Inside Blue 6



 JUNE・16


 身体がきしりと痛む。
 なにかの重みが腰と背中にあった。
 いつの間にか閉じていた瞳を開くと、白いシャツが目に入る。
 微かに上を向くと――弘樹が瞳を閉じたまま、半分覆い被さるようにしてを抱きしめていた。
 眉を潜めたまま瞼を閉じている彼の頬を軽く叩く。
「ひ、弘樹……弘樹、起きて……起きてよ」
 目を周囲に走らせると、メトロライナー車両の中にいることに間違いはなかった。
 よくは分からないが、非常灯だけが点いているのか、緑色の薄い光が不気味だ。
 窓の外は真っ暗で、いつもの薄空色の色彩は全くない。
 トンネルの明かりすら消えているのかも知れなかった。
 目覚めない弘樹に泣きそうになりながら、はもう一度彼の頬を叩く。
「お願い、弘樹……起きて」
 外傷は――見える範囲では――ないように思えるのだが。
 何度か頬を、胸を軽く叩いていると、彼の瞼が痙攣した。
 ゆるりと瞳を開いた弘樹を見て、とりあえずは安堵する。
「……
「よかった、弘樹」
 彼はから手を離し、ふらつかないよう床に手を添えるとゆっくり起き上がる。
 も起き上がった。
「弘樹、怪我は」
「ないよ。は?」
 ない、と首振る。
 立ち上がろうとした弘樹が顔を歪めた。
「痛いの!?」
「す、少し背中を打ったみたいだ」
「……ごめん。私のこと庇ったからでしょ、それ」
 段々と状況を思い出してきた。

 メトロライナーに乗って良太のことを話ていると、ナビが、このままだとエーテルの固まりにぶつかって車両が脱線するから、早く逃げろと言い出した。
 だからといって走行中の電車から出る術はなく、緊急停止を促す暇もなく。
 おろおろする暇もなく、列車はエーテルの固まりに突っ込んだのか、激しい衝撃を受けた。
 どこにも掴まっていなかったは、衝撃に抗いきれなかった。
 足が床から離れそうになった瞬間、弘樹が庇うように抱きしめてきて――そこから先の記憶はない。

 は、弘樹が、自分が受けるべき殆どの衝撃を受け止めてくれたことに、こんな状況の中だけれど、嬉しく思った。
 嬉しいけれど、申し訳ないとも思う。
 幼馴染を怪我させて嬉しい奴なんて、いないと思うけれど。
「庇ってくれてありがとう。ごめんね、痛いよね」
「そんな心配することないよ。動けるしね。後で湿布でも張っとくから」
『イデアにも問題ないし、そんなに心配することないよ、
「そういう問題でもないんだけど……それより、これって一体……」
 改めて周囲を見回し、は拳をぎゅっと握る。
 暗闇の中、乗客たちは身じろぎもせずにいる。
 椅子に座ったままぐったりとしている人、床にひれ伏している人――。
 その誰もが瞳を閉じている。
「……ん、ん」
 が、扉付近に倒れ込んでいる優美を見て駆け寄る。
 弘樹も心配そうに覗き込む中、彼女はゆっくり目を開いた。
「よかった、優美ちゃん、無事だったんだね」
ちゃん……弘樹くん……。どうなってるの?」
 周囲の状況を見て、顔を青ざめさせる優美。
 弘樹の手を借りて立ち上がった彼女は、不安気な瞳をあちこちに走らせている。
 それにしても、物凄く薄暗い。
 電気が通っていないからなのか――しかし、非常灯の明かりが歪んで見えるのは何故だろう?
 自分や弘樹、優美だけしか目覚めていない状況も異常だ。
 そしてもう一つ。
「弘樹……さっきから、なんか霧みたいなのが見えてる気がするんだけど、私の気のせい?」
『気のせいじゃないよ』
 答えたのはナビの方。
 弘樹の中から抜け出てくる。
 薄暗い中で、ナビの姿は光って見えている。
「きゃ!」
「ゆ、優美ちゃんナビが見えるの!?」
 驚く弘樹に、ナビはむっとしたような顔をした。
『だから、彼女は覚醒してるって言っただろ!? まったくもう。それより、3人とも早く逃げた方がいいよ。覚醒してるとナイトメアに狙われ易いはずだ』
 覚醒者はナイトメアに狙われ易いとは初耳だ。
「待ってよナビ、別にここにナイトメアはいないじゃんか」
 言うと、ナビは耳を下げた。
『この辺、凄く薄暗いだろ。景色が歪んでもいる。つまり、エーテル飽和が起きてる……物質界に不必要なほど濃いエーテルが充満してるんだ。ナイトメアはエーテルに引き寄せられる。その近くにいる君達は、格好の餌なんだよ』
「――ナビ、もう逃げるには遅いみたいだよ」
 弘樹が引き攣った声を出した。
 目の前に現れたのは――がこの間見たそれより、格段に大きい。
 全長2メートル近くはあるだろうか。
 ワイヤーのような物で胴体と腕ををくっつけ、胸部と思わしき部分に揺らぐ翠色の球体を持つナイトメア。
 は怖がりながらも、けれど怖がるのは後でだと自分を叱咤し、優美と弘樹の前に立つ。
「弘樹は優美ちゃんを守って」
「な、なに言うんだよ! 僕も――」
「きゃあっ!」
 一瞬の隙をついて、ナイトメアの攻撃が優美をかすめる。
「優美ちゃん! このっ……」
 かっと頭に血が上る。
 昨晩、見知らぬあの人に教えてもらった感覚を思い出し、はナイトメアに向かって手を凪いだ。
 凪いだ箇所を青白い光が走る。
「ブルーレイ!」
 無意識について出た言葉。
 その瞬間に、青白い光の線は小さな球になり、ナイトメアの身体を真っ直ぐに貫く。
 オォン、と空気を震わせて啼き、敵の手から光が弾けて飛んできた。
 狭い車内。
 逃げ場は殆どなく、また、逃げれば優美にあたると分かっていたは、ぐっと身体に力を込めた。
「スペクトラルドーム!」
 完全に当たると思われた攻撃は、けれどの前に現れた壁に弾かれ、消える。
 驚いて横を見ると、弘樹が小さく笑んだ。
、僕らは一緒だろ? 無茶ばっかするなよ」
「……ありがと」
 ふわり笑む。
 弘樹はナイトメアを見据えると、手の平に光を集める。
「ルナティックアロー!」
 一気に放出した光は弾け、名の如く矢のように敵の身体を射る。
 当たった箇所がぼろりと崩れ落ち、消えた。
 優美を守りながら何度も攻撃を繰り返し、やっとの思いでナイトメアを撃退することに成功する。
 終わったと同時に、先日とは比べ物にならない疲労感が、の身体を蝕んでいく。
の身体は、まだ反動が大きいみたいだね……無理しない方がいいよ』
「昨日は、こんなに、ならなかったのに」
『エーテル放出に慣れてないんだ。徐々に慣れていくよ』
「そ、っか。なら、いっかな……」
 ふと優美に視線を移す。
 は身体を一瞬にして強張らせた。
「優美ちゃん!!」
「え……?」
 後ろ、と叫ぶ暇もなかった。
 撃退したと思われていたナイトメアが優美の背後に現れ、その一瞬後にはその姿が消えてなくなっていた。
 消えると同時に優美が倒れ込む。
 弘樹が近寄ろうとすると、ナビが鋭い声で止める。
「な、なんだよナビ」
『近づいちゃだめだ。彼女はナイトメアに寄生されてる』
 ――寄生?
 ナイトメアが寄生するものだと思っていなかったは、驚いてナビを掴む。
「寄生って、どうなっちゃうの」
『姿かたちは優美ちゃんだよ。だけど……その精神活動が、もう彼女のものじゃない』
「――う」
 ゆるり、起き上がる優美。
 弘樹は安堵して近づこうとしたが――彼女が発した一言で、動きが止まる。
「――ジャマヲ、スルナ」
 硬質な声。
 確かに優美の声なのだが――なにかのノイズが混じっている。
 音に、別の音が被さっているようにも感じられる。
 優美は奇妙なまでに緑色に光る瞳を床に向けたまま、言葉を吐き出す。
 はっきりした、声で。
「――融合の時は、近い」

 救助が来たのは、それから1時間と経たない頃合いだった。
 は倒れたままの優美のそばで、どうしたらいいのかずっと考えていた。
 当然のように答えは出なかった。






のったりくったり進みます。
2006・10・24