消された記憶 3





 全部夢ならよかったのに。
 全部嘘ならよかったのに。
 けれど、私は覚醒した。
 約束を果たす為に。


 御剣晃は、片山弘樹と自分のもう1人の半身である片山が全てを思い出したのを察知した。
 口の端をくっと上げて笑うと、ジャケットを羽織って外へ出た。
 半身を、この手にする為に。


 一方、はずっと寝ていた為か全く寝付けず、なにか飲もうと冷蔵庫を開ける。
「…ヤダ、そういえば何もなかった…。」
 ここの所、弘樹と叔父と一緒に食事していたせいもあり、冷蔵庫の中はカラだった。
 牛乳はあるが、残念ながら期限切れしている。
 それに、なんとなくお茶系が欲しい。
「…買い行こ。コンビニなら開いてるか……。」
 もう夜中だが、己の欲求に勝てず、着替えて外に出る。
 お隣の弘樹はもう寝ている時間だろう。
 自分を朝起こす為に余り遅くまでは起きていないのだ、弘樹は。

「ありがとうございました〜。」
 深夜出勤ご苦労様、と思いつつ、お茶のペットボトルを買って帰路につく。
 マンションまでもう少し…というところに、いてはいけない人がいた。

「こんな夜更けに婦女子が1人歩きかい?」
「……ちょっと買い物に。」
 心臓は張り裂けそうになっているが、表面にはおくびにも出さず、普通に返事をした。
 御剣晃を突然目の前にした態度としては上等だろう。
「なにか御用ですか。」
 全てを思い出したにしてみれば、よりいっそう敵である。
 嫌いではないし、出来るなら倒したくない。
 なにしろ彼は、御剣晃であり、片山弘一でもあるから。
 大好きなお兄ちゃんを、この世から消したいと誰が思うものか。
「わかってるんだろう?君を迎えに来たんだよ。」
「…私は貴方のモノにはなりません。」
 見据えるようにして言葉を投げる。
 少しでも弱気を見せたら、一気に崩れてしまいそうだった。
 晃は薄笑いを浮かべ、壁によりかかって腕組をする。
 から目線は外さない。
「…君はわかっているはずだよ…君がなにを望んでいるかを、ね。」

 昔…晃、いや、タナトスに言われたことを信じるのならば、自分は弘樹と同じくタナトスに近しい存在になる。
 血の繋がりもなく、まして研究対象にされていたわけでもないが、そんな突出した力を持っているのは偶然か必然か。
 ……どちらにしても、にとっては余り嬉しくない。
「…なにを望んでいるか、ね……。」
 間違っても世界を崩壊させるのが望みではない。
 の望みは只一つ…。
 片山弘一を救うこと。

「貴方の傍にいれば、助けられるとでも?」
「僕が弘一を助けてあげるよ…君が僕のものになるならね。」
 悪魔の囁き、というのは、こういうものかとは苦笑した。
 たとえ、その望みが希薄でも、もしかしたら…という気になる。
「…、僕と来るんだ。弘一が好きだろう?」
「…………。」
 のイデアが揺らぐ。
 晃が手を伸ばした。
 その手をとれば、弘一に会えるかもしれない。
 引き込まれるように、ゆっくりとの手が動く。

 タナトスの傍にいれば、弘一兄ちゃんに会えるかもしれない。
 でも、弘樹の敵になる。

 の頭の中で、考えがぐるぐる廻る。

 弘一を助けたい。弘樹の敵になりたくない。仲間を裏切りたくない。
 自分は今、どうあればいいのかが判らない。
『…私は兄ちゃんに会いたい…でも、弘一兄ちゃんは私になんて言った?』

 晃と手が触れる直前、の動きが止まる。
 怪訝な顔をする晃に、俯いたままの
「………兄ちゃんは言ったよ。」
 手を引っ込め、晃をまっすぐに見る。
 迷いのない目を向けられ、彼は眉間にしわを寄せた。
「…“消せ”って…言った。」
「君にソレが出来るのかな。」
 皮肉気に言い放つ。
 は口唇をきゅっと結んで睨みつけた。
「君たち人間は、“情”というものに縛られるらしいからね…。」
 腹が立つが、間違ってはいない。

 ―に弘一は消せない。

 確かにタナトスが言った通りだった。
 自身、好きな人を手にかけるなんて考えられはしない。
 けれど、兄と約束したのだ。

 “弘樹を助け、守る”と。

!?」
「!?」
 声をかけられ、驚き振り向く。
 見ると、弘樹が走って来ていた。
 を庇うように、晃の前に立ちはだかる。
 晃は面白そうに笑った。
「ナイトの登場かい……。」
「御剣さん、になんの用です。」
 キッと睨みつける弘樹に、晃も視線を送った。
「…僕のものになってもらおうとしたんだが…どうやら振られたらしいね。」
 弘樹は正面を向いたままで、どういう表情をしているかには判らなかったが、目の前の幼馴染が物凄く頼りに思えた。
「……今日はこの辺で失礼するよ。…、僕は諦めない…君のその力を貰うからね。」
 微笑み、ゆっくりと歩いて行く晃。
 完全に姿が見えなくなると、弘樹は盛大な溜息をついた。
 くるっと振り向くと、の両肩をつかんだ。

「大丈夫!?どこも怪我してないよね?」
「うん、大丈夫だよ…ごめんね、心配かけて。…ナビが教えてくれたの?ここにいるって。」
 弘樹は首を横に振った。
「ううん、なんか気になっての部屋へ行ったらいないから…外かなって。」
 さすがに長年一緒にいると、行動パターンもわかるんだ、とくすくす笑うに、カリカリ頭を掻く弘樹。
「…弘樹のことは私が守るからね。」
 そのの発言に少しポカンとする弘樹だったが、なんとなく男として複雑になったのか反論しだした。
「それは、男が女に言うもんだろ?」
「いーの。」
 微笑むに、ダメだよ、と釘をさす。
「……は…僕が守るから。」
 少し顔を赤くし、でも目を真っ直ぐに向けて言う弘樹に、いつのまにか男らしくなったと感じる。
 が気づいていなかっただけで、前から男らしいのだが。

 にっこり微笑み、どちらからともなく手を繋ぐ。
 存在は自分とは違うけれど、思いは同じ2人。
 血は繋がっていないけれど、兄弟のようで。
 恋人ではないけれど、お互いをよく知っている。

「…私は弘樹を守る。」
「僕はを守る。」

 互いの言葉に互いが使命を感じ、握り合っている手に力をこめた。
 繋いだ部分から、双方の存在が流れ込む。
「…帰ろっか。」
「そうだね…。」
 手を繋いだまま、自宅へ戻る為歩き出す。
 誰にも譲れない、幼馴染を、助けたい兄を想いながら。






2001/7/5

ブラウザback