Inside Blue 8 JUNE・16 診察室らしくMRIやレントゲンの結果などがボードにかけられている。 整理されているデスクの上で起動していたパソコンに指を走らせ、電源を落とし、影守と呼ばれる医師はデスクチェアに腰を据えた。 と弘樹も視線で椅子に座れと勧められ、診察用らしい椅子に座る。 「あの……助けてくれて、ありがとうございました」 ぺこりとお辞儀をする。弘樹もそれに倣った。 影守医師はため息に似た息をつく。 「俺が通りかからなかったらヤバかったぞ。……御剣恭太郎に楯突くとは、馬鹿だろう、お前ら」 鋭い瞳に暖かな笑み色が浮かぶ。 「とにかく、自己紹介ぐらいしたらどうだ」 名乗っていなかったことに気付き、弘樹が慌てたように口を開いた。 「僕は普通科2年の片山弘樹、こっちは同じくで、僕らは幼馴染なんです」 「俺は医学科3年の影守聖だ。お前たち、朝倉優美と一緒にメトロで事故に遭ったんだろう?」 状況を詳しく教えろと言われ、は弘樹を見やった。 ナイトメアが優美に寄生していると素直に言って、信用してくれるだろうか。 同じことを弘樹も感じたのか、言いよどむように俯いている。 「……どうした、言えないのか」 すぼめられる瞳に弘樹は肩をすくめている。 は聖を信用して話していいと思っているが、弘樹が嫌なのであれば口を噤んでいるつもりだった。 弘樹が黙っているとは思えなかったから、悠長に構えていたのかも知れないが。 案の定、彼は聖にメトロライナーの中で起きたことを話して聞かせた。 自身の能力を隠したままで。 言えば、の能力のこともばれてしまうからという、弘樹の配慮からだった。 ナイトメアなる存在に襲われ、優美が寄生されて意識不明になったことを話し終える。 それこそ虚言癖か何かあるのではないかと思われるような内容であったのだが、聖はひとつため息をつくと、 「ナイトメア症候群だな」 とだけ言った。 は首を傾げる。 「なんですか、それは」 「わかりやすい所では、原因不明の昏睡、人格崩壊、外的要因を伴わない出血などだな。症状が大挙してやって来ることもあれば、どれか一つに留まることもある。総称として、ナイトメア症候群と言っているんだ」 「……それで、治療方法は」 の質問に、聖は一瞬間を空ける。 よくない返事が返ってくると、それだけで察知できてしまう。 「ナイトメア症候群の治療法は確立されていない。はっきり言えば、手を出した所で特に意味がないとすら言える。回復確率は、大よそ3%以内だ」 矜持を傷つけられたような表情の聖に、弘樹が食って掛かる。 「先生は優美ちゃんを見捨てるっていうんですか!?」 「弘樹!」 言い様に、は思わず鋭い声を上げる。 優美が心配なのは分かるが、医師に対して余りにも失礼だ。 自分の患者を見捨てるような医師がいるはずがないし、いてはならない。 少なくとも、聖は一度引き受けた患者を放り出すタイプに見えなかった。 「影守先生が本当に優美ちゃんを見捨てるつもりなんだったら、私や弘樹に事故状況や原因を聞いたりしないでしょ。心配なのは分かるけど、ダメだよ。不安を人にぶつけたって意味がないんだから」 「……すみません、先生。ごめん、」 素直に言う弘樹に、聖の鋭かった瞳がやんわりと閉じられる。 感情を制御するのが上手い人なのかな、とは思った。 彼は鼻を鳴らす。 「……まあいい。俺も全力を尽くすが」 「僕もなにか考えてみます」 「私も頑張ります」 力強く言う弘樹とに、聖は口の端を上げて笑んだ。 「ま、適度に期待しててやる」 正門が既に施錠されているため、聖の案内で関係者用の出入り口から出た弘樹とは、茂によって出迎えられた。 2人が御剣長官に吼えているのを見ていたらしいが、だったら助けてくれたっていいのに、と思ってしまう。 「おい、2人ともオレを心配させて腹ペコにした罰だ、なんか奢れよ」 「ええー!?」 不満の声を上げるの声に、男性の笑い声が被さった。 「嘘ついたら駄目だよシゲさん、さっき俺にハンバーガー奢らせて食っただろ?」 「チッ……五十嵐か」 茂の後ろから歩いてきた緑系色の上着と青系ズボンをはいた男性は、たちの側に歩み寄る。 誰? と疑問を浮かべるに、彼は笑みかけた。 「初めまして。弘樹くんにちゃん。俺は五十嵐啓介、カメラマンさ」 「あっ、初めまして! 片山です」 「弘樹です」 2人で丁寧にお辞儀をすると、クスリと笑われた。 挨拶したのに笑われるのは、非常に不本意なのだけれど。 「ははっ、幼馴染と聞いてるけど、兄妹じゃないかと思える行動だね、息ピッタリだ」 「それよりお前ら、ナイトメアがどうのって騒いでたのは本当か?」 茂が眉を潜めて聞いてくる。 答えようとしたを啓介が遮った。 ここでは科学庁の連中に見つかるかも知れないから、送っていくついでだし、車で話そうと。 誰も文句はなく、啓介の黄色いスポーツカーに乗り込んだ。 「それで、どういうことだ」 助手席に乗っている茂が、後ろの2人を見ながら言う。 「……ナイトメアを見たんだ。本当に」 「私も見た。嘘じゃないよ」 茂は「そうか」とだけ言い、口を噤んだ。 「ナイトメアが見えたってことは、2人とも素養があるんだな」 「素養?」 啓介の言葉に弘樹が疑問色の濃い言葉を投げる。 茂が呆れたように、2人に基本的なことを教えてやれと啓介に告げ、彼は了解した。 「奴等は誰にでも見える訳じゃない。素養がある人間のことを、俺たちは『カオス』と呼んでる。ちなみに、月刊うむ調べだ」 侮り難し、月刊うむ。 ナイトメアを紙面に飾ったり警句を書き散らしたりしているが、嘘っぱちではなく、本当に取材をして調査しているのだろう。 案外まともなんだなあと、今更ながらには思った。 啓介は更に言葉を続ける。 「カオスは、所謂超能力を使えるらしい。なんでも、世界を救う力だとか」 『ボク、カオスって言葉は聞いたことがあるなあ』 弘樹と、両方に向けてナビが言葉を投げる。 ナビ、いつの間にか月刊うむを読んでいたりしたのだろうか。 当然ナビの声が啓介に届くはずもなく、彼の説明は続いている。 「君達が食って掛かったのは、御剣恭太郎。BG設計当初からの総責任者で、現在も運営の全てを指揮している。ちゃん、警察と科学庁ではどちらの権力が強いと思う?」 「普通に考えたら、警察なんですよね」 うん、と啓介は声で頷く。 普通は相手が科学庁であれ、強制執行の書状があればどこでも探しものができる――はず。 黙っていた茂が、ほんの少し不快そうに言う。 「この都市は普通じゃない。科学庁は都市の全てを掌握している。――警察だろうがなんだろうが、全ては科学庁の手の内ってとこだ」 「そう、だから科学庁の極秘扱いに手を出す奴や、御剣恭太郎のブラックボックスに手を出すブンヤは、行方不明や事故でいなくなるってわけ」 恐ろしい事を言う啓介。 「五十嵐さん、あの、ブラックボックスって?」 弘樹の質問に啓介は少し言葉を止めてから答えた。 「例えば、どうして彼がこの都市を運営することになったか。栄えある功績があったからだそうだが、その功績が見当たらない。 都市の殆どを動かしている、リバースエナジーというエネルギーの正体は? ナイトメアなんていう存在は本当にいるのか。――どれも、奴のブラックボックスだ」 つまり、科学庁に不利益なことを喋くりまわると、存在を消される可能性が大いにあるということだ。 ついでにとばかりに、リバースエナジーの話に及ぶ。 リバースエナジー。 人体に完全に無害かつローコストの、未来のエネルギー。 科学庁内にある、リバースエナジー・リアクターから、全てが生産されているらしいが、そのリアクターを見た者はいない。 見た者は消されてしまうのだろう、というのは茂と啓介の持論だが。 科学庁の中でも極秘扱いで、扱いには最新の注意が必要。 リバースエナジーと、ナイトメアの因果関係を疑る者も多々あるが、科学庁に監視されているため、なかなか動きが取れない。 茂や啓介は、ナイトメアの存在を啓発しているが、それは『うむ』の特殊性があるから見逃されているに過ぎない。 (確かに、あんなオカルト雑誌に茶々入れても、科学庁の方が笑い者になりそうだしね……) と弘樹は同時にそんなことを思った。 そういえば、科学庁がらみでもう一つ、聞いておきたいことがあった。 「五十嵐さん、晃って呼ばれてたあの人は誰なんですか?」 「御剣晃。若干17歳にして科学庁秘書官を務めている。御剣恭太郎の息子だが、実子じゃなくて養子だそうだ」 「17歳ってことは……学校には行っていないんですか?」 弘樹の問いに茂が頷く。 「まあ、アカデミアに名ばかりの在籍をしてるようだがな。御剣恭太郎の代理を務めていることが往々にしてある……っていうが、実際はこいつが科学庁の全てを統治してるらしい。 リバースエナジーの研究も、本当は御剣恭太郎ではなく、晃の方がしたっていう噂だ。まあ、本当だろうな」 つらつらと並べられる茂の言葉を耳にしながら、は俯いた。 あの人が? 確かに科学庁の制服を着ていたけれど――でも、なんだか話に聞いている科学庁と、彼のイメージが繋がらない。 ナイトメアのことも、科学庁とて一枚岩ではないから、公の場では言わなかっただけなのかも知れないが、啓介や茂の話を聞いていると、実は晃の方が科学庁の親玉みたいに聞こえてくるし。 俯いているを心配してか、弘樹が手を握ってくる。 「気持ち悪いのか?」 「ううん、違うから……大丈夫だよ」 「そういえば、シゲさんは御剣晃の資料を、たんまり持ってたよな?」 茂は余計なことを言うなと啓介に告げ、口を噤む。 ――どうして叔父さんが、あの人の資料を。 科学庁絡みだからだろうか。 「ところでお前たち、本当にナイトメアが見えたのか」 信用していないのか、それとも単なる確認なのか、聞いてくる茂に弘樹とは同時に言う。 「「見えたよ」」 「……そうか」 戻ってきた声には、失笑が混じっている気がした。 妙に説明臭い回でした(笑) 2007・3・6 戻 |