破壊し、再生する。

 それは人の業。


覚醒夜想 2




 お昼休みが終わり、お腹はいっぱいになり、気だるい午後の授業が始まる。
 周囲の生徒の何名かは授業に集中できず、既に大きく舟をこいでおり、そこまでではないにしろ、大半の生徒は午後の満腹感からくる眠気と気だるさで集中力を欠いていた。
 隣にいる弘樹は、机にかじりつくように勉強している――風に見えるが、かじりつくようにして、半分寝ている。
 も気だるさを感じつつ、授業を受けていた。
 これが倫理や論理の授業だと泣けてくるが、数学なのでまだいい……かも知れない。
 苦手分野ではあるが、<何か>を忘れるには丁度いい。
 頭の中で必死に数式を組み立てる。
 ――その最中、それは突然にやって来た。

「……?」
 不自然な風が、の首を撫でた。
 一番窓際の席にいるため、外の風だろうと思ったのだが――窓は全部閉まっている。
 周囲を見回すに気付いたのか、弘樹が小さく声をかけた。
、どうかした?」
「え、あ……うん、なんでもないの。ゴメン」
 腑に落ちない様子の彼だが、とてなにがなにやら分からないのに、説明などできよう筈もない。
 ましてや授業中に。
 訝しげに窓の外を一瞥すると、はまた問題に取り掛かる。
 ――すると、今度は風が頬を撫でた。
 風、というには余りにも感覚がありすぎる。
 その後、何度も首や足、頬を撫でるような空気を感じた。
 今や意識しなくてもはっきり判る。
 は自分を取り巻く空気の異質さに、久々の緊張感を覚えた。
(……ナイトメア、にしては攻撃してこないし、姿も見えないし。弘樹はなにも感じてないみたいだし)
 隣の弘樹はなんのこともなく、普通に授業を受けて(まどろんで?)いる。
 考え込むのすぐ側で、誰かが――なにかが――ふっと笑った気がした。
 背中。
 誰かが自分の後ろに立っていると感じる。
 そっと後ろを盗み見るが、誰もいない。
(まさか、ね)
 しかしは知っている。
 この空気の持ち主を。
 なぜ気付かなかったのかと思うほどに知る気配。
 だが、その人はとっくにこの世からいなくなっているはずで。

 ……だって。
 彼は私の手をすり抜けて、零れ落ちて行ってしまった。

 目の前で消滅を見たのだから間違いはない。
 なのに――なのに。

『問いの3番、間違えているよ』

「なっ!!?」

 がたん、と立ち上がる
 気だるげな教室の空気が一変し、生徒達がを見つめる。
 弘樹が驚いて声をかけた。
?」
「片山さん、どうかしましたか?」
 女教師が訝しげな視線を向けてくる。
 注目をいっぺんに浴び続けるのは少し気恥ずかしく、は慌てて謝って座る。
 きょろきょろと周りを見回しても、<その人>は当然ながらいない。
 けれど、声はする。
『そんなに驚かれてもね……。まさか、僕のことをもう忘れてしまっていたのかな?』
 ――忘れるわけ、ない。
 は確認するように、小さく小さく呟いた。
 隣にいる弘樹にすら聞こえないほどの声で。
「……御剣、さん?」
 そうだよ、と頭の上から声がした。


 数学の数式なんて、全然頭に入ってこなくなってしまった。
 姿はなく、声だけの、まるで幽霊な御剣晃。
 BGの科学庁の申し子で、体は弘一で、でも意識はタナトスで。
 サーカディアと世界の融合を望んだ彼は、弘樹と、そして仲間達によって倒された。
 塵となって消えてしまった――そのはずだった。
 その彼が、何故ここに、東京にいる?
 聞きたいことは山ほどある。
 答えてくれるかは別として。
 声に出さなくても、晃にはの意思が通じるようだった――弘一にするみたいに――ので、表面上は勉強しながら、彼に話しかけた。
『生きてたんですか……?』
『いや、残念ながらご覧の通り体はないよ』
 ご覧の通り、と言われてもあまりキョロキョロできないので。
『まあ、こうして存在を自分で認識できるあたり、<死んでいる>とは少し違うようだけどね』
 けれど、姿はない。
 は問う。
『どうしてここに?』
『さあ? 僕にもよくは分からない。気付いたら、この学校にいた。淀みきった世界から、青い透明な世界に入り――君を見つけたからきただけだ』
 声から嘘か本当か、判断はつかない。
 天下の御剣晃の嘘を見破れる人物がいるとも、なかなか思えないが。
『私を見つけると、寄ってくるんですか』
『体があるときに言っただろう。<僕は君が欲しい>とね』
 さらりと投げかけられた言葉に、思わず叫んでしまいそうになったが、ぐっと堪える。
 間違いなく御剣晃だと確信。
 残留思念かと思ったが、残留という言葉が当てはまらないほど、自我がはっきりしている。
 弘樹に助けを求めようとしたとき――間が悪く、先生に指された。
 それも、晃が間違っていると言った、問いの3。
「片山さん、問い3の答えを」
「あ……え、と……その」
『5だよ』
 晃の答えをそのまま口にする。
「……5、です」
「はい正解です」
「……ありがとうございます」
 先生に対してではなく、晃に対しての礼。
 もう、の頭の中は完全に数学どころではなくなってしまった。
『御剣さん?』
『なんだい?』
 ……やっぱりいる。
『あのー、成仏できないんですか』
 状態にすると幽霊のようだったので、成仏、なんて用語を使ってみたが、それについては彼から直ぐに反発がきた。
『成仏、なんて言わないで欲しいね。まるで僕が悪霊みたいじゃないか』
 その通りではないのかと突っ込みたくなったが、なにか問題でも起きたら困るので言わないでおく。
 とにかく、霊でないのは間違いがない。
『じゃあ、どうやったら私から離れます?』
『……僕は、君から離れる気はないよ』
 それは困る。
 だからといって、無理にでも、ということは出来そうにない。
 晃自身、己がどうなっているのか分からない様子。
 お手上げに近い状態である。
『無理矢理引き剥がそうとしたら、お仕置きするからね』
 気配が動く。
 晃はおもむろにの胸に触れた。
 固まった空気が胸に触れるような感覚に驚いて、は思わず胸を隠しつつ、晃がいるであろう方向に向かって叫んだ。
「御剣さん! なにするんですか!! ――あ」
 気付いた時にはクラス全員の目が、またしてもを捉えていた。
 本日二回目。
 その中で、驚愕の目を人一倍向けている人物が一人。
 ……勿論、弘樹だ。

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新年一発目はサーカでございました。今年もよろしくお願いいたします。
2006・1・3