勇者 薄闇の中にいた自分を、誰かが引っ張り上げるような感覚があった。 閉ざされた視界の中にいて、それが目蓋を閉じているからだと気づくまで、わずかに時間を要する。 「」 「……うるさい。少し待て」 相手を全く思いやらない不機嫌な声に、は一瞬、ひどい違和感を覚えるが、それはあっという間に霧散してしまった。 いつの間にか眠っていたらしい自分を認識し、は眉根を寄せる。 気を抜きすぎている。こんな事では、役目を果たせない。 ――役目? そんなものが在っただろうか。 「、起きたか?」 自問の間にまた声が割り入って、細く息を吐き、目蓋を開く。 苛立ちのままに文句を言ってやろうと思い、正面の人物に視線を向けた。 「…………誰?」 細い翠の髪。濃い空色の目。 驚いたような顔が、何故だか腹立たしい。 年の頃16、7程の若者は何度も目を瞬くと、悪戯を仕掛けれた子供のような表情を浮かべた。 「なんの冗談だよ。それとも寝ぼけてるのか?」 「そちらこそなんの冗談――」 「ユーリル、は起きた? そろそろ出発しようよ!」 若者の後方から声がかかる。 馬車の中から、紫の髪の女性が顔を出している。 彼は軽く返事をし、こちらに向き直った。 「ほら、行こう」 ――ああ、そうだった。彼はユーリルだ。 天空の武具を操る、勇者と呼ばれる人物――武具のない今はただの青年に過ぎないが。 忘れてしまうなんて馬鹿らしい。いくらなんでも寝ぼけ過ぎだ。己の役目すら忘れるなんて笑い話にもならない。 気を抜きすぎているから、こんなことになる。 そもそもうたた寝なんてことをしている場合じゃない。 は大きくため息をつくと、起き上がる手助けをしようとしているユーリルの手を軽く振り払って立ち上がる。 彼は不満そうな顔をしていたが、無視を決め込んだ。 どれ位眠っていたのか、重たるい感覚が抜けない。 肩と手首を回し、傍らに置いてあった己の剣を取って腰に着けると、ユーリルの横を通り過ぎて馬車へ向かう。 「……」 「私のせいで時間を無駄にしただろう。さっさと行くぞ。――パデキアを病人に与える前に死なれては無駄骨だ」 言い放ち、馬車へと戻る。 その姿をユーリルが複雑な表情で追っていることなど百も承知だったが、言葉をかけることはしなかった。 道を歩けば魔物に当たる。 運が良ければ丸一日遭遇しないこともあるが、悪くすれば数十回はち合わせる。 今日は日が悪いらしく、今朝から何度目かの戦闘だった。 「面倒くさいわねえ、このマーニャちゃんの魔法で消し炭になっちゃいなさい、メラミ!」 動きに合わせて、彼女の紫の髪が舞う。 夜の街モンバーバラの人気踊り子だったマーニャは、敵を倒しながらもその一動が舞いのように見える。 敵は宣言通りに燃やし尽くされたが、続く魔物が彼女に攻撃を仕掛けた。 ユーリルが慌てて間に入る。 「姉さん前に出すぎよ。ホイミ!」 「ミネアはいつも一言多いわね。黙って回復してよ」 マーニャの妹であるミネアは、姉の文句に押し黙りながら彼女を治療している。 馬車の御者としての役割が確定しつつある商人のトルネコは、馬であるパトリシアを敵の攻撃から守ることに、意識の全てを傾けている。 その馬車の中には、パデキアの洞窟と呼ばれる巨大な氷室で腰を痛め、戦いに参加できない魔法使いのブライの姿がある。 は積極的に戦闘には参加せず前に出ないせいか、馬車と、その中にいるブライの半ばお守のようになっていた。 「うぅむ……殿、あいすみませぬなぁ。わしらのせいで余計な苦労をさせてしまっておるのに、協力すべきわしがこの体たらく……」 少し動くと腰が痛むのか、ブライの、たっぷり下髭を蓄えた顔が歪む。 はぎっくり腰になったことがないが、辛そうなのはよく分かった。 少し離れた場所で行われる戦闘を眺めつつ、は片手を剣に添えたまま小さく息を吐いた。 「貴殿の、病に倒れた仲間と、それを助けに出たまま戻らない姫を助けると決めたのはユーリルだ。気にする必要はない」 そもそもこの寄り道は、足を向けたミントスという町で、病気で苦しんでいる神官のクリフトと、困っているブライを見かけたことが始まりだった。 彼らはサントハイム王家に仕える者で、王女アリーナの旅の共として世界を見回っていたところ、従者のクリフトが病に倒れた。 万能薬であるパデキアの根をすりおろして飲ませれば、たちまちに回復するという話を聞き、アリーナは従者を置いて飛び出したという。 そこに現れたユーリル達が、戻ってこないアリーナを追いかける形で、パデキアの産出国であるソレッタへ向かった。 ソレッタのお国事情にも巻き込まれたが、結果としてパデキアを得、今はその帰り。 ミントスに戻って薬を飲ませれば、一件落着だ。 占い師でもあるミネアからすれば、ブライを含めたサントハイムの者たちは、運命に導かれた者、らしいのであながち完璧な寄り道とも言うまい。 それでもが渋面を作るのは、ユーリルの人助けが甘さのように見えるからだった。 他人の心配をしている場合ではないだろうに、と。 「殿!」 ブライから大声が発せられ、はふと気配のあった左側を見る。 いつの間にか急進してきていたエビルハムスターに向かい、剣を抜くとそのまま横薙ぎに振りきる。 白い光の帯を残し、敵は真っ二つになった。 口の中で呪文を唱え、メラを続けざまに当てれば、一気に形を失った。 「――会話の邪魔だ」 軽く剣を振り、血糊を落とす。 真っ白な剣身は、まるで付着物がなかったかのように血の球を弾いた。 ブライが感嘆したように小さく声を上げる。 「凄いのう」 剣のことか。それとも技量のことか。訊ねることなく、は剣を納めた。 「……ともかくブライ殿。気に病むなら、早く腰を治して戦線復帰すればいいだけの話だ。今は無理せずにいるといい」 「いやいや、あいすまんのう。年寄りになると、色々と愚痴くさくなっていかん」 笑うブライ。も釣られるように笑みを浮かべ、 「回復が必要な人は? は平気か?」 ユーリルの声が近づいて来たと同時に、顔を引き締めた。 その様子を間近で見ていたブライは、彼女の表情の変化に不思議そうな顔をした。 ミントスに戻り、すぐさま件の神官に薬を飲ませようと町一番の大きな宿に戻るユーリル達から離れ、は独りで宿の表庭にいる。 正面には大通りがある。夕刻を過ぎており、家路を急ぐものの姿が多く見受けられた。 わがままを言う子供の手を引く母親やら、荷車で明日の商品を運んでいるらしい商人やら。 目に現る景色は平和極まりないが、壁に囲まれた町から一歩出れば魔物の領域。 女子供が気軽に隣町まで旅していける環境ではない。 今は、世界を魔物が覆う時代。 しかし、彼ら魔物を率いているのがデスピサロという魔族であることは、一般には知られていない。 「……ピサロか」 ぽつりと呟きながら、は宿の壁面に背を預けた。 「、ここにいたんだ」 傍らからかかった声に、は思い切り渋面を作る。 翠色の髪の青年は彼女の表情に気づいているだろうに、完璧に無視しての隣に腰を下ろした。 「クリフトの病気は治ったよ。まだ少しふらふらするみたいだけど……」 「そうか。……先に戻ってきていたアリーナ姫が、さっきわたしに顔を見せに来たが……明日から行動を共にするようだな」 「ああ。サントハイム出身のご一行も仲間になったんだ。あっちにも色々あるらしいね」 「デスピサロを追う者同士だ。丁度良いだろう」 そうだねと返すユーリル。彼がと同じように何気なく大通りに目を向けた時、宿の人間が吊りランプに火を入れた。 頼りないながらも、とユーリルが互いを視認するには問題ない。 「で……用件はそれだけか?」 「うん、まあ。後はと話をしにってところなんだけど」 ユーリルのその言葉に、はあからさまな溜息を吐いた。 彼にしても彼女の態度は慣れたものなのか、特に嫌な顔をするでもない。 は意味もなく、己の金髪を、幾分か乱暴な素振りで括りなおした。 「たまには後ろで一つ結び以外の髪形もしたらいいよ」 「余計な世話だ」 何故、こんな男が勇者なのだろう。 はまた溜息をついた。 必然なのか偶然なのかはともかくとして、人を救う『勇者』という存在が人知れず現れた。 勇者ユーリル。 彼は故郷を魔物の長であるデスピサロに滅ぼされ、その際、幼馴染をも殺されている。 焼け出され、仇を討つための旅に出た。 その彼を中心にして、今、戦いを共にする物たちが集まりつつある。 運命に導かれている、といっても過言ではない。 ミネアの占いでは、導かれし者は6名。勇者である彼を含めれば7名だが、は自分がその『導かれる』者ではないと自覚している。 否、知っていると言ってもいい。 「…………前から言おうと思っていたのだが」 「なに?」 「君はひとが良すぎる」 はっきり言う。 ユーリルは訳が分からないのか、反応が鈍い。 「旅先で苦しんでいる人に出会ったからといって、全員を救えるはずはないだろう。今回は仲間になる人材だったから良かったものの、そうでなければ無駄足だろうが」 「けど、ソレッタの国も救っただろ。感謝された」 「余所の国の感謝より、己が身にすべき天空の武具を集める方に力を入れるべきでは」 勇者と呼称されてはいるが、ユーリルは未だ弱い。 剣も魔法も、下手をすればの方が断然強いが、彼が天空の品を装備すれば今よりぐっとましになるはずだ。 経験は一朝一夕では身につかないけれど、武具なら身に着ければ効力を発揮する。 「君に倒れられては困る者が大勢いる。忘れるな」 「……って、なんでそうなんだよ」 「何がだ」 「結局、俺を心配してくれてるんだろ。なのにいっつも当たりの強い言葉で、周囲を引き合いに出して話をする」 は眉をひそめて彼を見るが、ユーリルは正面を向いたままだった。 「ミネアやマーニャには笑顔を向けるのに、俺には絶対そうしないし」 「だからどうした」 勇者の一行に混じるのは、にとって必要なことではなかった。 導かれてもいないのに早期に出会ってしまい、しかも何故かパーティに組み入れられ、ずるずると旅を続けている。 最終的な目的は一緒だけれど、それまで必ずしも行動を共にしなければならないということではないはず。 「問題があるなら、抜けさせてもらっても構わない」 あっさり言い放つに、ユーリルは表情いっぱいに不満を表した。 「そんなこと言ってないだろ」 「だったらなんだ」 「だからさ……なんで君は俺に強く当たるんだって話。心配してくれてるんだから、心底嫌ってなんてないだろ?」 自信満々の笑みを浮かべる彼に、は言葉が出てこなかった。 彼が向けてくる、妙に優しい眼差しが落ち着かない。 は無意味に荒々しく立ち上がり、 「!」 「…………君なんか嫌いだ」 言い放って、彼の前を横切って宿に戻る。 彼がどんな表情をしているかは、見なかった――見ることができなかった。 宿の通路を歩きながら、ふと窓に視線を向ける。 外が暗いせいか、窓硝子が鏡のようになって、自身を映す。 映し出された自分は、ひどく辛そうな顔をしていた。 ※なんというか、物凄くオリジナルというかごちゃ混ぜですが、これはこれとして楽しんで頂ければ幸いです。 2010・11・11 |