奥へと入っていったとバルレルが戻ってくるのを待っていた。
 さわ、という風。
 葉擦れの音。
 木々から発せられるマナのせいで冷えている空気が、レックスの体を撫でては去って行く。
 目を閉じ、一人静かにしていると、今自分の思っている事が頭の中に――生きた描画みたいに――浮かんでは消えた。
 剣の事。生徒の事。仲間の事。帝国兵の事。
 とりわけ、の事――。
(なんていうか、明るいんだけど無茶な子だよなあ)
 イスラやビジュと戦っていた時は驚いた。
 メチャクチャ強い護衛獣のバルレルを叱り飛ばしているのも驚いた。
 ナップとウィルに稽古をつけているその姿を見て驚いた。
 ”好き”が分からないと相談されて驚いた。
 ……普通の女の子に見せるのに、背負っている物が凄まじくて、なのに元気で真っ直ぐで――負けないという意志の輝く目に、驚きを通り越して尊敬すら覚えた。
 あの笑顔が、まっすぐで綺麗な彼女の笑顔が自分に向けられるのが、レックスは嬉しい。
(…うわ、俺なに考えてるんだ)
 ふと気づけば、頭の中はで溢れかえりそうになっていた。
 慌てて目を開き、現実の世界を視界に入れることで思考を締め出そうとするが、一度鮮明に呼び起こしてしまったイメージというのは、なかなか外れてくれはしない。
 頭をぶんぶんと振り小さなため息をついたところで、木々の中からバルレルが出てきた。
 の姿はない。
 レックスは立ち上がり、バルレルに聞いた。
は?」
「……あいつは今修行中だ」
「修行って、なんの」
「追求すんな。面倒だ」
 ぴしゃりと言われ、レックスは苦笑いと共に頷いた。
 前々から思っていたが、どうも自分は彼に好ましく思われていないらしい。

 静かだ。
 さっきまでと違いレックス一人ではなくバルレルもいるというのに、会話が全くないため静けさがより一層引き立っている。
 しぃんとした空間が耳に痛い。
 無言のままでも構わないのだが、せっかくこういう場があるのだ。
 好ましく思われていない理由を聞かせてもらおう。
 レックスはバルレルを仲間だと思っているのだし……。
 入れなくてもいい気合を入れ、バルレルに向き直る。
「な、なあ……バルレル」
「あァ?」
 機嫌が悪そうだ。
 しかしまあ、バルレルの機嫌がいいというのは余り見た事がない。
 少なくともレックスは。
「あのさ……俺、君になんかしたかな?」
 驚きもなく、ただ仏頂面でレックスを見続けるバルレル。
 子供サイズだがその威圧感ときたら、戦歴軍人を目の前にしてもまだ足りないぐらいだ。
 大人の姿になっていなくてもこんなに凄いのだ。
 以前、本当の姿になった魔力を正面から浴びたウィルの事を考えると空恐ろしくなる。
 何も言わないレックスに、バルレルは小さく舌打ちをした。
「別になにもしちゃいねェよ」
「でも、嫌われてるだろ?」
「嫌ってるワケじゃねえ。鬱陶しいだけだ」
 うっ……うっとーしいって……。
 やっぱり嫌いなんじゃ?
 しょげた顔をしていたらしく、バルレルは眉根を寄せた。
「ったく……んな情けない顔してんなよ。テメェな、を好きなら好きでしゃんとしやがれ」
「な…っ、お、俺はそんなっ」
 慌てて手を振ると、彼の眉根が更に寄せられた。
 完璧に睨まれているレックス。
 しかしバルレルには彼の気持ちがよく分かっていた。
 実際気づいていないのは、当人とぐらいなものかもしれない。
 人の感情に敏感な悪魔という存在であるバルレルは、レックスが気づいていないらしい――いや、気づいていて、尚且つ考えないようにしているのかもしれない感情に気づいていた。
 バルレルが持っている感情と同じものを、レックスはに対して持っていた。
 感情に名前をつけるとするならば、それは『好き』という気持ち。
(……俺自身、物凄く不本意ではあるんだけどな)
 バルレルは顔を微妙に赤くしているレックスを横目に、深くため息をついた。
「おい。俺たち悪魔は、人間のほんの小さな悪意ですら食い物にできんだぜ? いくら口で『違う』ったって、分かるもんはわかんだよ」
「まいったな……」
 レックスは口元に手をやり、それから手を外して苦笑いした。
「確かにの事は……その、色々考えるよ。でもそれが”そういう気持ち”なのかは」
 まだ分からないよ、と首を横に振る。
「人間てのは面倒だな」
「バルレルは、が好きなんだろう?」
 ある意味逆襲ではあったが、レックスの質問に彼は普通の表情で答えた。
「アイツはどう思ってるか知らねェし……それに」
 先ほどまでとは違い、少し不安の入った――自信なさ気な声色で続ける。
「俺のこの感情が、人間のと同じかって聞かれれば分かんねェけどな」
 護衛獣だからではなく、だから護りたい。
 できる限り泣かせたくないし、敵意あるものや問題から遠ざけたい。
 いつからこんな風に考えるようになったのか、思い出せはしないが。
 気づけば考えていた事が口に出ていたらしく、レックスが柔らかい笑みをバルレルに向けていた。
「……君は、を愛してるんだね」
 残念ながらバルレルに『愛』という感情は理解不能だ。
 かろうじて『好き』が分かる程度。
 舌打ちをし、「テメェな」と言葉を続ける。
 文句を言おうとして――口を閉ざした。
 恋愛云々について真面目に語ろうなんていうガラではないし、いつが戻ってきてもおかしくないのだから。
「一つだけ言っとくぜ。忠告だ」
「?」
 言わなくてもいい事だったかもしれない。
 敵に塩を送る事かもしれない。
 それでも、バルレルはそれを口にした。
「どうせ、別れる事になんだ。生半可な気持ちならとっとと捨てろ」


 が戻ってきた時、レックスとバルレルはなんとも微妙な空気の中にいた。
 バルレルはいつもの事ながら無表情…じゃなくて不機嫌顔だったが、レックスの方は物凄く悩んでいます、という感情がありありと顔に浮かんでいた。
「二人ともどうしたの?」
 きょとんとした顔で声をかけるに、レックスは
「別に、なんでもないよ」
 思いっきり誤魔化した。
 バルレルはバルレルで
「終わったらさっさと帰るぜ」
 にべもない。
 追求しようかとも思ったが、自身、慣れない”剣”の引き出しで疲れていたので、その場はあっさりと引いた。
 後で聞いても大差ないだろう。

 そうして。
 レックスとバルレル微妙な空気に挟まれたまま、船へと帰る道のりを行くであった。





男二人のこっそり(でもない)会話。二人の心理状況はこんな感じ?
(聞いてどうする)

2004・3・10

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