消える  その一瞬に   なにを想うのだろう。

 “解放してやる”という弘樹の言葉通りに、タナトスと弘樹は戦い…そして、弘樹が勝った。
 は一切手出ししていない。
 正確には、手出し出来ないのだが。

 弘樹と同じくサーカディア経由で他人のイデアの中に入れる事は出来ても…そのイデアに介入、干渉する事は出来ない。
 晃や弘樹…否、弘一のイデアに関しては触れることが出来るものの、弘樹のように内部で覚醒能力を使う事は出来なかった。
 弘樹との、質の違いなのだろう。

「この僕が…君のような人間に負けるとはね……。」
 タナトスの体が少しずつ崩れていく。
 はゆっくりと彼に歩み寄った。
 弘樹と弘一の静止する声が耳に届くが、それに従う事はしなかった。
 正面まで来ると、ひたと止まる。
 に危害を加えようとすれば出来る距離だが、タナトスは手を出す事をしなかった。
 攻撃するような力は、とうになくなっていたけれど。
「…晃、あなたは消えるの?」
「そのようだね…君達人間にとっては喜ばしい事じゃないのかな?悪夢の根源である僕が消えるのは…。」
 ――じわり、じわり、姿が消えていく。
 はタナトスの姿が無くなっていくごとに、例えようのない喪失感を抱いていた。

「消したくない…貴方を。」
 そう発した一言は、を除く全員を驚愕させた。
 なんとなくそういう台詞が吐かれるのではないかとも思っていたりした。
 それでも、やはり驚愕は驚愕だ。
「バカな…なにを…。」
「…バカでもなんでもいいよ…。」
 ふわり、やわらかい微笑をこぼし、タナトスに触れた。
 タナトスはすっと目を瞑る。
 …目を閉じていると、の手の暖かい感覚が、より鮮明に感じられた。
「君は……僕を…タナトスを望むのか?」
「私は貴方を否定しない。望むのは、破壊や消滅ではなく、貴方の存在だよ。」
 タナトスは、の手に少しだけ自身をすり寄せた。
 は臆すことなく、彼のその体に自分の体を寄せた。
 の心音がタナトスに伝わる。
 その鼓動が響くだけで、とても幸せで……とても愛しい。
 が生きているというだけで、胸が一杯になる―――もう、弘樹も弘一も何も言わなかった。
 ただ静かに、事を見守っていた。

…。」
 タナトスが…その人外の手でを包み込んだ。
 そして、その体温を感じながら自分は人ではないことを再認識した。
 もう一度、御剣晃として…をこの手に抱ければどんなに幸せだろう。
 と、同時に、彼女が自分を求めているという事実を素直に受け入れた。
 の手が、気持ちを一生懸命に伝えてくれたから。
 …ふと奇妙な感覚に襲われ、晃は今まで閉じていた目をゆっくり開けた。
「………な………に?」
 信じられない気分でを包んでいた自分の手を見た。
 弘一も弘樹も言葉が上手く見つからないのか、目を大きく見開き、驚きの眼差しをむけている。
正面にいるは嬉しそうに微笑み、うっすらと涙を溜めている。
「…!!」
 どうして、という疑問より先にを抱きしめたいという衝動に駆られ、きつく彼女を抱きしめた。
 その、2本の両の腕で。
 タナトスの姿は、御剣晃…即ち、人間へと変化していた。
 消滅は止まっている。
「御剣さん、生きましょ?」
「……。」
 どうして、人の姿になったかといえば――タナトスとしてではなく、晃として生きていたいと感じたその心が要因で。
 もっと色々要素はあるのだろうが―…とにかく晃は願った。
 の傍にいたいと。
 それは、とても、とても大きな心境の変化。
「一緒に行こうよ…。」
「だが…。」
 の体を抱きしめたまま、晃は首を振った。
「弘一も片山君も僕を許さないよ。」
 悲し気な目をして、が弘一と弘樹を見た。
 2人とも複雑な表情をしている。
 弘一にしろ弘樹にしろ、ずっと…今まで戦ってきた相手なのだから。
「…タナトス、僕と共存する気はある?」
「に、兄さん!!?」
 弘一の発言に驚く弘樹。
 も驚いて弘一を見たが……なにより驚いているのは晃当人。
 自分を一番憎んでいるであろう人間が、“共存する気はあるか”と問うている。
 何かの聞き違いではないかと疑いたくなった。
 だが、弘一の目が嘘やきちがいではない事を物語っていた。
「…共存…。」
「そう、僕のイデアを回復させて、お前と僕で共存するんだ。出来なくないだろう? 不必要にエーテルを吸わなければいいだけだ。」
「いい……のか?」
 弘一はと晃を交互に見て、ふっと笑みをこぼした。
「お前を失ったら、が悲しむからね。」
「弘一兄ちゃん…。」
「とにかく、早いとこ脱出しよう!」
 弘樹の言葉に一同慌てて行動し出した。
 と弘樹は少量エーテルを弘一のイデアに与えると、彼のイデアから脱出した。

 ブルージェネシスは崩壊した。
 幾多もの想い出を飲みこみながら――。

 救助船になんとか乗り込み、先に助けられていた叔父とも無事に会え、取りあえず落ち着く事が出来た。
 晃も一緒だった為、茂はかなり驚いたがの懇願と弘樹の説明により、また持ち前の適応力で事態を理解した。
「しかし御剣君……その科学庁の服は目立ちすぎる…俺のを貸そう。」
「…すみません。」
「えと、私…甲板に出てるね。」
 が手をひらひらさせ、出て行くことを伝える。
 “夕メシまでには戻れよ”という茂の言葉に頷き、そのまま甲板へと向かった。


 深蒼の海の中に、ときたまエーテルの光が走る。
 自分があそこにいたなんて、とても信じられない。
 潮風に身をさらしながら、周りを見る。
 皆、滅入っているのか、それとも体力的な問題か、とにかく人はまばらだ。
 時折、涙をこぼしながら歩いていく人も見かけたが、夕食近くの時間になるとを除き甲板には誰もいなくなった。
?」
「御剣さん……。」
 なかなか戻ってこないを心配してか、私服に着替えた晃が甲板に出てきた。
 はブルージェネシスを見たままだったが、声で判った。
「そろそろ夕食だよ?」
「はい…今行きます。」
 しかし、沈んでいくブルージェネシスから目が離せなかった。
 何度見た所で変わるわけでもないが…。
 ――晃はそっとを背中から抱きしめた。
 びくんとの体が震える。
「…僕が怖い?」
「ちがいます!…ただ…。」
「ただ?」
 はきゅっと柵をつかむ手に力をこめた。
 一呼吸置いて、話し出す。
「……後ろ向いたら…消えたりしないですか?」
「…バカだな…大丈夫だよ、君が助けてくれたろう?弘一だって…今は眠っているけど、ちゃんと存在しているよ。」
 肩をつかみ、くるっと回転させるが…はきつく目をつむっている。
 晃は思わず苦笑いをこぼした。
 一緒にブルージェネシスから逃げてきたのに、何故そんなに怯えるのか。
 なんとなくの理由は判っていたが――…。
 ちらりとの後ろの沈みかけているブルージェネシスに目を向けた。
 …多分、都市を見て怖いイメージがわいてしまったのだろう。
 視覚から入ったブルージェネシスの破壊された姿が、消滅、というものと隣り合わせにいた自分を認識させて、今更ながら不安と恐怖がその身にしみている。
「…、目を開けて…。」
「……。」
「いつまでもこうしてはいられないよ?」
 とがめるような口調で言われたが、は目を開けない。
 ほんの少しの時間をおけば…心構えをする時間があれば大丈夫なのだろうけど、晃は人の心に疎い。
 とにかく、彼女が自分を見てくれないのが嫌で仕方がなかった。
 少し考え、を抱きしめると、そっとその口唇に己の口唇を重ねた。
「!?」
 思わず、ぱっと目を開けてしまう
 晃はゆっくり口唇を離すと、微笑みながら“消えていないだろう?”と言った。
「ばっ…バカ!」
 真っ赤になり、晃の服をぎゅっとつかんで俯いた。
 まさか目を開けさせるだけのためにキスされると思っていなかったので、とにかく恥ずかしいというのが先に立った。
 優しくの頭を撫でると、晃は彼女の頬にもう一度口付ける。
「っ御剣さん!」
「さ、夕食に間に合わなくなる、行こう。」
 文句の一つも言ってやりたいのに、微笑まれると許してあげないといけない気分になる。
 溜息をつきながら、弘樹達の元へと歩き始めた。
「…御剣さん。」
「なんだい?」
「私服もかっこいーですね。」
 晃は嬉しそうに笑うと、“ありがとう”と一言だけ言った。

 数日後、片山一家は引っ越す事になった。晃も一緒に。
 これが正しい道だったかは判らないけれど、自分の心が正しいと感じているのなら、少なくとも自分にとっては“正”なのだろうと思いながら、は飛行機に乗った。
 …とりあえず、茂の素敵な部屋の惨状に晃が慣れてくれることを祈りつつ……。




以前にちょっと書きました、御剣晃、無理矢理救済話です。
本気で無理矢理でした…スミマセン;;
茂のお素敵なお部屋の惨状は、弘樹と晃(弘一)の掃除趣味があれば問題はないのかなとは思いますが。
相変わらず晃様偽者チックで申し訳ない……(泣)
一応これはこれで終わりって言う形にはなると。
次はライトな晃SSでも書きたいですな。(ライトってなんだ)

2001/9/16

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