Birthday




「守ーっ!いる!?」
朝から元気な声が物理学科棟実験室に響き渡る。
チームリーダーである大塚守の恋人の登場だ。
すでに見慣れた光景なだけに、仲間は暖かくを招き入れる。
「おはよう、。今日も元気だね」
書類を机に置いて歩み寄る守の表情は嬉しそうにほころんでいる。
「守おはよ。あのね、今日うちに来て欲しいんだけど……19時くらいに」
の家に?19時?」
「うん、絶対来て欲しいの。いいよね?」
上目づかいに微笑まれ、守は少々顔を赤くしながら頷いた。
「わかった、必ず行くよ」
「ほんと!?絶対だからね!」
「わかったよ」
真顔で念を押すに苦笑しながらも繰り返し頷いてやる守。
と、そこにちょうどよく予鈴の音が……。
「じゃあ、守、約束だからね」
「うん、わかってる。走って転ばないように気をつけるんだよ」
「大丈夫だよぅ、じゃね!」
手を振りながら走り去るの後ろ姿をしばらく見つめてから、守は再び書類を手に取り目を通し始めた。
まわりの皆の視線に、かすかだがからかいが混じっていることに気が付いたから……。



無事守に約束させたは1日中ご機嫌だった。
あまりに嬉しそうだったので覚醒仲間が不思議がり、弘樹が代表で理由をたずねるがはただ笑うだけ。
絶対に口を割ろうとはしなかった。
誰かに教えて、それが守の耳に入るのが嫌だったのだ。
きっと守は今日という日を忘れてる。
ならば徹底的に秘密にして驚かせてやりたい――。
ー、ヒント!」
「ダーメ」
にこにこ笑いながら弘樹の頼みを一言で却下する。
の思いはすでに今日のプランを再編成することに捕らわれていた。
どうすれば守が喜んでくれるか、驚いてくれるか……。
1人微笑みを浮かべながら頬杖をつき心を遠くに飛ばす。
全ての雑音が、の周囲から消えていた。
弘樹の言葉も、を指名した教師の言葉も……。


――そして、あっという間に放課後。
必要な材料を買い揃え、は鼻歌まじりに帰宅した。
昨日から下準備はしてある。後は仕上げをするだけだ。
メニューはごく普通に唐揚げやら、サラダやら、サンドイッチやら……。
カラフルに様々な物がテーブルの上に並べられていく。
そのテーブルもいつもとは違い真っ白なクロスがしわひとつなくかけられ、中央に花が添えられていた。
最後の最後に仕上げをしたケーキは食器棚の奥に隠してしまう。
これを出すまで今日のことは秘密にするつもりなのだろう。
時刻は早や18時半を過ぎていた。
「早く着替えなきゃ……せっかくの記念日だもんね」
幸せそうな笑みを浮かべながら連日に及んで悩んだ服を身につける。
少し考えた後、今日だけは特例とばかりにわずかに口紅を塗った。
ほとんど目立たない、淡いピンクの上にグロスを重ねる。
鏡の中の自分に笑いかけてからはテーブルについた。
もうすることは何もない、後は最愛の人である守を待つだけだ。
と、いってもただ待つだけとは落ち着かないもの。
1分おきに時計とにらめっこしながら、は今か今かと守が来るのを待ちわびていた。

だが、のうきだつ心とは裏腹にいつまでたっても守は訪れなかった。
時間はとっくに20時を過ぎ、間もなく21時になろうとしている。
はぎゅっと祈るように手を結び、泣き出しそうになるのを必死に耐えた。
守は約束を破るような人間ではない。
そんなことは彼女である自分が一番よく知っている。
何か事故に巻き込まれたのではないか、誰かに襲われ怪我でもしたのではないか……。
駄目だとわかっていても、悪い方に悪い方に考えてしまう。
そんな思いを振り払うように目をつむり、耳をすます。
守が1秒でも早くインターホンを鳴らしてくれるように祈りながら――。

ピンポーン……

瞬間、の周りの全ての音が消え失せた。
閉じていた両目をパッチリと開き、ドアを穴があくのではと思うほど凝視する。
今の音は決して錯覚などではありえない、間違いなく聞こえた。
椅子を蹴倒すように立ち上がり、玄関へと駆け寄る。
焦る気持ちを押さえつつ鍵をあけ、ついでチェーンを外す。
勢いよくあけたドアの先に息を切らした制服姿の守が立っていた。


無事な姿を見て安心したのか気が緩んだのか、いきなり泣き出したを慌てて抱きしめた。
肩で息を整えながら髪にほおずりをして目を閉じる。
「………守…」
かける言葉をなくしたはただしがみつくだけである。
背中に腕をまわして肩口に顔を強く押し当てる。
「遅くなってゴメン……ゴメンね、…」
優しく背中を撫でながら、そっと耳元で謝る。
守は遅れてきた言い訳はいっさいしなかった。
今は大切な恋人の涙を止めることの方が先である。
泣かしたのは他の誰でもない、自分なのだから……。
ようやく落ち着いてきたを抱きしめながら体の位置をずらし、あきっぱなしだったドアを閉める。
自分のハンカチを貸して涙をふきながら部屋の中に歩を進め、テーブルにある料理の数々を見て守は閉口した。
理由はわからないが、が頑張って用意してくれたものであることくらいはわかる。
すでに冷え切ってしまったそれらを直視できず、守は申し訳なさそうに俯いた。
「……守、おなかすいたでしょ?…待ってて、あっため直すから」
……ありがとう、手伝うよ」
涙をふきつつ笑顔をかすかに浮かべたに心底礼を言うと、守は動きやすいように鞄をわきにどけた。
一緒に台所に立ち作業をする姿は、ぎこちなささえ抜ければまるで新婚のようだ。
気まずい雰囲気の中、料理ができたての温かさを取り戻していく。
すべて元あったように並べ直すと、は守をテーブルに招いた。
きれいなグラスを取り出し、氷で冷やしてあったシャンパンを手に取る。
「……、一応僕たち未成年なんだけど…」
「今日はいいの。特別な日だから」
遠慮がちに止める守の言葉を笑顔でかわすと、は手馴れた動作でコルクを飛ばした。
手際よく2つのグラスに注ぎ手渡す。
「特別……っていうのがよくわからないんだけど…」
「後で教えてあげるね、今はとりあえず食べよ」
困ったように苦笑する守だったが、おなかがすいているのも事実なので疑問はひとまず棚の上に置いておく事にしたらしい。
グラスを近づけるの意図を察し、自分の持つ方も傾ける。
「何に乾杯するの?」
「そーだねぇ……守が無事に来てくれたことに」
「本当にゴメン…」
すまなそうに頭を下げる守に、の明るい笑い声が降り注ぐ。
ようやくいつもの調子に戻れたようだ。
微笑みあいグラスを打ち合わせる。
「……おいしい」
一口飲み、驚いたようにを見つめる守に悪戯っぽい笑みを返す。
自分も味を確かめるように飲んだ後、コースターの上にグラスを置いた。
「実はね、叔父さんの棚から1本失敬してきちゃったの。見た目的に高そうな奴」
「……無断で?」
「いっぱいあるからバレないって」
にこやかに笑うに苦笑し、まあいいかと飲み干してしまう守。
「おいしい?」
空になったグラスに注ぎ足しながら首を傾げるに頷く。
あまり酒類を好まない守だったが、これは口当たりのよさを気に入ったらしい。
「おいしいけど、お酒は今日だけだよ?体によくないからね」
「わかってるって」
割りとカクテル系が好きなは返事だけ、といった感じだ。
もう言うだけ無駄なことが身にしみているあたり、以前に相当注意しているのが見て取れる。
その後はしばらく談笑しながらの和やかな食事が続いた。
もっぱら話しているのはの方だったが、天性の聞き上手な守は穏やかに耳を傾けていた。
おいしいシャンパンをあけながら……。


やがて、料理もあらかた食べ終わりそろそろ片付けようかという流れになってきた。
、本当にご馳走様。とってもおいしかったよ」
ほんのり顔を赤くしながら満足そうに告げる守にも微笑んだ。
ここからが本日のメインである。
片付けくらいは手伝おうと立ち上がりかける守を制し、手早くテーブルの上を整理し花をわきにどけ中央にスペースを作る。
まだ何かあるのか、と首を傾げる守を楽しそうに見つめる
一体守はどんな反応を返してくれるだろうか。
考えただけで自然と顔がほころんでしまう。
「……?」
訝しがる守ににっこりと微笑んだ。
「守、いいって言うまで目、つぶっててくれる?」
「え……?見てちゃダメなのかい?」
「うん、ダーメ。薄目もダメだからね!」
先に釘を刺された守は好奇心を押さえておとなしく目を閉じるとがいる方へと顔を向け、確認を取る。
「これでいい?」
「うん、ちゃんとつぶっててね」
「わかったよ」
しっかり目を閉じているのを確認した後、は極力音をたてないように食器棚から隠していたケーキを出してテーブルに置いた。
もう1つ、別の所に隠してあった包みを取り出す。
一週間悩みに悩んだ末用意したプレゼントである。
リボンのかかったものはひとまず椅子に乗せておいてろうそくを準備する。
きっちり17本ケーキの上に立てると順番に火をつけた。
全て明るく灯っているのを見て取ると今度は部屋の電気を消す。
一瞬にして幻想的な空間ができあがったことに微笑みながら、は守に背後から抱きついた。
……!?」
少々驚いたように声を荒げる守の耳元に目を開ける許可を囁く。
すぐに離れてしまった腕を捕まえ損ねて、守は残念そうにしながらもそっと両目をあけた。
まず始めに飛び込んできたのは、17本のろうそくだった。
赤々と燃えるその炎を驚きの顔で見つめながらその下のケーキに視線をうつす。
中央に添えられているプレートには、チョコレートの愛らしい文字で「Happy Birthday」と書いてあった。
じわじわと現実が己の身を満たす。
「そういえば、今日だったっけ……すっかり忘れてたよ」
テレたようにほほをかいた後、にっこり微笑む。
「ありがとう、……すごく嬉しいよ…」
心底、本当に幸せそうにろうそくの明かりを見つめている。
守が喜んでくれたことに対して、も満足げな表情を浮かべていた。
「じゃあ、歌ってあげるから、終わったら一気に消してね」
「……なんか、こういうの久しぶりでちょっと恥ずかしいけど…わかった」
恥ずかしいのはお互い様、両方極度にテレている。
だが、ちんたらしていたらろうそくが溶けてケーキに流れてしまう。
は恥ずかしい心を振り払うように目を閉じると、アカペラで歌い始めた。
きっと皆が聞き慣れているであろう、誕生日の歌を――。


Happy Birthday To You
Happy Birthday To You
Happy Birthday Dear 守
Happy Birthday To You


「おめでとう守!」
少しほほを染めて手を叩くに嬉しそうに微笑むと、守は大きく息を吸い込み一気に火を吹き消した。
その瞬間、室内を闇が覆い尽くす。
手探りで電気をつけようと立ち上がったを、まるで見えているかのように迷いなく守が抱きしめた。
「っ……守…おどかさないでよ〜…」
「本当にありがとう………すごく、嬉しい…言葉で言い表せないくらい嬉しいよ……」
「……その言葉だけで充分だよ、守。喜んでもらえて私も嬉しい」
ぎゅうっと守に抱きつき暗闇の中で幸せをかみしめる。
愛しの彼氏の鼓動を聞きながら、は胸の内を語った。
「絶対にね、お祝いしてあげたかったの……。だって、つきあって初めての守の誕生日なんだもん…。
家族より友達より仲間より、私が一番守のこと喜ばせたかったの…」
……生まれてきて、一番嬉しい誕生日だよ、今日は……本当にありがとう…」
それだけを囁くと、すでに勝手知ったる家の中。
守はを放すとテレた顔を隠しながらゆっくりと電気をつけた。
その間に椅子の上からプレゼントを取り上げたは、胸に押し付けるように手渡した。
「すっごく悩んだんだよ……受け取って」
「……ありがとう、あけてもいかな?」
「――うん、いいよ」
小さな包みから大体の中身の予想はつくが、そこはご愛嬌、守は至極楽しそうに包みを開いた。
初めてもらう、大切な人からのプレゼント……。
「これ……ヒーリング系のCD……だよね」
中から出てきたのは今流行の、いわゆる癒し系のCDだった。
あまり音楽に興味のない守だったが、もの珍しそうに曲名を眺めている。
「……守、毎日研究で忙しくしててあんまり休まないでしょ。だから……少しでも心が休めるように、と思って……」
怪訝そうにCDを見ている守に、プレゼントの補足をしてやる。
恋人の優しい気遣いに胸が満たされていくのを感じた守は、思いのままにを抱きしめた。
「…嬉しいよ……僕のことを心配してくれたんだね…」
微笑む守に当然でしょ、と少々ふくれっ面を見せる。
守が遅れてきたのを思い出してしまったらしい。
待っている間の、あの胸が張り裂けそうな程の恐怖も思い出したようでの目が潤みだしてしまった。
もう二度と味わいたくなかった……。
それを敏感に悟った守は黙ってを強く抱きしめた。
今にも泣き出しそうな顔をしているのほほを撫で額にキスを贈る。
「……心配かけてゴメン…約束、忘れてたわけじゃないんだ…」
「わかってる。わかってるけど……なんで遅くなったのか、聞いてもいい?」
ぎゅっとしがみつくを優しく抱擁しながら守は口を開いた。
「ぎりぎりまで、実験してたんだ。小さな奴だったから誰も呼んでなくて……そんな時ばっかり誤操作が起こるんだよね」
聞いた瞬間、の口からやっぱり、と言うようなため息が漏れる。
他に原因を思いつかなかったからだ。
「やっぱり1人じゃスパークを消しきれなくて結局装置をダメにしちゃってさ……ほっとくわけにもいかないから直してたんだ。
そうしたら、竜門君と健吾が来てくれた…」
なだめるように髪を撫でながら守の説明は続く。
「2人が、今日のの様子を教えてくれたんだ。どれだけ幸せそうだったか、嬉しそうだったか……。
それで、ここはいいから早く行ってやれって怒鳴られて……走って来た」
「守はいつも研究ばっかり……嫉妬しそうになっちゃう」
「……ゴメンね…でも、1番はだよ。だけは失くせない、誰にも渡せない……愛してる」
あごを片手で持ち上げながらキスをする。
それだけでは、もう自分が今回のことを水に流してしまっていることを感じていた。
「もう約束破ったりしない、絶対。……誓うから、許してくれる?」
はこの守の困ったような笑顔にも弱かった。
それをわかっててやってるんじゃないか、と疑いながらもこっくりと頷く。
「今日は守の誕生日だから、許してあげる。そのかわり、もう絶対しないでね!」
「……ありがとう、…大好きだよ」
甘えるように抱きつかれては苦笑した。
まるでいつもと立場が逆転である。でもこういうのも悪くない。
どうせならもっと甘えさせてあげたいと考え、あることを思いつく。
「ね、守。今日も実験で疲れてるんでしょ?CD聞いてみようよ!」
「僕はといればいつでも癒されてるけど……そうだね、聞いてみようか」
何か嬉しいことを言われた気がするが、今はとりあえず流しておく。
場所をリビングにうつしCDをかけると並んで座る。
だがは何か不満な様子……。
おもむろにポンポンと膝を叩くと、テレる守を強引に横にさせた。
初めての膝枕に最初は緊張していた守だったが、CDの効果もあってか徐々に力を抜いて行く。
元々音楽好きのは、彼氏そっちのけですっかり曲に聞きほれていた。
疲れていたのか、それともあのシャンパンが効いたのか……。
気が付くと、守は安心したような微笑みを浮かべて眠っていた。
子供のような寝顔に顔をほころばせながら、その柔らかな髪をすくように撫でる。
「Happy Birthday、守……起きたら一緒にケーキ食べようね…」
の優しい言葉に、守の顔が幸せそうに微笑んだような気がした――。





終わりました、大塚守誕生日おめでとうSS!!
ここまでお付き合い下さいました皆様、本当にありがとうございます♪
このような駄文中の駄文に目を通して頂きまして作者感涙中であります。
時間がないため普通な後書き……お許しを(泣)
何はともあれ、間に合ってよかった…。
また良太の時のように何もできないで終わってしまうのはあまりにも哀しいので(笑)
この後誕生日が続きますが、頑張って上げていきたいと思っています。
今後とも、皆様のご支援の程よろしくお願い致します★

これを読んで下さった全ての方に、守の愛が届きますように――。

葵 詩絵里

2001/10/11

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