Inside Blue 7




 JUNE・16

 ブルージェネシス総合病院に運び込まれた優美は、即刻、面会謝絶になった。
 も弘樹も、メトロライナーの脱線から始まった流れるように過ぎていく事態に、少々思考が追いついていかない。
「……優美ちゃん、大丈夫かな」
 弘樹がこぼしたひと言に、は返答する術を持たなかった。
 ナイトメアが寄生したというナビの言葉を信じるならば――信じる他ないのだけれど――朝倉優美の精神活動は、最早彼女のものではなくなっている。
 友達を、こんな異常な状態で失うのは初めてだ。
 ナビは、ナイトメアなどの意識体は物質界にいるだけでエーテルを消費するから、そのために人間の身体――人のイデア――が必要なのだと言う。
 言っているナビも、高次元意識体であり、やはり弘樹のイデアに住んでいなければ消えてしまう。
 ナイトメアはナビのように共生ができない。
 宿主を喰らいつくしてしまうから。
 ――つまり、放っておけば優美はあのナイトメアに、完全に喰らわれてしまう。
 揺るぎない事実として目の前にある事柄。
 怒りとも悲しみともつかない感情が、胸の内に燻っている。


 優美の病室に程近い椅子に座り、開くはずもない優美の病室の扉を見つめる。
 弘樹も思考が空回りしているのか、無言のままだ。
 列車事故での影響からか、目の前を看護士や医者が走り回っている。
 慌しい中で自分たちだけが停止ているみたいだ、とは思った。
「……弘樹、私、なにか飲み物買って来るね」
「……」
 立ち上がろうとしたの手を、弘樹が掴んだ。
 どうしたのと問う目を向ければ、不安が入り混じった――けれど強い視線が返って来た。
「ここにいろよ。――頼むから」
「弘樹?」
 強い音を含んだ声に、は首を傾げる。
 手を離す気配が全くないので、仕方なく椅子に腰を戻した。
 椅子に座っていて尚、手は繋がれたまま。
 彼はがこの場を動く事を、否、自分の傍を離れるのを恐れているように思えた。
 ――無理もない。
 ナイトメアは、エーテル放射の強い人間を好む。
 つまり覚醒者を、より好んで襲ってくる。
 も弘樹も覚醒者。
 だから――。
(弘樹は、私が弘樹が知らない所で、ナイトメアと対峙するのを怖がってる)
 優美が寄生された様を見た今は、尚のこと。
 は彼の手を握り返した。
 手の温もりは暖かで、不安で凝り固まった心を少しずつ解してくれた。
 走り回る看護士たちの姿を何度か見送っていると、ふいにざわついた音が近づいてくるのに気付き、は音の聞こえる方向へ視線を向ける。
 報道陣が大挙――とまではいかないが、少なくとも通行の邪魔になる程度には集まっている。
 誰かの話を聞いているらしく、メモを取っている者が大半だ。
 カメラは持ち込み禁止なのか、見る限りではいない様子。
「……弘樹、もしかしたらこっちに来るのかも知れないよ」
 もう少し優美を待つにしろ、この場所でない方がいい。
 2人は立ち上がり、報道陣の端を抜けて行こうとした――。
 メトロライナーの事故の話を聞くまでは、そうしようと思っていたのだけれど。


「それでは御剣長官、先ほど起こった事故は、学生の悪戯が原因だと仰るのですか?」

 入って来た記者の質問に、と弘樹は思わず足を止めた。
 そのまま通り過ぎてしまうには余りにも事実とかけ離れた言葉で、2人は顔を見合わせて記者たちの間に半ば割り込むようにして入り、言葉を漏らさず聞く。
 カーキ色の服を着た――科学庁の制服らしい――少々腹の出た男性が咳払いをし、乱れ飛ぶ記者の質問に制動をかける。
「心無い学生によって、今回のような事故が起きたことを、科学庁長官として遺憾に思います。事故についての説明は秘書にしてもらいますので、質問などはそちらへ。――晃」
「はい」
 あっ、と思わず声を上げそうになり、は思わず手で口を抑えた。
(あのひと……私に、超能力の使い方を教えてくれたひと……。晃っていうんだ)
 赤茶色の髪に青い瞳。
 彼も『御剣長官』と呼ばれた人物と同じ制服を着ている。
 それで彼が科学庁の人なのだと知る。
 意外な感じがした。
 あの人は自分と変わらない年齢のように、には思えたから。
 彼は、目をに向けた――ようだった。
 それはほんの一瞬だったけれど、青い瞳が深い色になり、細められた気がした。
 ――ぴり。
 指先に走る、微かな刺激。
 目視してみても特になにがあるわけでもない。
 なんなんだろうと思いながらも、は彼に視線を戻した。
 彼はになにを言うでもなく、事故の調査結果を話し始めた。
 その内容たるや、弘樹も、勿論も目を丸くしてしまうもので。
 事故の原因は、学生の悪戯。
 怪我人は現在ブルージェネシス総合病院――つまりここ――で治療中。
 科学庁としては犯人を総力を挙げて見つけると言うが。
 は知らず眉根を寄せる。
 犯人を見つける?
 犯人はナイトメアだ。
 覚醒していないと見えない。
 御剣長官はどうか知らないが、しかしあの人――晃と呼ばれた彼は、に覚醒能力の使い方を教えた張本人。
 ナイトメアが見えていないはずがない。
 弘樹とは同時に目を合わせる。
 どちらともなく頷き、取材陣を押しのけて御剣長官と晃の前に出る。
「「待ってください!」」
 2人同時に声を上げた。
 晃は驚かず、その態度が当たり前のように、ひた、と2人を見つめている。
 冷たい視線は、あの時とは全然違って。
「事故は……事故は悪戯のせいなんかじゃありません! ナイトメアのせいなんです!」
 弘樹が力強く言う。
 御剣長官の顔が明らかなほどに歪んだ。
 晃の方は驚いてはいない。
 言うことが分かっていたかのよう。
 彼は小さく笑み、
「ナイトメアなんていうものは幻想だよ、存在なんてしない」
 いけしゃあしゃあと言ってのける。
 彼は知っているはず。
 立場があるのかも知れないし、他の理由からそんなことを言ったのかも知れなかったが、弘樹が貶められたような気がしては思わず声を荒げた。
「あなただって知ってるでしょう、見えてるはずだよ! なのにどうしてそんなこと言うの!」
 晃の視線がを射抜く。
 真っ直ぐに見返す
「……僕が、どうして見えると?」
「だって、あなたが私に」
 言葉を発しようとしたより早く、御剣長官の怒りに満ちた声が割り込んできた。
 突き飛ばされて倒れそうになったが、弘樹が支えてくれたことで難を逃れた。
 憎々しげな表情で睨み据えられる。
「戯言はごめんだ! ――そうか、お前たちのどちらかが、事故を引き起こしたんだろう!」
 なにを言い出すんだ。
 は目を瞬かせた。
 これが、科学庁のやり口なのだろうか?
 驚いていると、弘樹がを庇うように前に出る。
「僕たちは嘘をついたりしてませんし、事故だって起こしてない! なんでだよ、ナイトメアは本当にいるのに――おかしいよ、こんなの!!」
 からしてみれば最もな叫びは、御剣長官の更なる怒りを買った。
 すぐ側にいるのだから叫ぶ必要はないのだが、怒号にも似た声色で、長官は晃に命令する。
「こいつが事故を起こした張本人に違いない。さっさと逮捕させろ」
「……」
 命令された晃は従順にそれをこなすのかと思いきや、不快感を露わにした表情を浮かべた。
 眉根を寄せ、嫌悪にも似た雰囲気を纏っている。
 は不思議に思いながら彼を見つめていた。

「おい、こんな所に居たのか」

 ふいにかかった声に、は後ろを向く。
 濃い青色の髪に金の瞳。
 先日、がぶつかってしまい、少し話をした人がそこに居た。
 どうして白衣を着ているのかと思い、医者だったのかと思い当たる。
「……影守か」
 晃が呟く。
 影守と呼ばれた男性は、鼻白んだように視線を晃に向けた。
「うちの患者になにか用か。こいつらに何を言っても無駄だぞ。誇大妄想に虚言癖のある奴らだからな」
 全く身に覚えのない病状を言われ、の頭の中が疑問符で埋まり出す。
 もし本当に医者なら(医者でなければ、病院用のIDカードなんて身に着けていないだろうが)、いくら大病院とはいえ、自分患者を間違うようなことはしないだろう。
 では、何故そんな嘘をつくか――違うかも知れないが、考え付く所はひとつ。
(――助けようとしてくれてる)
 ちょっと待ってください、と尚も言う弘樹の裾を、くい、と引っ張る。
 彼にだけ聞こえるような声で「だめ」と呟いた。
 少し考え、納得しないまでも了解してくれた弘樹が口を噤むと同時に、御剣長官が2人の今までの行動を鼻で笑い飛ばした。
「ふん、やはり嘘をついていたんだな。君たちの言葉に付き合っていられないんだよ。マスコミにも誤解がないよう、きちんと訂正してもらいたいものだね!」
「そこまで動揺すると、逆に疑われると思うがな」
 冷えた声。
 医者の彼は御剣長官を鋭い瞳で見据えた。
 は影守医師の前に立つ。
 彼は関係ないのだから、非難を浴びさせるような真似はしたくなかった。
「……長官、落ち着いてください」
 晃の静かな声がかかり、長官を抑える。
「容疑は晴れたようですし、これ以上の問答は不要だと思いますが」
「そういうことだ。失礼する」
 影守医師はの手を引っ張り、は弘樹の手を引っ張って移動した。
 訳が分かっていない弘樹。
 はこっそり言う。
「弘樹、今はだめ。静かにしてようよ」
「――分かったよ」
 うな垂れる弘樹。
 それにしても――晃というあの人は、一体どういうつもりなのだろう。
 疑問を煮詰めて考える間もなく、影守医師の目的の場所に到着した。
「入れ。俺の診察室だ」



いろいろありつつ、進んでいきます。

2007・2・19