Inside Blue 4



 JUNE・16

 翌朝目覚めた時、は自分がどうやって部屋に戻ってきたのかをよく覚えていなかった。
 夢うつつの状態だったからか――または外に出たこと自体、夢だったのか。
 しっかり寝巻きに着替えているし、布団にも包まって寝ていたし。
 腕に負ったはずの傷さえもない。
 考えれば考えるほどに夢だったのではと思えてくるが、背中に感じたあの人の体温は、間違いなく人のそれで。
 ベッドから抜け出て冷えた床に素足を乗せ、とにかく学校へ行く準備をするべきだと思考を切り替える。
 転校初日から遅刻はまずい。

 制服に腕を通し、身支度をきちんと整えて鞄を手に持ち、部屋の外へ出る。
 そのまま隣の部屋――片山家へ入った。
「おはよー」
 声をかけてリビングの扉を開けると、既に朝食の準備が出来上がっていた。
 鞄を床に置き、席に着く。
「おはよ、弘樹」
「おはよう、……。叔父さんはもう出かけたよ」
 いつもと微妙に声色の違う弘樹に、は箸を片手に小さく眉を潜める。
 ずっと一緒に育ってきたせいもあり、弘樹の小さな変化を見過ごすことのないは、食事をしながら何気なく聞く。
「弘樹、どうかしたの」
 誤魔化すような笑みが返って来るが、そんなもので引き下がりはしない。
 彼だってそこは充分過ぎるほど分かっているはずで、念を押すように「弘樹」と名を呼べば、深い息を吐きながらそれでも胸に溜まっていることを話してくれた。
 昨晩、正体不明の動物が部屋に飛び込んできたこと。
 その直後、訳の分からない生物に襲われたこと。
 所謂、超能力でそれらを撃退したこと。
 正体不明の動物の名前は『ナビ』といい、現在弘樹の中に一緒に住んでいること。
 普通に聞いていると、あんた大丈夫? と問いかけたくなるようなことをつらつら言われているのだが、はそれを虚偽だなどと思わなかった。
 話に聞いたその化物のような生物は、が昨晩襲われたものと酷似していたから。
「……はぁ!? いきなりなに言い出すんだよ」
 突然驚かれ、は目を瞬いて弘樹を見やった。
 彼は音声として発言していたのに気付き、苦笑する。
「いや、ナビがさ。も覚醒してるって言うから」
「覚醒?」
『超能力が使えるだろ? それに、ボクの姿も見えるはずだ』
 の疑問に答えたのは弘樹ではなく、淡い緑の燐光を発した、長い尻尾を持つウサギのような生物だた。
 目の前に突然現れたそれに驚きを隠しきれず、口をあんぐりと開けてしまう。
 こんな生物、見たことがない。
 可愛いけど。
 浮いてるし。
「……ナビって、ふわふわしてあったかそー」
 そっと背を撫でると、やはりふわふわして温かな感じが伝わってくる。
『ほらみろヒロキ、やっぱ彼女は覚醒してる。覚醒者だよ』
「信じられない。、いつから超能力者だったんだよ」
 ナビを撫でながら、首を捻る。
 いつからと問われても、今の今まで超能力者だなんて言われたことがない。
 そういえば、昨日の人は私が超能力なるものを使えると知っていたのだろうか? とは思う。
 初対面――そのはずだが。
?」
「あ、ごめん。いつからっていうか……昨日、弘樹が見たのと同じような化物に襲われて、知らない人に手助けしてもらって使ったのが、多分初めてだと思う」
「お、襲われた!?」
 驚き目を丸くする弘樹に、は頷く。
「ちょっと公園に行ってみたら襲われて。……あの人も覚醒者っていうのだったのかな」
 また近いうちに会う、とかなんとか言っていたけれど。
 考えてみれば、本当に不思議な人だ。
「ところで弘樹、さっさと食べないと遅刻しそうだよ」
「やばい! そうだった!」
 かくて会話は一時中断。
 急いで食事を済ませて家から出た廊下で、は人とぶつかった。
 昨日からよくぶつかる……。
「きゃ!」
「わ、ごめんなさ――あれ? ええと、優美、ちゃん。おはよう」
、ちょっと待っ……あ、優美ちゃん、おはよう」
 後から来た弘樹も優美の姿を認め、挨拶する。
 優美はふわりと笑んだ。
「おはよう。2人とも朝から元気なのね。一緒に学校へ行かない?」
 断る理由はなにもなく、3人連れ立って駅へ向かった。


『……、聞こえる?』
 弘樹は優美と会話しているのにナビの声が聞こえてきて、基本的にナビは共生主(弘樹)とは別の個体なのだと妙に納得しながら、心の中で返事をする。
 どうして口に出さなかったのかは分からないが、声を出す必要はないと思った。
 事実、音声はナビには余り関係がないようだ。
『聞こえるよ、ナビ』
『やっぱりだ。、君スゴいよ。ヒロキとの間に、物凄く強力なホットラインがある』
『ホットライン?』
『普通、姿を現さない状態で会話なんてできないもんなんだけど、ヒロキとのイデアには通路みたいなものがあるのかな? 意識を向ければ、こうやってちゃーんと話できるし』
 ナビの話を勝手に纏めると、どうやらそのイデアというものは弘樹にも自分の中にもあり、加えてそのイデアとやらは繋がっているようだ。
 口ぶりからすれば、恐らくそれはイレギュラーなのだろう、とは思う。
『ところでさ、も世界を救う協力してくれるよね!』
『世界を救う、デスカ』
 突拍子もない言葉に、さすがに引き攣る。
 ナビは世界を救うため、超能力者を探していたらしい。
 闘うべき敵はナイトメアと呼ばれる――昨晩が相手にしたのも、そのナイトメアだったようだ。
 <サーカディア>という場所とこの世界の融合をを止めるため、ナビは人間だった時の記憶と引き換えにこの世界にやって来た。
『記憶と引き換えか……凄い決意だね。でも、なんでそのサーカディアと融合しちゃだめなの?』
『サーカディアの巨大なエーテルは、物質世界を混沌に戻してしまうんだよ。世界の全てはエーテルで出来てるけれど、物質界はサーカディアの大きすぎるエーテルを受け止めきれない。融合するってことは、つまり世界の破滅を意味するんだ』
 ……整理しよう。
 サーカディアには、エーテルというエネルギーが沢山ある。
 世界の全て――つまり、土や樹や、テレビだったりパソコンだったり食べ物類だったり、果ては人までも、根本はエーテルから出来ている。
 そのエーテルは、巨大なエーテルを受けると容量過分になって受け止めきれなくなる。
 サーカディアはエーテルの固まりのようなものだから、この世界は容量を受け入れきれず――そうなると、全ての物体、物質がエーテルに還元されてしまう。
 考えると混乱してきそうだが、それはマズイことなのだと理解できる。
 実際には切迫感のようなものはないし、世界の破滅なんて言われても実感がない。
 けれどは、心のどこかでそれは真実だと知っている――そのように思えた。
『どうやって融合を止めるの?』
『タナトスっていう敵を倒せば、恐らくは全部解決するはずなんだ。でも奴は強い。だから仲間を集めて叩かなくちゃ』
 ――タナトス。
 どうしてだろう。
 ナビの言葉は知らないことばかりなはずなのに、聞き覚えがあるような。
 その言葉に不安になるのも、どうしてだろう。
 懐かしいとさえ思うのも分からない。
「うわぁ!!」
 脇から弘樹の叫びが聞こえ、は思わずそちらに目を向けた。
 見れば、困ったような優美と尻餅をついている弘樹、そして見知らぬ少年がいた。
 橙色の濃い髪をした少年は、生意気そうな顔をして弘樹を見やり、ふと視線をに向けた。
「ふん、お前は女だから優美姉ちゃんに近づいてもいいぞ。虐めたりしたら、この保坂良太さまが許さねえからな!」
「は、はぁ?」
 訳が分からないが、彼の名前が保坂良太で、優美の騎士を気取っているということだけは分かった。
 弘樹は立ち上がると、不愉快気な顔のまま良太を睨む。
「いきなりなんなんだ!」
「お前、優美姉ちゃんに近づくな! オレが優美姉ちゃんを守るんだからな!」
 ナビが、必死に弘樹に、良太に『一緒に世界を救えと言え』なんて言っているとは知らず、は傍観していた。
 結局、仲良く4人で登校することになった。


 まず良太と別れ、それから優美と別れる。
 事務局に用事ができたためだ。
「昨日の時点でクラス分けを見ておけばよかったね」
「ところで、どうやってクラス分けを見るんだ?」
 知らない。困った。
 うーんと悩み、ならば受付の人に聞こうかと言おうとしたの背後から、すみませんと声がかかる。
 眼鏡をかけた理知的な瞳の男子生徒が、と弘樹を見ている。
「もしかして、なにか困ってる?」
「あ、あの……クラスが分からなくて。転入初日なんです」
 弘樹は言い、直後微妙な顔をしてすぐに普通の表情に戻った。
 ……もしかして、またナビに妙なことを言われたのだろうか。
 ということは、彼も覚醒者?
 金色の髪を持つ彼は、丁寧にも僕が調べてきてあげる、とと弘樹のIDを借りて端末を操作し、すぐに戻ってきた。
「2人とも普通科Bクラスだよ」
「ありがとう。私、片山です」
「僕は片山弘樹です」
 彼はにこりと笑み、
「物理学科2年の大塚守です」
「へえ、物理……大きな建物だったよね」
 弘樹が「なにか実験をしてるんですか」と問えば、守は嬉しそうに語り出す。
 根っからの研究者タイプなんだろうなあと、なんとなく思う。
「リバースエナジーで結晶を作る実験をしてるんだ。難しくて中々成功しないんだけど……興味があったら、今度見学においでよ」
「うわぁ、結晶かあ。私見たい! 是非!」
 力一杯言うに、守は笑む。
「うん、待ってるよ。それじゃあ僕は」
 じゃあねと軽く手を振り、彼は事務局の受付の方へと歩いて行った。
 残った2人は授業に遅れないよう、事務局を出て普通科に向かって歩く。
「大塚君って、なんだか優しそうな人だね」
 の言葉に弘樹も同意した。
 彼は小さく肩を落とし、
「それにしても……ナビの常識のなさには辛いものがあるよ。いきなり『世界を救え』なんて言えっこないのにさ」
「やっぱ、大塚君は覚醒者だったんだ。弘樹の顔が一瞬曇ったから、またナビがなんか言ってるんだろうなあって」
『酷いよ、大事なことなんだよ!?』
「分かってるよ。でも……覚醒者って多いのかな。結構な確率で出会ってる気がするよね」
「だよな……」
 そんな会話をしていたら、危うく普通科を通り過ぎそうになったのはご愛嬌だ。




とつとつと進んでいます。
2006・10・6