真由香の想い






 片山家に電話のコール音が鳴り響いたのは、午後7時をまわっての事だった。
 夕食の最中だったのだが、電話が鳴ったので弘樹が食事を中断して電話に出る。
「もしもし…あれ、真由香ちゃん!?どうしー…え、?」
 どうやら呼ばれたようだ、と弘樹と電話をバトンタッチする。
 ご飯は中途半端だが、仕方ない。
「真由香ちゃん、どうしたの?」
お姉ちゃん…お兄ちゃんが…お兄ちゃんがっ!!』
「………え?」

「…な、なんだ…ただの風邪だったんですか。」
 と真由香は聖の研究室のベッド脇にあるイスに座り、そのベッドの上で寝ている影守聖を見た。
 余りにも真由香が切羽詰った声で電話してきたので、全部ほっぽって後の事…食器洗いとかは弘樹に全部任せて、病院へ飛んできたのだが……。
 どうやら、真由香の演技にはめられたらしい。
 まあ、“お兄ちゃんが病気で大変なの!”と聞いただけで飛んできてしまった
 自分もマヌケだが、とは思った。
 とにかく、聖が病気なのは間違いない。
 ………実に、とても、珍しいことだが。

「影守さん、大丈夫ですか?」
「ああ、大した事はない…。俺に言わせると、真由香にからかわれる、お前の脳に“大丈夫か”と聞きたい。」
「あ…あははは…」
 この毒舌があるうちは、まだ大丈夫だろうと踏む。
 真由香に聞くところによると、ここ何日間かかなりハードな生活を送っていたようで。
 殆ど睡眠をとっておらず、食事もそこそこ。
 その上、以前からの疲れもあり…ここにきて体調が一気に崩れたらしい。
 ……話を聞いていると、これで病気にならない人はハッキリ言って化け物だ。
 は乱れた布団をかけ直そうと手を伸ばす…が、聖が先に反応し、ひったくるように自分でかけ直した。
「もう…静かに休んでて下さいよう…。」
「布団ぐらい自分でかけられる…。」
 小さく咳をしながら、それでもをはねのける。
 ……最初の頃は、いちいち聖の発言に落ち込んだりしたのだが、これが彼の性格なのだと割り切ると、後は楽だった。
 元々嫌いではなかったし、モノをハッキリ言っているに過ぎない。
 なら、気にしても仕方がない事、だって本当の事なのだから。
 色々考えながら苦笑いしているに、真由香が教える。
「お兄ちゃん、テレてるのよ。」
「……テレ…?」
「真由香、余計な事は言うなよ。」
 達とは逆の方向を向いたままポソッと釘を刺す。
 ―が、そこは聖の妹。
 そんな兄の言葉1つでヘコみもしなければ、止まりもしない。
 相手は風邪とはいえ、病人なのに容赦しない真由香。
「だぁって…お兄ちゃん、さっき寝言でお姉ちゃんの名前ー……」
「真由香っ!!」
 これには聖が慌てて飛び起き、声を荒げる。
 はハテナマーク飛びっぱなしだが、真由香は実に嬉しそうだ。
「お兄ちゃんが怒ったー、うふふっ!」
「真由……ゲホッ…」
「影守さんっ!」
 少しむせると、“大丈夫だ”と言って水を飲んだ。
 真由香はまだ嬉しそう。
 兄を心配はしているのだが、まだ余裕があるのを見てとっているのだろう。
 さすが、聖の妹。
 だが、は聖が心配だった。
 毒舌もなりを潜め気味だし…医者ではないから、どれぐらいな風邪なのかも分らない。
 …まあ、聖は医者だから大体は分っているのだろうけども。
 は真由香に向き直ると、手をそっと握って優しく話し掛けた。
「真由香ちゃん、影守さんは疲れちゃってると思うから、今日はこれで勘弁してあげて?」
「えーーーーっ」
 大きな声でブーたれる真由香の声に、クラクラする聖。
 ヤバイ…熱が高くなってきたか…と考えながら2人を見ると…。
 しーっ…というように、が真由香の口唇の前で人差し指を立てていた。
「早く元気になってもらったほうがいいでしょ…?だから、ね?」
「…うん、じゃあ真由香お部屋に戻ってるから、お姉ちゃん、お兄ちゃんについててあげて。」
「うん、わかった。」
 にっこり微笑むと、真由香は静かにドアを閉めて出て行った。

 ふぅ…と溜息をつくと、聖に向き直る。
「影守さん、もう少し寝ていたほうが……。」
 ひやっとしたの手が、聖の額に当たる。
 ……心地がいいと思った。
「言われなくても、そうする。…お前はもう帰れ。」
 ごろんと横になると、今度はがきちんと布団をかけなおした。
「今日は影守さんの傍に居ますから…。」
「バカ、大丈夫だから帰れ。」
 苦笑いしながら首を横に振るに、もう一言いおうと思ったのだが、これ以上無理すると頭痛が激しくなりそうなのでやめた。
 用意してあった水桶でタオルを濡らして絞り、聖の額の汗を拭いてやる。
 …余計な事をするな、と言ってやりたかったが、の真剣な表情を見て口をつぐむ。
 それに、凄く安心してしまう自分がそこにいて、なんとなくテレる。
 …無論、表情はいたっていつものままだが。
「薬とかは…。」
「とっくに飲んだ。」
 じゃあもう夕食は済んだのだな、とあたりをつける。
「……心配…したんですから。」
「…?」
 見ると、は俯いていた。
 手を伸ばし頬に触れると、少し潤んだ双眸が聖を見た。
「ナイトメアにでもやられたか…事故にでもあったのかと思って…。」
 なんの心配をしているんだ、こいつはと呆れるが、心配してくれた事自体は不快ではない。
 …そういう心境になる自分に驚いてしまうが…自覚症状がある以上、その心を否定する気もない。
 否定したからといって、に対する気持ちがおさまるとも思えないしな…と、内心苦笑いをこぼした。
 真由香がわざわざナースセンターの電話を使ってまで、を呼び寄せた理由も判っている。
 ……素直じゃない兄のために、お膳立てをしたのだ、真由香は。
「俺がそんな…ヘマすると思うのか?」
「思いませんけど…心配しますよぉ…っ」
 そういうと、聖のベッドにに突っ伏した。
「な、なんだ!?」
「風邪でよかったですけど…でも、早く良くなって下さいね。」
 微笑みながら視線を送って来るに、愛しさがこみあげる。
 …反応しない聖に不安を覚えたのか、顔を彼に近づけた。
「…お前、他の男の前でもそんなに無防備なのか?」
 聖の言っている意味がわからない
「…ムボービ?」
 …自覚症状なしか、こいつは…と深く溜息をつく。
「そんなに寄ると、キスしたくなるぞ?」
「!!」
 聖の一言に、バッと離れる。
 これが風邪っぴきでなければ、無理矢理にでもその口唇を奪っていたのだろうが、なにしろ今したら、風邪がうつらないとも限らないので止めておいた。
「…もう、いいから寝てください。」
「医者に命令か、いい身分だな。」
「う……スミマセン。」
 悪いことをしている訳でもないのに、謝ってしまう。
 聖に対しての、と弘樹の共通態度。
「…じゃあ、少し寝る。」
「お休みなさい……アレ?」
 左手に暖かい感触があり、見ると聖がしっかりの手を握っていた。
 当の聖は既にイデアの中。
 “帰れ”とか行っていたくせに、これでは帰れる訳がない。
 ……こういう所、可愛いんだよね…と思いはしても、口にはしない。
 口にしたら最後、後々何をされるかわかったものではない。

 トントン、とノック音がし、真由香が入ってきた。
 手にちょっとした夕食がのっているトレーを持って。
「お兄ちゃん、寝たの?」
「うん、寝たよ。…それ、どうしたの?」
 の隣にイスを持ってきて座る真由香。
「お姉ちゃん、ご飯の途中だったんだよね。」
 ……そういえばそうだった、と思い出すと、急にお腹が減ってきた。
 弘樹から電話があったらしく、それを受けて気のいい看護婦さんが残り物を持ってきてくれたのだそうだ。
 ありがたく、頂戴することにする。
 ―――が、左手は聖に奪われているので、右手のみで食べている為に少々おぼつかない。
「…お兄ちゃんてば…手を掴んでるのね。」
「病気の時って不安になるからね…どんなに強い人でも。」
 わかる、と頷く真由香。
「お姉ちゃん…お兄ちゃんのこと…好き?」
「そだね…ちょーっとサクサク痛い事言うけど、好きよ?」
「よかった…あとでお兄ちゃんに言……」
「ダメっ!!」
 ちょっと大きな声を出してしまい、慌てて口を抑えた。
「真由香ちゃんと私の、女の約束、だから、だめ。」
「はぁい。」
 実につまらなそうな真由香。
 はホッとして、聖を見た。
 …好きだとは思うのだが、告白なんかしたら嫌われそうで言い出せない。
 もう暫く、このままがいいんだと自分を納得させる。
 少なくとも、自分がきちんと気持ちの整理をつけられるまでは言わない方が良さそうだ。
 そう思いながら、聖の手をきゅっと握った…。

 ―――その翌日。

 風邪の治った聖に、真由香が“女の約束”を破って言ってしまう。
 ……真由香いわく、“真由香は女、ではなく、女のコ”なんだそうで…。
 さすが、聖の妹だと苦笑いするほかないだった…。






2001/8/23
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