焔の揺らぎ 4



 啓介は、待っているだけしか出来ない自分を責めていた。
 弘樹とだけが、彼女を救う事が出来る。
 そうと判っていても、やはり何も出来ない自分が情けなくて。
 茂に缶コーヒーを貰い、その冷たさで自分を律する。
「‥‥おいアンタ。」
「?なんだい影守くん‥‥。」
「あんた、さっきから元恋人の事ばかり心配してるが‥現恋人の心配はしなくていいのか。」
「‥‥‥ちゃんには、弘樹君がついてる‥でも、沙夜香は‥‥。」
「‥‥‥‥。」
 聖は、その言葉に思わず眉間にしわを寄せてしまった。
 前々から感じていたが、この男はがとんでもなく強い人間だと思い込んでいるらしい、と。
 確かに、状況的にいえば沙夜香の方が危険な状態ではある。
 だからといって、や弘樹が安全とは言えない。
 人の深層意識へと入ろうとしているのだから、危険が伴って当たり前。
 もしかしたら、消えてしまうかもしれないというのに‥‥。
 不機嫌を顔に出す聖に、茂が苦笑いをこぼした。
 彼は、啓介に向かって何も言葉をかけない。
 啓介が沙夜香のみを心配するのに、少なからず不快感を持っていたが、口にする事はなかった。
 と啓介のことは、二人の問題だ。
 どういう結末になるにしろ、自分が口出しするつもりはない。
 ‥ただし、と弘樹が無事に戻ってきた場合ではあるが。
「‥‥‥‥。」
 一同は押し黙ったまま、二人の帰りを‥‥正確には三人の帰りを待ち続けた。


 沙夜香に取り憑いているナイトメアは、覚醒が進んでいるタイプだったらしく、結構な高エネルギー体のように見受けられた。
 姿かたちはスティールワイヤーではあるが、所々違う点も見て取れる。
 例えば大きさ。
 普通のそれよりも、幾分か大きめなサイズ。
 色も多少違う。
 何より、一番違うのは‥‥このナイトメアが、話をするという事。
 は今まで、御剣晃‥‥タナトス以外で、話をするナイトメアを見た事がない。
 確かに巣食ってしまえば、その人間の体を使って話をするが、体の中の彼らは話をしない。
 もしかしたら、ただ単に自分たちが話をしなかっただけかもしれないが。
「‥‥あなたの名前は?」
「私に名前なんて必要ではない。必要なのは、あの方だ。」
 あの方‥‥。
 ナイトメアが、そう呼ぶ人物といえば‥‥。
「‥もしかして、タナトスを待ってるの?」
「そうだ。」
 あきれた。
 BGが消滅してもなお、タナトスを慕っているんだろうか、このナイトメアは。
「無駄よ、タナトスは‥もういないわ。」
「違う。」
 ‥‥違うとは、どういう意味だろう。
 沙夜香の身体に入り込む、その理由は判る。
 彼らはエーテルの消費を防ぐ為に、人に巣食う。
 今回も、その類いかと思ったが、違うらしい。
 タナトスを待つ‥‥と、言った。
 待つ‥‥生きていると言うような言葉だ。
 疑問符を飛ばすを気にもとめず、ナイトメアはに近寄って話を続けた。
「お前を、待っていた。」
「どう、して‥?」
「お前は、タナトス様の求めた力。お前は贄になれる。お前が、タナトス様を呼び戻せる唯一の人間。」
 ‥‥なに??
 何を言っているのか、すぐには理解ができなくて。
 ジワジワと頭の中に言葉が響き、言っている意味を理解出来た時、は思わず後じさっていた。
 嫌な考えが、を包む。
 ‥‥もしかしたら。
 もしかしたら、このナイトメアは、自分をここへ来させる為に、沙夜香に巣食ったのではないだろうかと。
 嫌な汗が、背中を流れる。
 勿論、それは感覚でしかないのだけれど。
「沙夜香先生を選んだのは‥‥偶然?それとも必然?」
「必然。お前はこの女だったら、間違いなく来ると思った。お前と、お前の男は、この女を気にかけている。だから、選んだ。」
「‥‥。」
 ‥‥このナイトメアは、どこかで自分達の事を見ていたのだろうか。
 そうであれば、何故気付かなかった―――?
 いや、気付けなかったのかもしれない。
 少なくとも、と弘樹は気配を察知できなかった。
 このナイトメアが微量な力しか持っていなかったか、または、気付かせないほどの力の持ち主かのどちらかだろう。
 自身がきちんと戦える訳ではなかったが、とにかく、出て行ってもらわなくてはいけない。
 攻撃するつもりは毛頭なかったが、構えた途端、相手の声色が変わった。
「私を攻撃したら、この女の深層意識を破壊する。」
「っ‥‥。」
 これは、弘樹も安易に手が出せない‥。
 冗談を言うほど、ナイトメアが生ぬるい相手でないのは、今までの経験上重々承知だ。
 それに‥‥このスティールワイヤー似のナイトメア、
 最悪な気配をかもし出している。
 ‥‥‥タナトスのそれに凄く近い、空気。
「‥‥‥‥‥‥なにが、望みなの。」
「お前はもう気付いているのではないか?」
 そう、なんとなく、言わんとしている事が判る。
 どうしてだかは判らなかったけれど、多分、直感で。
「‥‥‥‥望みはお前。」
 ドク、と心臓が跳ねた。
 沙夜香のイデアに入った時から、微妙に感じていた違和感の正体‥‥‥‥。
 呼ばれていたのは、自分。
 取り憑いたと見せかけて、沙夜香を眠らせただけにとどめたのは、誰よりもを求めての事‥‥。
「私が、タナトスを呼び寄せるなんて高等技術持ってると思うの?大体、彼はもう消えて――」
「技術は必要ない。お前の存在が必要なだけ。」
「‥‥‥‥。」
 タナトスを呼び戻す‥‥‥‥。
 そんな事、出来るのだろうか。
 彼は確かに消滅したはずで。
 その彼を、物質界に再生させるなんて芸当‥‥‥‥出来るはずないのに。
「あなた、普通のナイトメアじゃないみたいだけど。」
「私は、タナトス様の力の一滴。バラバラになったあの方の意識を取り戻し、もとあるべき姿へ戻る。」
 ‥‥‥‥もとあるべき姿‥‥という事は。
「貴方も、タナトスの一部なのね?」
「そうだ。」
 タナトスは、消滅させたと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。
 彼の意識は物質界を漂い、再生の時を待っている。
 そして、これがその第一歩、という訳だろうか。
 協力しなければ、沙夜香の命がない。
 深層意識を破壊されれば、ただの人形のようになってしまう。
 協力すれば‥‥‥‥タナトスが蘇る‥‥。
 どちらをとっても、悪夢には違いない。
「お前に危害は加えない。身を差し出せば、この沙夜香という女からも出て行く。」
「‥‥その言葉に、嘘偽りナシね。」
 こくり、と大きく、ゆっくり頷くナイトメア。
 は、ナイトメアの後ろで目をつぶって倒れている沙夜香を見つめた。
 ‥‥啓介の、元彼女。
 そして、今も彼女に近い状態の女性。
 多分、一生彼の記憶に根を張って、その記憶が呼び起こされるたびに比較される。
 それを凌駕するぐらい好きになってもらいたかったけれど‥‥どうやら、望みはかなわないようだ。
 自嘲気味に笑い、ふぅ、と息を吐く。
 ‥‥‥‥啓介に、絶対大丈夫だと言った。
 その言葉を、嘘にするわけにはいかない。
 大好きな人。
 一度、沙夜香の兄‥‥自分の上司を失って、絶望を味わった。
 また、同じ思いをさせたくない。
 たとえ自分がいなくなっても、沙夜香が支えてくれる。
 沙夜香のイデアに入る時から、覚悟していた。
 だから‥‥‥‥だから、最後に名前で彼を呼んだ。
 啓介、と。
 ‥‥最後にするつもりはなかったのだけれど、本当に最後になってしまった。
 ナイトメアと向き合い、目線を合わせる。
「約束して。沙夜香先生や皆に、危害を加えないって。‥‥それから、最後に弘樹と話をさせて。」
「判った。」


!」
 ナイトメアと話がついて暫く後、弘樹がやってきた。
 すぐさま臨戦態勢に入るが、がそれを止める。
、どうしたんだよ、ナイトメアを払わないと‥‥。」
「あのね、弘樹‥‥もう、大丈夫なの。」
「?」
 何が大丈夫なんだよと目線で訴えるが、は少し悲しげな笑顔を向けて、一言、「大丈夫だから。」とだけ告げた。
 ‥‥‥‥が、こんな風に大丈夫、というときは大抵何かがある。
 無茶をする前触れといってもいい。
 前々からの経験で、よく判っていた。
「‥‥‥弘樹、私は、大丈夫だよ。心配しないでね。ずっと、皆と一緒にいるから。」
「な、何言って‥‥‥‥」
「それと‥‥啓介‥‥に、沙夜香先生とヨリ戻してって。」
「なっ!!」
 すぅ、と弘樹の意識が薄まる。
 その異変にすぐ気付き、の腕をしっかりもうとしたが‥‥意識が急浮上してしまう。
 沙夜香のイデアから、はじき出されるみたいに。
!?」
「‥‥お休みなさい、皆。」
 その言葉を最後に、弘樹は押し出されるようにして、目覚めへと向かっていった。
 弘樹が自分のイデアに戻った事を確認すると、は一つ息を吐き、今度は沙夜香の元へと向かう。
 倒れている彼女に一礼し、ナイトメアと対峙する。
「‥‥それじゃあ、いいよ。」
「‥‥‥‥。」
 ナイトメアが頷く素振りを見せる。
 その姿が消えた瞬間、は自分の意識を奪われる感覚に陥った。


 私、大丈夫だよ。
 約束‥‥ちゃんと、守ったでしょ?
 沙夜香先生を、助けるって。
 ‥‥‥どうか、お願い。
 私の事を‥‥、私っていう存在がいた事を‥‥忘れてしまわないで―――。
 ねぇ、聞こえてる?
 啓介――‥‥。


 沙夜香の目が、痙攣して、ゆっくりとまぶたを開いた。
 自分が何処にいるのか、一瞬判らなかったのだが‥‥啓介の心配そうな顔で、自分に何が起こったのかを思い出す。
 慌てて起き上がろうとして、頭痛の為に顔をしかめる羽目になってしまったが、身体のほうに異常は全くない。
「沙夜香!!‥‥よかった‥‥助かったんだな‥‥。」
 啓介は沙夜香の手を握り、彼女が無事に戻ってきてくれた事を喜んだ。
 しばらくして、弘樹も目覚める。
 茂も、ホッとしたような表情を浮かべた。
 だが、弘樹の様子がおかしい。
 それに一番最初に気付いたのは、聖だった。
 真剣な眼差しで、向かいにいるを見つめたかと思うと、沙夜香や啓介に声をかけるでもなく、彼女の傍に寄り、手を握って小さな声で呼びかける。
 その行動に、聖と茂が反応した。
「弘樹、何やってるんだ?」
「片山‥おい?」
 二人の呼びかけに答えることもせず、彼女を見つめ続ける。
 啓介と沙夜香も、その異常に気がついた。
 弘樹が、の肩を揺する。
 ベッドに乗っていた彼女の腕が、力なく、だらりと下へ落ちた。
 身体ごと落ちそうになり、弘樹が彼女を抱き起こして抱える。
 弘樹は半分笑っているような、悲しんでいるような‥‥複雑な表情をしていた。
「なぁ‥‥、起きろよ‥‥もう終わったろ?
 沙夜香先生、助かったじゃないか‥‥なんでだよ‥‥なんで‥‥」

「どうして、目を覚まさないんだよぉっ!!」

 叫びながら、ぎゅ、っと、を抱きしめる。
 暖かいのに。
 いつもの温もりは、そこにあるのに。
 彼女の存在が、感じられないのはどうしてだろう。
 啓介は、信じられない思いで、弘樹に抱きしめられているを見つめた。
 嘘だ。
 目を覚ますはずだ。
 沙夜香は目覚めた。
 も目覚める。
 目覚めるはずなのに―――‥‥。


 ねぇ、啓介。
 私、約束、守ったでしょう‥‥?






2002・8・15

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