淀みの中を泳ぎ続けた。

 泳いで、泳いで、そっと近寄る。

 澄んだ青――その、近くへ。



覚醒夜想 1



 あるはずのない、あってはならない感覚と気配。
 ざわついている教室で、新しくできた友人たちと昼食を摂っている間、時折感じていた、それ。
 周囲の友たちは気付きもしない。
「ねえ、どうしたの?」
 友達に声をかけられ、自分が自然と周囲を警戒していたのが分かった。
 挙動不審者に見られたようだ。
 は苦笑し、なんでもないと言葉を付け加え、すっかり空になった弁当の蓋を閉じる。
 片手にお茶のペットボトルを持ち、席を立った。
「どっか行くの?」
「うん。もう1人の片山のところに」
「ああ、片山くんね、はいはい」
 手をひらひらと振る友人数名。
 それを受けながら、は少し離れた場所で、数名で食事をしている男子たちの中に紛れ込んだ。
 男子の1人が彼女に気付き、手を上げる。
「よう。そっちは弁当終わったのか?」
「うん……というより、ちょっと弘樹に話があって。早々にお昼切り上げたんだけど」
 名を呼ばれた弘樹は、友達との会話を中断してを見やる。
「どうかした?」
「んー……ちょっと、ね。廊下出ない?」
 言葉を濁す彼女に、周りの男子が冷やかしを入れる。
「おーおー、弘樹、お前に告白されるんじゃねえの?」
「……あのなあ」
 げんなりとした風に肩を落とす弘樹。
 と弘樹の仲の良さは、クラスの誰もが知っていた。
 同じ家に住んでいて、同じ片山の姓を持っている。
 だが、教師がつい口を滑らせて、
「兄と妹とかではないんだよな」
 などという余計なことを言ってくれたため、ちょっとした騒ぎになった。
 だが、そのおかげか、友達を作るのに困ったことはなかったが。


 廊下に出たは、お茶で口を湿らせ、それから横で壁に背を預けている弘樹に問う。
「……ねえ弘樹。なんか、変じゃない?」
 思い切って聞いてみる。
 ここ数日、急速に、しかも時折強烈に感じることがある、不快ではないけれど不思議な気配。
 ナイトメアの類ならば、弘樹も気配を感じているはずだ。
 そう思い、聞いてみたのだが――
「……? いや、僕は別になにも」
 返ってきた答えは、の期待するものとは真逆だった。
「ほんとになんにも感じない?」
「う、うん」
「――そっか」
 食い下がってみたところで、結果は変わらないのは分かっているが。
 では、あの気配は――感覚は、自分の気のせいなのかと考えてしまう。
 弘樹は心配そうにを見つめた。
「大丈夫か? なにか感じる――なんて、気のせいじゃないか? 東京にナイトメアなんて、シャレにもならないよ」
 彼の言葉には、<気のせいであって欲しい>という願いも込められている。
 ブルージェネシス、通称『BG』崩壊後、引っ越した先は東京だった。
 とはいえ、引っ越し多発な片山家。
 2週間後にはBG跡地傍にある、新ブルージェネシス、『新都市』に移動することが決まっている。
 桐生院家が弘樹を狙わなくなった今となっては、片山家があちこち引っ越しを繰り返す必要などない。
 けれど、片山茂は新都市に定住することを選んだ。
 も、弘樹もだ。
 それがBG崩壊を目にした者の責務であるように。
 は小さくため息をつき、ペットボトルのキャップを閉める。
「……気のせい、なのかな」
 誰にともなく呟いた。
(気のせい――そう、きっと気のせい)
 思い込もうとするに、弘樹のイデアから弘一が声をかけてくる。
、余り思い込んじゃ駄目だよ?』
「弘一兄ちゃ――っと」
 声を音声にして出していることに気付き、は慌てて口をつぐみ、思考を飛ばす。
 彼はいつも上手にの内なる声を受け止めてくれる。
『でも、弘樹は感じないっていうし』
『けどは感じてる。用心に越したことはないんだからね』
 幼い声で言い含められる。
 はこくんと頷いた。
 弘樹がふと腕時計を見た。
「――そろそろお昼も終わりだね」


 BGではゴロゴロいた覚醒者も、東京ではまったくと言っていいほど稀なる存在だ。
 一般に霊が見える、と言う人――霊感の持ち主――は、それが嘘でない限り、少しばかり覚醒していると思われる。
 霊が出るという場所に半ば無理矢理連れて行かれ、霊感があると言う友人が『霊』がいると示した場所を見やれば、確かに『居』た。
 その友人にどういう風に見えていたかは分からない。
 けれど弘樹とには、『霊』ではなくて、ナイトメアに近い形状をしていた。
 ――つまり、覚醒者『カオス』ほど<視る>力がないために、霊や、発光現象として映るのだろう。
 一瞬いっしゅんで己の形状を変化させてしまうほどに、固定形状力のないナイトメアだからだろうけれど。
 霊をはっきり視る人など一部だし、ごく稀にしか接触しない上、弘樹が感じ取れない<なにか>を捉えられる人物はいないだろう。
 教室に戻り、自分の席についたは深く息を吐いた。
「考えてても仕方ないか」
 周囲の喧騒が、感覚を忘れろ、と言っているようだった。


 しかし。

 はっきりとした異変は、直ぐにやってきた。



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約二年ぶり…?のサーカ夢。需要がある無しにかかわらず、好きなので書いてしまうのです。晃と弘一兄と弘樹の短編ねっとり(?)系も書きたいなぁ。
2005・12・22