消された記憶 1




 忘れないで……どうか、覚えていて……。
(貴方は誰?)
 …、僕が消えても……。
(どうして私の名前を呼ぶの? 私は何も知らない。)
 …僕を…忘れないで……。



 すべて忘れてお眠りなさい。
 そうしなければ、壊れてしまうよ?




 メトロライナーの事故の次の日、は学校を休んだ。
 熱があるわけでもない、どこかが痛いわけでもない。
 ただ、どこか現実にいないような、ふわふわした感覚が彼女を包んでいた。
 優しくない、冷たい空気に包まれ、まるで死に誘われるようにして、はベッドに崩れ落ちた。

 …急激な覚醒が、封じられた記憶を呼び起こす。ナビにも弘樹にも分からない。
 気づいたのは封じたその人、唯1人。ひっそりと、彼女は芽吹いた。


『…ん…ここ、どこ…、私なにしてるの…?』
 マンションの一室。
 の目の前には、なぜか小さな女の子。
 …元気よく飛び出していく幼い少女は………自分の小さい頃のもの。
『な、に…どうなって……』
 そして気づく。ここは、自分のイデアの中だと。
 以前、ナビと弘樹が封印されているらしい自分の記憶を見た、と言っていた。
 確証はないが、自分もその“記憶”の中にいるのでは…と、予測をつける。
 この場合、弘樹の記憶ではなく、自分の記憶だろうが。
 も弘樹と同じく、6歳以前の記憶がない。
 だから、なぜ茂と弘樹と住んでいるのか、じつの所理由がわかってはいなかった。
 茂から聞かされた話では、両親は事故で亡くなったらしいが。
『…とにかく、あの子を追おう…。』
 出るあても見つからないし、焦ってどうにかなる訳でもない、と、腹をくくり、少女の自分を追いかける

 …小さなは、すぐ隣の家へ入っていった。
 家、といっても、マンションの一室だから、お隣の部屋、のほうが正しい言い方かもしれないが。
 は表札を確認する………
『…片山!?』
 信じられない思いで、中へ入ると…茂の姿があった。
 茂はを抱っこし、嬉しそうに笑っていた。
「おー、!弘樹の誕生日を祝いに来てくれたんだな!」
 そういいながら、の顔に自分の顔をすりつける茂。
「くすぐったいよ〜!」
 きゃっきゃっと笑うを降ろす。
「弘樹と弘一は部屋じゃないか? 行ってこい。」
 弘樹と………弘一……。
 の頭が割れるように痛くなる。
『つぅ…なに、よ…コレっ…。』
 小さなは、言われた隣の部屋へ。
 痛む頭を振りながら、その後をついていく
 部屋には…小さな弘樹と、そしてもう1人………。
 茂の話からすれば、彼が弘一……

「兄ちゃーん!」
 小さなは、そのもう1人の少年に抱きついた。
 嬉しそうに微笑み、他愛のない会話をする。
 その後、は弘樹に「おめでとう!」と頬にキスをし、隣に座った。

『…そう、弘樹の誕生日で…私はお隣に住んでいて、鍵っ子で……いつも、弘樹と…あの子と一緒に遊んでた…。』
 じわり、じわり。戻ってくる記憶。
 その記憶になぜか恐怖感を覚え、身震いした。
 この先は見てはいけないと、なにかが言う。だが、帰れない。
 見ろ、という意思が働いているかのように。

「…、僕、弘樹と約束したんだ。」
「?」

『私は知ってる…この少年を…。』
 頭の中で囁く。
 誰かがに教えている。
『…弘一…兄ちゃん…弘樹の…お兄ちゃん…。』
 心が思い出したくないと悲鳴をあげる。
 だが、目の前にあるものはそれを許さない。
「僕が僕でなくなったら、弘樹が僕を消してねって。」
 まるで、大したことでもない、という口調の弘一に寒気を覚えた。
「弘樹にしか僕は倒せない。…でも、も弘樹と僕にとても似てるんだ。」
「…??」
 小さなに言い含めるように、弘一は話を続ける。
は、たくさんの力を持ってる。だから、弘樹に協力して、一緒に僕を消して。その力を決してタナトスに渡しちゃ駄目だよ?」
「弘一兄ちゃん?」
 首を傾げると弘樹に、なおも続ける弘一。
 その場にいるは、崩れ落ちそうな自分を叱咤し、なんとか保っていた。
 足元から冷めていく感覚が、恐い。
「タナトスはの力を欲してる。もし、君があいつの手に落ちたら、弘樹はも消さなきゃいけないんだ。」
 そこで、弘樹が口を開いた。
「僕…もお兄ちゃんも消したくないよ…。」
「わかってるよ、弘樹。だから、…弘樹と一緒にいるんだよ?1人にならなければ、弘樹と力を合わせられる。」
 小さなは兄の言葉に頷いているが、内容は余りわかってはいないだろう。
 今、こうして成長したが話を聞くと、あまりの内容に寒気が増す。
 自分はタナトスに求められている、なんて、考えたくもない。
 …そして、しばらく後、茂が入ってきて飲み物を買ってくると告げ……出て行った。

『いやだ…この先は見たくないの!』
 は直感で、先を見たら戻れないと知った。
 精一杯の拒絶……目の前が真っ白になって―――…気づくと自分の部屋の、ベッドの上にいた。

「…今、何時だろう。」
 夢と現実の狭間にいるような感覚は、未だ体に渦巻いていたが、思考はしっかりしている様子。
 時計を見るときっかり13:00。
 倒れる前に見た時間は、朝7:30。
 だが、今は昼過ぎ…随分眠っていたようだと思いつつ、とりあえずは紅茶を飲むことにした。
 朝食も昼食も食べてはいないが、とてもそんな気分にはなれない
「…弘樹、恐いよ…。」
 いないけれど、つぶやいてしまう。


 自分は、またあの時間へ跳ぶだろうとわかっていた。
 誰かが、思い出せと言っている。
 もしかしたら、過去の自分がそう告げているのかもしれないし、そうでないかもしれない。
 は身震いしつつ体を両手でこすり、お茶を飲み干すとベッドに戻った。


 …また呼ばれる。
 あの、時間に…………


 ――約束だよ、
 弘樹と一緒に…………
 僕を



消して。






2001/6/9
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