父と母を失ったあの日、どこにも行く場所がなくなってしまった日。
弘樹の兄も、両親もいなくなってしまったその日に、声を立てずに泣いていたに、叔父さんが言った。
『一緒に来るか?』
差し出されたその手は、救いの神だった。
優しくて暖かい、神様。
事件の日からすぐ、一向はブルージェネシスを離れた。
ついた先は弘樹の叔父さんの家。
怪我でボロボロの弘樹をベッドに寝かせると、の傍へと寄ってきた。
「何か飲むか?」
「…………うん。」
こくんと頷く。
同じ場にいても、弘樹のように言語障害にはなっていないらしいことを確認し、ほっとした。
ジュースを注いで、に渡す。
「…ありがと…。」
叔父は、震えているを自分のあぐらの上に座らせる。
「さて、改めて自己紹介するが。俺は片山茂、知っての通り、弘樹の叔父さんだ。」
「私…………。カガクチョーギジュツシャっていうのの娘…。」
こんな状況でも受け答えがしっかりしている事に、茂は少々驚いた。
精神的なショックからすれば、大人だってめげそうなものなのに。
「はこれからどうしたい?親戚のお家へ行くとか色々――……」
は首を横に振った。
どういうことかと話を聞くと、彼女には親戚がいないらしい。
ただの1人も、だ。
直系も、傍系も。
その上両親は、片山家が火事になる直前、茂の目の前で事故を起こして亡くなっている。
事故の原因は科学庁の車であることは言うまでもなく。
そうなると、この子は本当に天涯孤独になったことになる。
「…お父さんとお母さんのトコにかえる……。」
「…あ、あのな、…お父さんとお母さん、もういないんだ…その…」
タナトスに“両親は死んだ”と言われたのを思い出し、せき止めていた涙が一気に溢れ出した。
声を押し殺し、一生懸命なんでもない風を装いながら、ジュースを飲むを見て、茂は彼女の頭を撫でた。
「泣きたい時は、泣いた方が楽だぞ。」
「…っう…ひっく……」
茂の一言でせき止めていた何かがはずれ、は茂にしがみついて泣き出した。
優しく頭を撫で、背中を叩いてあやしてやる。
「……、大丈夫だ…叔父さんも弘樹も一緒にいるからな。」
「うぇ…ひぃ…く…おじちゃ……」
「今日から、じゃなくて、片山になるんだ。…いいか?」
「…うん……」
は必死に茂にしがみついていた。
――そして、彼女はの性を捨て、片山として生きることになった。
「…朝…」
ボーッとしながら隣を見ると、茂が布団を蹴飛ばしながら眠っていた。
どこに引っ越そうと変わらぬ姿。
ここはブルージェネシスのようにきちんと空調管理がされていないというのに。
ヤレヤレと布団をかけてやる。
「…なんで今ごろ昔の夢なんか見るかな…。」
カリカリと頭をかきながら立ち上がろうとし、ふいに腰から下にかけて痛みが走り抜けた。
思わずしかめっ面をしてしまう。
痛みの原因がわからず、痛む腰をなんとか持ち上げて洗面所に辿り着いた。
首のあたりを見た瞬間に、その痛みの原因判明。
「…叔父さん…」
鏡を見て、ボーゼンとしてしまう。
首のあちらこちらに咲いている赤いアザのような……俗に言う、キスマーク。
なら、腰の痛みは――……
「…ハハハ、どーしよ…。」
昨晩の行為を思い出し、苦笑いした。
今日は休日だからいいとしても、明日は学校。
さっさと消えてくれと、切に願うがそこにいた。
茂の部屋に戻る前に、リビングのテーブルの上に弘樹が置手紙をしているのに気がついた。
「えー…なになに?」
…どうやら、要に付き合わされて早朝バイトらしい。
弘樹も大変だなーと思いながら、茂の部屋に戻った。
相変わらずガーガー眠っている茂。
……本気でこの人のなにがいいのか、考え込んでしまう。
他にもいい人沢山いるだろうに…と、茂から言われたこともあるが。
確かにその通りかもしれない。
けれど、どうしても…どんなにグーダラしていても適当でも、茂でないとダメなのだ。
昔々、“一緒に来るか”と聞かれたあの日、こんな風に茂を好きになるとは思っていなかったのに。
いつからだろう、茂の“親として差し伸べられる手”をが嫌うようになったのは。
ごく自然に、そうなるのが決まっていたかのように、は茂に“男性としての手”を求めるようになっていた。
「…叔父さんて、よくわかんない。」
ポフ、と茂の隣に寝そべる。
横になっていると、幾分か腰も楽なようだ。
そういう行為自体初めてではないし、いい加減慣れてもいい頃だが…どうしても男女の行為になれない。
未だによくわからない
何故、自分を選んだのかが。
育ててきたから情が移ったのか。
あんなにオフィスに綺麗なおねーさん達がいて、しかもモテているのに。
只単に若いから、という理由だったら、かなり嫌だ。
それを言うなら、自分だってそうだとは気づく。
何故、茂叔父でなければならないのか。
育てられてきたから気心が知れていて…というのであれば、弘樹に対してだって恋愛感情持ってもいいはずだし。
好きになった理由を探すなんておかしいのだろうけれど、気になり始めると止まらない。
“なんとなく”というのは簡単だが、その“なんとなく”で済まされるような関係ではないだろう。
なにしろ、本当は違うけれど、叔父と姪だ。
「叔父さん、私可愛くないよ…?」
寝ている茂が返事するはずもないのだけれど。
は自分が周りと比べて、とても女の子をしていないとしみじみ思っていた。
女の子らしく「うふふ」なんて笑おうものなら、鳥肌が立ちそうなものだし。
…よく怒るし…そのうち嫌われるのではないかと不安が募る。
「…捨てられちゃうかなぁ。」
「誰が捨てるか。」
ポツリと呟いた言葉にいきなり茂が返事を返した。
驚いて少し身を起こすと、茂がごろんとの方を向いた。
「お…オハヨ。」
「オハヨウ…で、誰が捨てるって?」
茂にじとっと睨まれ、ちょっと詰まる。
「だ、だってー…」
「どうせお前のことだから、女っぽくないとか、可愛くない、とかで捨てられるとか言ってんだろ。」
的確に言わんとする所を突いてくる茂に、は驚きを通り越して感心する。
不思議そうな顔をしていると、“日ごろの態度で察しぐらいつく”と言われた。
「…少しは信用しろ。」
「……うん。」
少しばつの悪そうな顔をしながら、は茂に微笑んだ。
茂はそんな彼女の頭を撫でると、思い切り伸びをして起き上がる。
片付けなければならない仕事の山を思い出すと、朝から憂鬱になってしまいそうだった。
数日後、学校の帰りに優美と買い物をしているとき、優美はふと妙なことに気づいた。
「ちゃん生理、最近来てる?」
「え?……――――ここの所ないよ?」
行動を共にしている間…3ヶ月は経とうというものだが…、優美はに生理らしき兆候を見ない。
一瞬間を置き、彼女はハッと気がついた。
そのことに思い当たると彼女はワナワナと身を震わせ、を真剣な目で見据える。
「優美ちゃん?」
「弘樹君も片山さんも知ってるの?」
「そりゃー…一緒に住んでるワケだし…。」
ぐわし!と肩をつかまれ、ぎゅっと抱きしめられる。
驚いて身じろぐと、あわてて優美が体を離した。
だが、肩はつかまれたまま。
「大丈夫よちゃん!!心配しないでね、私がいいお医者様を見つけるわ!」
「へ、なに医者って…怪我なんかどこも……」
「大事な体だもの!余り風邪にさらしちゃダメね!さっ、帰りましょう!」
ぐいぐいとを引っ張り、優美はずんずん片山家へと向かっていった。
はさっぱりワケがわからず、目をパチパチさせながら優美に引きずられていく。
「片山さん!」
バンッ!と扉を開け、いきり立ちつつ茂の前に立った。
弘樹は驚き目を丸くし、はオロオロしている。
当の茂はいつもの通り飄々としているが。
「叔父様、大事なお話があります!」
「ゆ、優美ちゃん少し落ち着いて……。」
弘樹が優美を落ち着けようとするが、“弘樹君は黙ってて!”とぴしゃりと言い放たれ、言葉に詰まってしまった。
どうしたものやら、が考え込んでいると、五十嵐啓介が入ってきた。
「お邪魔するよ、なに騒いでるんだい?」
「五十嵐さん今晩は。」
が啓介に挨拶する。
優美は“なんて呑気な!”といいながら、とりあえずその場に全員を座らせた。
少し場を落ち着かせてから、優美が口を開く。
「叔父様、この不始末、どうおとりになるのですか。」
茂は首をひねった。
不始末…なんの不始末だかサッパリ判らない。
弘樹もも啓介も、意味する所が全く見えず、戸惑っている。
その様子に優美が泣きそうな表情を浮かべた。
「叔父様…ちゃんを思うのであれば、どうか!」
「優美ちゃん、なにを言っているのか叔父さんにはサッパリー……」
「そんな!妊娠させておいてそんなことを…!!」
「「なにいい!!」」
妊娠、の二文字に弘樹と啓介が反応した。
茂に歩み寄り、詰め寄っている。
は上手く頭が働かずしばしボーゼンとしていた。
「シゲさん、どういうことだい?」
「叔父さん、なに考えてるんだよ!!」
「お、おいおい、落ち着けよ…俺はそんなー……」
しかし手を出していないわけではないので、茂にはそれが本当にガセだと言える確証もない。
「…本当なのか?」
「ちょ…私はそんなー…」
「いいの、無理しないでちゃん…わかってるわ!」
なにが判っているのか全く判らないが、とにかく優美は茂を睨みつけた。
「ちょっとまってよう!」
の大声で場が静まる。
皆、一斉に彼女を見た。
ごくん、と弘樹の咽喉がなる。
は苦笑いしながら言葉をつむいだ。
「確かに、その…女の子の日はここの所ないけどね。」
「じ、じゃあやっぱり…!!」
茂がのどの渇きを覚えながらも、に声をかける。
それに対し、“焦らないで”という意味合いの笑顔を向けられ、とりあえず彼女の話を全て聞くことにした。
「ないのは、私のせいなの。」
「――どういうこと?」
「す、すみません、私ったら――…」
優美は茂とに素直に謝罪した。
2人は苦笑いしながらも“いいよ”と答える。
はここの所、非常に不安定な生活をしていた。
夜更かしの為の睡眠不足。
栄養不足。
それに伴う精神的不安定さ。
それらが重なり、体に変調をきたした。
優美は物凄い勘違いをしたのである。
夜更かしの原因は茂にあるのだが、それは伏せておこう。
優美は本当にすみませんと謝ると、自宅へと戻っていった。
弘樹もヤレヤレと自室へ戻る。
はとりあえず夕食の準備をすることにした。
今日は啓介もいるので、4人分の準備をしなくてはならない。
「いやぁ、シゲさん散々だったな。」
「全くだ……。」
の作った料理をパクつきながら、一同談笑していた。
闇鍋、という叔父の要望は却下され、啓介が来ているので煮物と肉料理になった。
ちなみに、煮物は弘樹の要望である。
「でもさ、ちゃん。」
「ハイ?」
「ウェディングドレス着たいなら、俺の所来なきゃ。」
「え!?」
茂が睨みを効かせるが、意にも解さず続ける啓介。
「どういうコトですか?」
「だってシゲさんとちゃんはー……あ、いや、なんでもない。」
「??」
啓介は、突然バツの悪そうな顔をしてその話題を切った。
茂の方を見ると、神妙な顔をしている。
弘樹とは顔を見合わせた。
その時の、啓介と茂の反応の真意は、後々に判明することになる。
それは、と茂を隔てる大きな壁。
だが、今のにはそれがなにか全く判らないでいた――
2001/10/2
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