※流血注意 あくむひとつ 紫色のローブに身を包んだ、血色の悪すぎる男。 にとって、この人とも魔物ともいえる輩は、二重の意味で仇だった。 ひとつは、父親を屠った対象として。 ひとつは、最愛の妻を連れ去った対象として。 こうして対面しているだけで、己の無力さを嫌というほど感じさせてくるこいつは、半ばトラウマの対象ですらある。 対峙しているだけで額に汗が浮き、剣を持つ手に無駄な力が入る。 落ち着けと何度も己を叱咤し、やっとで口を開こうとした途端、ゲマがいやらしい笑いを浮かべた。 弧を描く口唇が、奇妙に照って見える。 「まさか、あなたがこちら側にとってこのような脅威になるとは。子供の頃にさっさと殺しておけばよかったですねえ」 「……残念だったな」 は、自分の後ろにある双子たちの気配が突然怒りを示したことに気づく。 今の話だけで、向かい合っている相手が『ゲマ』であると気づいたのだろう。 旅の過程で彼らはの仇、ひいては彼ら自身の敵をよく理解していたから。 双子にとってもまた、ゲマは自分たちの両親を奪った仇なのだ。 ゆるりと、の剣先がゲマに向かう。 「俺の悪夢のひとつを、ここで終わらせる」 自分の人生の中で、最悪の部類に入る記憶のひとつを、ここで断ち切ってやる。 ゲマの笑いは、プックルの爪がローブの裾を切り裂くことで引っ込んだ。 プックルの攻撃を皮切りに、それまでの硬直が嘘のように、皆が一気に動き出す。 が攻撃力増強の呪文を唱る。 力を増したとの攻撃が、ゲマを狙った。 2人の攻撃が当たる直前、ゲマは激しい炎を繰り出してくる。 プックルがゲマに体当たりをしたことで、僅かに隙ができる。 は攻撃の手を引き、慌てて口の中で呪文を唱えた。 「フバーハ!」 柔らかな魔力が、たちを包み込む。 ゲマはプックルを振り払うと、すぐさま炎を吐き出した。 は怯むことなく、そのままゲマに向かって剣を凪ぐ。 わずかな手ごたえ。 皮膚が炎の熱に悲鳴を上げているが、渾身の力を込め、再度攻撃をしかけるが、ゲマの放った魔力によっての体は壁際にまで吹き飛ばされた。 「お父さん!」 の声が洞窟内に響く。 掛け声と共に、の剣が煌く。 がそれに続いて魔法を放つが、ゲマが張った障壁に、あっさりと弾き返されてしまった。 己の向けた力がそのまま戻され、は小さな悲鳴を上げて地面に転がる。 「このっ……よくもに!!」 が天空の剣を強く握る。 刀身から不自然なまでに清い光が降り注いだ。 驚くゲマ。彼を守っていた魔法防壁が掻き消える。 ほんの一瞬の隙に、はに治療魔法を飛ばす。 燃える目をゲマに向けたままだったは、先ほどのように――今度は弾かれないという確信を持って――魔法を打ち込んだ。 同時に、の剣がゲマを切りつける。 双子の攻撃を喰らい、ゲマの口から絶叫が迸る。 両腕で、体を護るように抱いてよろよろと下がったそこに、とプックルが突っ込んだ。 易々と攻撃を通すゲマ。 今まで感じていた脅威が、嘘のようだった。 ゲマはぎらぎらした目をたちに向ける。吼えるかのような音を発し、両手に巨大な火球を作り出した。 父を屠った、それ。 突っ込もうとするの体を抱いて、はゲマから距離を取る。 自分の背後に炎が着弾し、凄まじい熱気を周囲に振りまいた。 振り向きざまに攻撃があった場所を見ると、地面が黒ずみ、焼け焦げている。 マグマのような液体物が、そこかしこに飛び散っていた。 苦悶の表情を浮かべながら、けれどもゲマは先程までよりもずっと苛烈な攻撃を仕掛けてくる。 「滅びてしまうがいい勇者共。我らが前に平伏し、絶望のまま消えてしまえ!」 いっそ気が狂ったかのように魔法を飛ばし、その口からは、達――ひいては人類全体に対する恨みの言葉が発せられる。 たちはゲマの放つ攻撃を避けたりすかしたりしながら、徐々に、けれど確実に、手傷を負わせていく。 プックルが吼え、鋭い爪がゲマの背後を襲う。 深く抉られた肉を気にもとめず、ゲマは魔法を撃ち込もうとするも、の魔法が彼を切り裂いた。 まるで痛みなど感じていないかのような素振りで、ゲマは右手の指先にぽつりと炎を灯す。 瞬く間に大きくなる火球。 この場にいる全員――施術者であるゲマを除いて――が消し炭になるほど、大きな広がりを見せるそれ。 ゲマの唇が歪み、『絶望しろ』と言っているように見えた。 は一瞬も迷わなかった。 近付けばそれだけで皮膚が焼けそうな相手に向かう。 ほぼ同時に、プックルも進み出、が彼の背中に足をかけ――大きく飛んだ。 奇妙にゆったりとした時間が流れる。 最中、ゲマの目が、驚愕に見開かれた。 彼の視線はに向けられている。正確には、彼女の発した光に。 の剣に、から放たれた不思議な力が纏わりつく。 剣に当たって弾けた白いような青いようなそれは、のそれにも絡みついた。 の吼える声。剣が空気を引き裂く音。 の目の前で、ゲマが今まさに解き放とうとしていた巨大な魔法が、真ん中から切断された。 何が起こったのか分からない様子で、ゲマは頭上にある魔法が、どろりと溶けていく様を眺めている。 背後に、元は魔力であった赤い光が、ぼたぼたと落ちては消えていく。 己の後ろにマグマ溜まりが作られているのを、ゲマはもう見てはいなかった。 彼の視線は、己の懐になにかを突き立てている男に向けられていた。 ゲマの口から、ごぼり、と音が出る。 は手にした剣――ゲマの腹に刺さるそれ――を、更に深く沈めた。 ゲマの指がの頬に当たる。 己の前にいる存在が、『なに』であるかを確認するように。 長い爪が頬肉を傷つけるが、それでもは力を緩めない。 今や倒れるのを待つのみになったゲマは、それでもあの厭らしい笑いの後に言葉を発した。 「人間など、ミルドラース様のお力には敵わないでしょう……おまえの大事なものはもどらないのです……ほほ……」 「をどこへやった」 低い声で凄む。 ゲマの紫のローブと、貫いた剣だけしか視界に入らないまま、はもう一度、更にきつい口調で問うた。 「はどこにいる」 「あの、女なら……安置されていますよ……栄えある像として……光の……」 「セントエベレス山……」 呟き、はゲマから剣を抜く。 軽く振ると、血糊が飛んだ。 ゲマの体が崩れ落ち、己が魔力から作り出したマグマの中で、じくじくと溶けていく。 自分の体を溶かしながらも、野卑な笑顔が張り付いている。 の小さな悲鳴がの耳に入った。 ひどく恐ろしいものを見たような声だ。 「のろわれろ、神の奴隷どもめ」 呪詛を吐く彼を、は瞬きもせずに見つめ続けた。 父親の仇が、一片すら残らず溶けて、消えてしまうまで。 持ち帰ったドラゴンオーブを見るなり、プサンは瞳を輝かせた。 乞われるままにオーブをプサンに渡したたちは、目の前で、彼が本来の姿を取り戻す瞬間を見ることになった。 驚きの余り、もも――その場にいた天空城の兵士たちでさえ、開いた口が閉まらない。 本来の姿を取り戻したばかりのプサン――マスタードラゴン――は、自分の存在を確かめるかの如く、幾度か低く唸った。 そうしてから、彼が何故『プサン』という人間になっていたのかを語った。 かつて天界と世界を救った勇者の姿を見て、人類というものに深い興味を覚えたこと。 人間の視線で世界を見てみたいという思いから、竜の力の殆どを封印し、人として生活していたこと。 脈動する邪悪に気づいて、天空城に戻ろうとした時には既に城は落ちていて。 それでも足を運ぼうとした際に、件の洞窟でトロッコが壊れ、たちに助けられるまで延々とそこに居続けたこと等々。 全てを語ったマスタードラゴンに、は臆することなく口を開く。 「は、恐らくセントエベレス山の頂にいると思います。どうか力を貸してください」 「そなたらはわたしの力を取り戻してくれた。協力するに厭いなどあろうはずがない。――よ、手を出すがよい」 言われるままに、は両手を器のようにして差し出す。 竜の神が細く長い息を吐きかけると、彼女の手の平の上に煌めく風が集まり、形を成した。 「鈴……?」 銀と白の混じった、不思議な色合いの小さな小さなベルは、が持ち上げると、ちりん、と軽やかな音がした。 「必要なときに呼ぶがいい。わたしがそなたらを背に乗せ、可能な限り全ての場所に移動してやろう。今のわたしにできるのは、この程度でしかない……」 「いいえ、充分です。を助けにいける」 は深々とマスタードラゴンにお辞儀をした。 ならって、とも同じく頭を下げる。 マスタードラゴンは頷くと、ふと、なにかを思い出したかのように瞳を細め、の道具袋を見た。 「……その中に、幼き勇者が拾った腕輪が入っているだろう。それを渡してもらいたい」 一瞬、なんのことかには分からなかった。 が先に気づき、自分が天空城の花壇で拾ったものだと伝えると、はやっとで道具袋から朽ちたそれを取り出してみせる。 マスタードラゴンの両脇にいた天空人兵士が、そろって恐れるように顔を顰めたが、それに気づいたのはだけだった。 「これが、どうか」 「我らにとって因縁の品だ。どうか渡してもらいたい」 「問題はありませんが……」 少し引っかかりを覚えながらも、は近衛にそれを手渡す。 兵士はどこか震えながらそれを取り、マスタードラゴンに献上した。 ふぅっと一息で、腕輪はその場から掻き消える。 どことなく緊張した面持ちだったが、マスタードラゴンの目を真っ直ぐ見つめた。 「どうした、幼き勇者」 「ぼくの前の勇者って、どういう人だったの?」 「!」 たしなめるようにが声を張るが、マスタードラゴンは表情の見えぬまま、やんわりとその頭を振った。 近衛たちも苦々しい顔をしている。 あまり気分のいい話ではないらしい。 「天空人の中で禁忌とされるもののひとつに、地上の人間との交わり、というものがある。それを犯した者があった。その天空人と人間の間には子供が出来たが、わたしは2人の仲を認めることができなかった」 「……引き裂いたのですか」 の言葉に、神は頷く。 「人間はわたしの雷で命を散らした。天空人はここへ引き戻したが……衰弱し」 つまり亡くなったのだろう。 言葉少なであるのは、神がそのことについて己を恥じているからなのではないかと、は思う。 は眉根をぎゅっと寄せ、 「その子供は!?」 訊ねた。彼ら双子は、ひどく不満そうに見える。 子供から親を奪う輩が許せないのだろう。 たとえそれが絶対の正義とされる神であろうとも。 「子を孕んでいた天空人は、ここに戻る時には既に命を産み落とし、どこかへ預けていた。わたしは探さなかった。存在を感じてはいたが、興味もなかった――だが、世界に脅威が蔓延した時、その人物が勇者として現れた」 「そして、世界を救った」 「そうだ。わたしは勇者に、この城に残らないかと訊ねた。だが彼はなにも言わず立ち去り、2度と戻らなかった」 事実を知っていたか否かはともかく、勇者は天空人としての生活を拒否したのだ。 地上で、人として暮らす方を選んだ――そういうことなのだろう。 「……は」 「訊ねたいことは分かる。しかし今は、お前の妻を助けることが先決ではないか?」 その通りだ。は頷いた。 とにかく全てはを取り戻してからでいい。 彼女を腕にして、それから考えよう。 に視線を向けると、彼女は先程もらったばかりの鈴を握った。 ちりん、と彼女の手の中でそれが小さな音を立てた。 2010・6・20 |