紫水晶 3



 ネロフレアの元に残ったバルレルは、口をつぐんだままだった。
 そんな彼に、静かに声をかける。
「……魔公子よ、花嫁に変調はありませんか」
「あぁ。別に……」
 ネロフレアは静かに息をついた。 
 安心しながら、かといって今後がわからない不安を乗せて。
「……なにをそんなに不安がってやがんだ?」
 彼女の態度に違和感と不自然さを感じ、むくむくと疑問が持ち上がって来る。
 ネロフレアはすっと目を閉じ――ゆっくりと開いた。
 ひどく揺らめく瞳の色。
 紫のそれ。
 四棲 ”ネロフレア” は、自分と同じサプレスの悪魔とは思えないとバルレルは思う。
 サプレスの悪魔は度合いこそ違えど、たいていは、好戦的であり他の者など気にしない。
 少なくとも自分が見てきた者はそうだった。
 もちろん、例外はある。
 の父――悪魔名アズライト――などがそうだ。

 四棲というものは時代の”サプレスの花嫁”の内に棲んでいるというが、バルレルには詳しい事が分からない。
 そもそも花嫁というもの自体が不明瞭な存在。
 の護衛獣としてこの地へ来て、彼女が花嫁だと知るまでそんなものはどうでもいいと思っていた。
 力を持つ女、自分たちに敵対する女、邪魔な女。
 知りたいとさえ思わなかった。
 でも今は知りたい事がいくつかある。
 しかし、口にはしなかった。
 聞いたところで答えは返ってこないと――漠然とだが――分かっていたからだ。
 ネロフレアは、ここからでは蒼氷樹の木々に覆われて見えもしない空を見るように上を向き、暫くしてバルレルを見た。
 静かな声が、円状の大地に揺らめく。
「今の花嫁――はとても感情が豊かです。しかしまだ幼い。不安定で危ない心を持っています……」
 断崖絶壁で止まる術を知らないのと同じなのだと、彼女は言った。
 バルレルはその発言に眉根を寄せる。
「なんでそんな事分かんだよ」
「四棲”ネロフレア”……私は見通すものでもあるのです。には ”サプレスが二人”いますね」
「普通なんだろ?」
「いいえ」
 即、否定の言葉が返って来た。
「『四棲』という名の通り、四つの力、四人の力が花嫁の全て」
「なら……」
 バルレルの眉根が寄せられる。
 ならば、今の中にいるネロフレアとアフェルドはなんだと?
 怪訝に思うバルレルを他所に、ネロフレアはバルレルを見たまま変わり映えのない
 静かな口調のまま続けた。
「……魔公子よ、もし――花嫁が、がその心に暗黒を灯したならば」
 貴方がそれを止めてください。
 ひんやりとした声。
 言葉の裏に潜む本当の意味を悟り、バルレルは思わず声を荒げた。
「なっ……冗談じゃねぇ!!」
 しかし彼女は全く動じない。
 そう言うだろう事を認識していたみたいに。
 ただ、真剣で静かな眼差しを向けるだけ。
「狂嵐の魔公子よ。貴方は知っているはずです。気づいているはずです。花嫁の中にある”もの”に」
 バルレルは、なにも言わない。
 沈黙が流れた。
 破ったのは、ネロフレアの方。
「貴方は……本当の役目をまだ知らないのです。花嫁も知らないのです。それを知った時こそ、本当の意味での使命が始まる」
 すぅ、と息を吸い――また言葉をつづる。
「今までの、そしてこれからの全てはそのためのもの。それを……どうか忘れないで下さい」
 その時、丁度よくが帰って来た。
 バルレルは小さなため息をつくと、と入れ違いに森へと入って行く。
「あ、バルレル??  終わった??」
「ああ。…レックスのヤローが待ってんだろ? 先に戻ってるから、しっかり勉強しやがれ」
「うん、ありがと」
 よろしくねー、ケンカしないでねー、などと言いながら手を振る
 その声を背中に受けながら、バルレルはいつの間にか拳を握っていた手を開く。
 じんわりと汗をかいていた。
(俺の役目……)
 ネロフレアは言った。
『貴方がそれを止めるんだ』と。
 歩きながら、また手を拳に戻した。
「……畜生」


 一方。
 はというと、ネロフレアから己の中にある剣の引き出し方を教えてもらっていた。
「いいですか花嫁。貴方は今、三棲を失っています。だから引き出す事が出来るのは、一属性のみです」
「じゃあ、四棲が揃ってたら四つの剣のどれかが選べるって事?」
 静かに頷く。
 彼女は説明を続けた。
「それぞれ剣の持つ特性は違っています。サプレスの剣が一番普通に扱えるでしょう。剣は色で判断できます」
 紫はサプレス、赤はシルターンといった具合だろうか。
 はこくりと頷いた。
「注意して欲しいのは、一度に呼び出せるのは一本だけという事、そしてその属性の四棲がいなければ扱えないという事。それからもう一つ」
「まだあるの」
「かの抜剣者の剣ととても似ていて、所持者の精神を媒体にして具現します。無理に振るえば、己を破滅させる事を覚えて置いて下さい」
 結構怖いものだなぁと思う。
 帯剣していなくて便利になるとも思ったが、どうもそれは止めておいた方がよさそうだ。
「分かった。大丈夫、慎重に使うね」
 よし、と自分に活を入れ、先生お願いしますと言うと、ネロフレアは優しく微笑んだ。

「手を組み、サプレスの力をその中に注ぎ込むように――」
 は言われた通り、手を組み、その手の中に力を注ぎ込む。
「精神を集中させ、研ぎ澄まし――剣のイメージを」
 右手の”サプレスの刻印”が薄紫色に光り出した。
 やっている当人は頭が痛くなるぐらい集中していて全く気づいていないが。
「そして、組んだ手を胸の前で開いて」
 ゆっくり、慎重に開く。
 そこには紫色の剣の柄があった。
「そう、それを手にして下さい」
 宙に浮いている剣の柄を右手でしっかり握ると、きぅ、という音と共に刀身が現れた。
 煌めく紫色の美しい刃。
 光りの加減で色が揺らめき、宝石のよう。
 ネロフレアは満足気に微笑む。
「それがサプレスの剣です。慣れれば、片手で呼び出す事も可能でしょう」
「やったぁ」
 ほっとした瞬間、剣はパリンという音と共に、あっという間に手の中から霧散してしまった。
「き、消えちゃったけど」
「慣れていないせいです。剣などという物は本来花嫁には不必要なものですから、扱いが難しいのです」
 そう言われれば、サプレスの花嫁の仕事というのは四世界からの不浄の浄化…だったと認識している。
 の母はそうだった。
 悪魔である父に連れ出されるまで、リィンバウムのどこだか分からない島だか国だかに、軟禁されている状態で生活していたらしい。
 そんな状態が生活しているというかどうかは不明だけれど。
 戦う為の”剣”が、花嫁に備わっているなんて……母は知っていたのだろうか?
(知ってたら、教えてくれただろうなあ……)
 知らなかった可能性の方が高い気がする。
「とにかく、練習しなきゃね」
 意気込むに、ネロフレアは首を横に振った。
「剣を引き出す事そのものよりも、安定した魔力放出が出来ることが重要です。あくまで剣はいざという時のための物。不用意に出してはなりませんよ?」
「うん、分かった」
 素直に頷く。

「それじゃあ、ありがとうネロフレア」
 彼女は変わらぬ笑顔をたたえていた。
「幸運を。私はここで結末を見守ります」
 お辞儀をして、レックスとバルレルの元へ向かう。
 静かに佇むネロフレアを残して。



剣引き出し完了。次はバルレルとレックスのお話……かな。

2004・3・5

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