石像 やっとで見つけた妻。 それなのに、頬に触れて温もりを感じるどころか、髪を撫でることすらできない。 心の臓を握りつぶされるような圧迫感から逃げるように、は息を吐いた。 「……、分かるか? だ。……くそっ」 声をかけてみても、反応はない。 己が石化していた頃を思えば、ごく自然なことだった。 単なる像として存在していた時、の記憶は浮沈を繰り返していたし、意識が表層に浮く瞬間は無作為で、本人の意思に全く起因しない。 そもそも今の意識があるとして、彼女には返答する手段がないのだから分かりようがない。 瞬き一つもできないのだから。 像の肩にてをかけたまま項垂れるに、双子が恐る恐る近づいた。 彼らは父と、彼が妻と呼ぶ像を見比べる。 「……このひとが、ボクたちのお母さん?」 「お母さん……」 とは、が泣きそうであるのとは対照的に、どこか嬉しそうな顔をしていた。 それを見て、ははっとする。 ――俺は何を嘆いているんだ? は見つかった。石化を解けばいいだけの話だろう。 子供たちの希望に満ちた瞳に、己が負の面ばかりを見つめていたことに気付く。 軽く頭を振ると、の硬い肩から両手を離した。 「石化を解こう」 凛とした声ではっきり言うだが、けれども方策が見つからない。 を石化から解放したストロスの杖は、彼を助けるその一度で形を失っている。 同じものは持っていないし、石化を解く呪文など知らない。 それぞれが思考を巡らせていると、 「あの……」 背面から声がかかった。 瞬間的に剣に手を伸ばしたは、やっとで神殿内の雰囲気が変わっている事に気づいた。 信者たちがひどくざわついている。 誰も彼もが夢から覚めたような風体で、不安げにあちこちを見回していた。 ラマダを倒した事で、縛られていた魂が解放されたのかも知れない。 思いながら、は改めて声をかけてきた人物を見やった。 赤茶髪にそばかすの浮いた少年。どこかで見たことがある気がする。 「君は……」 「ぼく、ジージョといいます」 ――見覚えがあるはずだ。 かつてが石化していた時にいた家の息子だった。 守護像として購入されたは、けれども家人の一人息子が魔物にさらわれるのを見ていることしか出来なかった。 状況がそうさせたとはいえ、巡り巡ってあの家の子供を助けたというのは、少しばかり不思議に思える。 何も言わないに、ジージョは小さく身じろいだ。 はそれに気付き、安心させるように微笑んだ。 「すまないね、少し考え事をしていたんだ。俺は。こっちはとだ」 ぺこりとお辞儀をする。 はの像をじっと見つめ続けていて、ジージョに気が回らないらしい。 「は、はい。あの……助けてくれてありがとうございました」 「いや、いいんだ。それより、彼女――この像のことだけど」 ジージョはの示したの像を見た。 「まもりの女神像だって話でした。女神様がこの教団に幸運を与えるために、教祖に頼んで自分を石にしてもらったって……」 「馬鹿な! ――っ、いや、すまない」 は思わず苛立ちと共に叫び、びくついたジージョを見て慌てて謝った。 彼は聞かされた情報をそのままこちらに流してくれているだけの、ただの被害者。 怒鳴られる謂われはない。 ジージョは状況が分からないなりに、たちが石像を心配していることに気付いたらしく、一生懸命に眉根を寄せ、何かを思い出そうとしている。 ややあって、彼ははっとしたように顔を上げた。 「『女神を石化させ続ける程に強い、教祖様のお力に守られているわたしたちは幸運です』――さっきさんたちが倒した魔物が、いつか言ってました」 首を傾げる。 は顎に手をやる。 「……もしかして、教祖を倒せば石化が解ける?」 「そ、それは……はっきりとは分かりませんけど」 「いや、十分だ。ありがとう」 ジージョはほっとしたように笑み、背後でざわつく大人たちを見返った。 「家に、帰りたいです」 「――ここはセントエベレス山の頂上だからね、そう簡単には降りられない。……そうだ、」 「はい、お父さん」 「転移魔法で彼らを下におろそう。――、少しの間を護っていてくれ。すぐに戻る」 ずっとを見続けていたは、父親の言葉に頷いた。 「早く戻ってきてね、お父さん。お母さんを助けなくちゃ」 「ああ、分かってるよ」 言って、は戸惑っている信者たちに向かって声を張った。 「皆さん! これから俺たちが地上へ連れて行きます。慌てず表へ出て下さい!」 不安そうな信者たちは、しかし徐々に自分たちの状況を理解してきているのだろう。誰もに逆らうことなく、声に従って表に出始めた。 父と妹が信者たちを連れて外へ出ている間、は周囲に気を配りながら母の像の傍らに立っていた。 「……お母さん」 呟く。――返事はない。 それでも、想像の中でしかありえなかった母の姿が、どういう状況でも目の前にあるのは、にとって嬉しいことだった。 生きて、動いてくれれば、感動もひとしおのはずだけれど、今は仕方がない。 自分たちが母を助ければいい。不便はもう少しだけだから、頑張ってねと心の中で伝える。 瞳を閉ざしている母の姿は、の想像とは少しだけ違っていた。 父の話を聞く限り、とても元気な印象があったけれど、こうしているととてもおしとやかな人に見える。 母の像を見ながら、は己の頬に違和感を感じ、半ば無意識に指を這わせた。 「え……あれ? 僕、なんで」 我知らず涙を流していた自分に驚く。 不思議な感じがした。 母に――こういう形でも会えてとても嬉しいのに、心の片隅に全然別の感情があるみたいだった。 は母から視線を外し、己が身にしている天空の武具をしげしげと見つめる。 どうしてか、『感情』がそこから流れ込んできている気がしてならない。 なぜかその想いに抵抗感はなかったけれど、未だ幼いには理解不能のものだった。 温かくて、でも胸をぎゅっと掴まれているみたいな感じもあって。 ――は、『切なさ』を知らなかった。 「お母さんを助けたら、このきもちも何かわかるのかな……」 そっと、母の像に触れる。 刹那、ぴり、と指先に刺激が走った。 今まで感じていた不思議な気持ちが、すぅ、と消えてしまう。 「あれ……?」 「お兄ちゃんお待たせ!」 独りで兄を待たせているのが心配だったのか、息を切ってが戻って来た。 少し遅れて、も戻って来る。 「大丈夫だったか?」 「うん」 は慌てて自分の頬に手を当てる。 ――大丈夫。涙はちゃんとふいた。 少し様子がおかしく思えたのか、が小さく首を傾げた。 「?」 「ううん、なんでもないよ。早くお母さんを助けようよ!」 はどこか納得できない様子だったが、追及もしなかった。 内心で息を吐くは、改めて周囲をぐるりと見回す。 「教祖のヤツをやっつければいいんだよね。でも……どこにいるんだろ」 ここには最早自分たち以外の誰もいないように見える。 達の足音が妙に響くぐらい、物音もない。 「…………まさか、とは思うが」 の目線が、神殿の全体を走ったかと思うと、急に床に向けられた。 ラマダのいた辺りを特に周到に見ていたかと思えば、敷石のひとつに指を引っかけた。 彼が軽く引っ張ると、あっさりずれた。 全く固定されていない。 とも手伝って、隠されていた場所をすっかり暴く。 数名が通れるほどの穴に、階段が現れた。 灯りは全くないのでよく分からないが、はここがかなり深いのではないかと思う。 「お父さ……ん?」 の戸惑ったような声で、は顔を上げた。 視線を向けた父の表情は、どこか青ざめている。 決意を秘めたような表情が、より一層凄みを増しているように思え、は知らずごくりと唾を飲み込んだ。 「お父さん?」 「……ああ、大丈夫だ。行こう、きっと教祖はこの先だ」 が神殿に掲げられていた松明を抜き取り、先に地下へと向かう。 次いでが、恐る恐る足を踏み入れる。 はしばらく母の姿を見つめ、そうしてから父と妹の後に続いた。 ――。 誰かが、触れた。 小さくて優しい手だった。 自分を母と呼んでいた気がする。 ――、起きろって。 今起きるからもう少しだけ、待って。 2010・8・22 |