凍るダイヤ 2






 たかだか二ヶ月のホームステイ。
 あと一ヶ月もすれば戻ってくるというのに、姿が見えないというだけで空虚感が身を包む。
 ――情けないが、それだけの存在が大きいんだろうな…。
 そんなことを考えながら仕事してるもんだから、ここの所ミスを連発していた。
 普段から鬼な編集長は、俺のミスでイライラしていて、大魔人みたいな顔になっている。
 この上もう一つでもミスったら、閻魔大王にでもなるんじゃないか?
「シゲさん、もう一個ミス発覚」
「なにぃ!五十嵐ッ、それはお前の目の錯覚だ!!」
「バカ言うなよ…。ほらここ、いきなり別のページに跳んでる」
「……簡易ミスだ…」
 さすがに俺もヘコむ。今日だけで、計五つのミス。
 思い出すだけで情けなくなるので回想は省くが、ベテランの名折れだ。
 がいなくなって二ヶ月ちょい。
 先週辺りからミスし始め、心配した五十嵐がスペルチェックを買って出るまでになるとは…。
 仕事が手につかない、とはこの事か。
「シゲさん、そんなに落ち込むなよ。今日は付き合うから、酒でも飲んでさ」
「イイヤツだなっ、五十嵐ーーーーー!」
 わしっと掴んでゆさゆさと揺さぶる。
 傍目から見ると完全にギャグだ。
「片山さん、今日飲みに行かれるんですか?」
 ギャグっている後ろから声をかけられ、振り向くと女子社員のがいつの間にやら立っていた。
 入社六ヶ月ぐらいの、まだまだ新人の部類だが、仕事をソツなくこなす美人さんなので、編集長始め、一部男性社員に気に入られている。
 どことなくに似ている感じがするので、妹分として五十嵐にもそれなりに可愛がられているのだが。
「あー、シゲさんミス連発でヘコんでるし、麗しの彼女も遠くだからね。
 気晴らしにと思ってさ」
 いらん事までペラペラ喋る五十嵐を睨むと、に向き直った。
 …微妙に似なんだよな、本当。
「麗しの彼女って…」
「あ、あぁ…まあ、ちょっと、な」
 これじゃ全然返事になっていないとは思うが、他に言葉が出てこない。
 は俺の立場とか世間体とか、色々気にしてなるべく公の場では俺との関係を出さないようにしている。
 外ではあくまでも、叔父と姪。
 家の中でも、二人きりの時以外では俺を名前で呼んだりしない。
 ここで暴露してしまったら、が怒りそうだ。
 が、少し寂しそうな顔をしたような気がした。
「あの…私もご一緒させて頂いていいですか?」
「別にかまわんが…」
 わざわざ断らねばならない要素もないし。
「それじゃあ、行く時はよろしくお願いしますね!」
 言うと、彼女は書類を抱えて行ってしまった。
「…アレは完全にシゲさんに惚れてるね」
「バカ言うな」
 ニヤニヤしながら寄って来る五十嵐。
 そのなんだか嬉し気な眼は、非常に止めて頂きたい。
ちゃん不在だろ、気をつけた方がいいんじゃないか?」
「…あのな、俺は浮気なんかせんぞ、期待されててもな」
「浮気なんかしたら、俺が貰うけど」
「……冗談言うな」
 多分、本気だろうなとは思いつつ、ミス直しに取り掛かる。
 の周りには、彼女を狙ってる男がいたりするので中々に苦労する。
 カオス連中が殆どなのが、更に厄介だ。
 一般市民を労われ。


 一瞬の激情が 身を滅ぼす事がある。
 一瞬の心の揺らぎが泉に一石を投じたかのように、次第に波紋を大きくしていく。
 大切なものがサラサラと砂のように指の間から零れ落ち 全てが幻になってしまったら、
 己の過ちに気付くのだろうか。


 仕事が終わり、約束通り、五十嵐とと飲みに出かけた。
 ここ何日かあった、デカいミスが引き起こした精神的ストレスに、不在の不安定さ。
 色々疲れていたんだと思う。
 浴びるように…とは言わないが、かなり飲んだ。
 いつもはや弘樹が『飲みすぎだ』と言って酒を取り上げるのだが、今日はそれをする人間がいない。
 実際、かなり酔っていたと思う。
「シゲさん、ちょっと飲みすぎだぜ?」
「いがらし〜〜…飲みすぎじゃないぞ、俺は酒に飲まれてるだけだっ」
「ちゃんと喋ってる辺り、まだ大丈夫そうだな」
 は考え事でもしているのか、ちょっと上の空でグラスの中を見ている。
 と、突然、五十嵐の携帯が鳴り、短く話をしてすぐに切った。
さん悪いんだけど…しばらくシゲさん見ててくれ。写真が出来上がったらしいから、俺ちょっと行って取ってくる」
「あ、ハイ」
「シゲさん、もう飲むなよ?」
 言うだけ言って、さっさと店を出て行った。
 あいつは相変わらず、写真の事になると眼の色が変わるな。
「…片山さん、彼女いらっしゃるんですよね」
 いきなり話題を振られ、少々驚く。
 彼女……の事だからかもしれないが。
「……まぁ、な」
「どうして、遠くへ?」
「ホームステイしてるんだ、勉強でな」
 …高校生だ、なんて言ったら…やばいんだろうな、きっと。
「私…私なら、勉強よりも…その、彼氏を取ると思います」
 学校行事で、しかも将来役に立つだろう事なのだから、これは仕方がない。
 本当は行って欲しくなかった、止めたかったが…それは、“叔父”のする事じゃない。
 男としてより、叔父としての判断が大切な時もある。
 四ヶ月の辛抱というのもあったし。
 …実際四ヶ月は…物凄く長く感じたけれど。
「色々と事情があってな」
「でも」
は優しいなー」
「そんなこと…」
 どことなくに似ているせいか…を見てるととダブる。
 恋わずらいで幻覚か?
 オイオイ…しっかりしろよ片山茂。
 じゃ、仕草なんか全然違うだろうが。
 ……飲みすぎだな、こりゃ。
「どんな方なんですか?」
「そうだなぁ…」
 ぐいっとビールを煽る。
 半分まで飲むと、また注ぎ足した。
「…頑固で、怒りっぽくて、一直線で…俺に心配かけないようにっていつも一生懸命で…」
「……」
「可愛いよ」
 俺、今なんか情けない顔してるんじゃないか…?
 後輩の目の前だというのに、を想うと顔がほころぶ。
 頬を膨らませて子供みたいに怒ったり、泣くまいと必死に涙を止めていたり。
 呆れながら、俺の酒飲みに付き合ってくれたり…日向ぼっこしてるうちにうたた寝したり…。
 そんな事を考えていると、どうしようもなく心が焦れた。
 を、手放したくなかった。
 たとえ四ヶ月でも、ずっと一緒にいた彼女を自分の目の届かない所にやるなんて…止めておけばよかったんだ。
 一言、行くな、と言えば…は留まった。
 けれどそれは、彼女の育つ芽を摘んでしまう行為。
 俺は、もう一本ビールを煽る。
 はその様子を、じっと見ていた…。
「片山さん…寂しい?」
「寂しいよ。だが仕方ないさ…」
 仕方ないと口で言っても、心じゃ全然納得していないのに。
「……片山さん…」
 ふと、の目を見る。
 熱っぽい、“女”の視線。
 …に似てはいても、こういう所は違うな。
 ――なに考えてる。
 彼女はであって、片山ではない。
 …人肌が恋しくなっているのかもしれないと、頭の隅で考えた。
「ちょっと飲みすぎだな…」
 分かっているのに、手はグラスに伸びる。
 ……情けない。

 と話をしているうちに、五十嵐が戻ってきた。
 その頃になると、アルコールでかなりやられていて、頭の芯がボーッとしている。
 完全な悪酔い。
 仕方なく、五十嵐が車でおれの家の前まで運び、そこからはが一人で俺の家まで送り届けることになった………らしい。
 頭が正常に働いていないので、断片的にしか覚えていない。
 ――いや、覚えていたくなかったのだろう。


 はなんとか俺の家の前まで辿り着くと、鍵を開け、玄関に靴を脱ぎ捨てた。
 俺も、無意識のうちに靴を脱ぐ。
「片山さん、どこに?」
「そこの…部屋…」
 俺が示したのは…の部屋。
 何故そこを示したのか…よくは分からないが、そこなら少しは彼女の傍にいられると思えると…そう思ったからかもしれない。
 は、そんな俺の心を知る由もなく、俺を抱えたまま引きずるようにして指定の部屋へと入り、ベッドに寝かせた。
 先程と比べると、ほんの少しだが意識もしっかりしてきた。
 だから余計に…主のいない部屋に、寂しさを感じたのかも知れない。
 一つ言葉を言ってしまえば、後から溢れてくる想いを止められないと分かっていながら、それでも、その言葉を小さく呟いてしまった。

 に、会いたい――

 ベッドのシーツをきつく掴む。
 がいることすら、忘れていた。
「…片山…さん?」
「……」
 小さく呟いたその名は、の耳には届くこと無く。

 会いたい、触れたい、声を聞きたい…。
 電話ではなく、生身の声を――
 今は、全て叶わぬ事。

 横になっていた俺の頬を撫で、が愛しさを込めたような声で呟く。
「茂さん……貴方が、好きです…」
「……」
「遠くの彼女ではなく、私を見て下さい……愛しているんです…」
 の成熟した口唇が、俺を『好きだ』と言った気がした。
 の名を、己の口が囁いた気がした。



 どこか、遠くに意識が行ってしまっていた。
 自分がなにをしているか、虚ろで掴めない。
 必死に現実を手繰り寄せようとしてみても――…するりと逃げてしまう。

 ――そうして、裏切り、と称されるような事柄をやってのける自分が――そこに、いた。


「茂……」
…」
 荒い息、弾む胸。
 ナイトスタンドのオレンジの光が、互いの影を濃く映し、その影はゆらゆらと揺れた。
 の手も、体さえも絡みつき、己の体はそれを受け止める。
「愛してるわ…茂…」

 ――俺は…俺は誰を愛してる?

 酒の酔いと快楽で、上気した頭はなんの答えも出してはくれなかった。
 まるで、その名を浮かばせるのを拒否しているかのよう。
 の熟れた体に手を伸ばす。
 汗ばんだ肌ですら、現実感が無い。
 全てが虚ろで、ふわふわしていて――眠っているのか、起きているのかさえもよく知らず。
「茂…茂…!」
「………っ」
 それでも、の高い声と跳ねる体、己を包む熱を感じて、これは幻ではないと知る。

 その日、俺はが泣いている夢を見た…。




 朝八時。
 日曜日なので通勤ラッシュにも巻き込まれずに済みそうだが、とにかく私は新都市の空港にいた。
 殆ど、身一つ。
 ちょっとの着替えに、必要な小物を持ってきているだけだ。
 家に誰かいるかと確認の電話をしてみるが、無反応。
 日曜の朝だというのに、皆出かけているようだ。ご苦労様。
 とにかく、一度家に戻る事にした。
 飛行機の中で殆ど眠らなかった為、かなり眠い。
 茂や弘樹、仲間にも会いたかったが、頭がぼぉっとしている状態では満足に活動できないし。
 家で少し眠ってから、行動しようと思った。

 久々の〜…まあ、二ヶ月なのだが、自分の家に帰ってきたんだと安心する。
 鍵を開け、一歩中に入って……。
「…誰か来てるのかなぁ」
 靴。
 一つは茂の、もう一つは――…誰のだろう。
 家にいるんだったら、電話出てくれたっていいのに…と思いながら、とにかく荷物を自室に置こうとドアを開けた。


 ――そこで、私が目にしたのは……裏切りというものの、形だったのかもしれない。




凍るシリーズ二話目……暗い…(汗)
そして、あえて私が言おう。
叔父さん最悪ですがな!!
いえ、あえてそういうネタなんですけど…;;
現時点で、フォローしきれない〜。
これで嫌いになられたらどうしよう…あっ、あの、茂叔父別に最悪じゃないですよ!(信憑性ゼロ)
微妙に裏チックですが…どれぐらいの浮気度数にしようか考えてて。
最初は凄くソフティーだったんですよ、んでも、
少女漫画セオリーで、波は激しい方がいい的なのが…あったりしまして…。
なら自分が泣く位、激しい波を!!…と思いまして、こんな話に…。(泣きませんでしたが)
すみません…後半ラヴラヴさせるので、許して下さい〜(滝汗)
まだ暫くこのくらーいのが続きます…し、試練だと思って!?(思えない)
悲しい系の曲聴きながら読むと尚暗くなります、多分。

2001/12/18

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