ボブルの塔


「……おや。思った程上がらなかったですね」
 ゴールドオーブを台座に納めたことで、天空城は浮上したが、それはプサンが予想するほどの高度ではなかったらしい。
 なにか問題があったのかと不安になるに、プサンは軽く肩をすくめた。
「いえいえ、あなたのせいじゃありません。この世界を纏う邪気に引っ張られているし、城の主がいませんからね」
 話を聞いていたが、あっと手を叩く。
「マスタードラゴン様ね!」
「ええ、ええ。竜の神が坐してこそ、城の力は解放される」
 は、少しずり落ちかかってきた天空の剣を直しながらプサンに聞く。
「神さまはどこにいるの? どうすれば戻ってくる?」
「彼の力さえ取り戻せれば、或いは」
 訳知り顔で語るプサンに疑問を持ちながらも、に続いて訊ねた。
「力の場所をご存知なのですか。それは、俺たちが手に入れられる?」
 プサンは笑みを深める。
 最初からこうなると承知していたかのように。



 目的地に向かってプサンが天空城を動かしている間、たちはプサンの助言に従って、天空城の一室に向かっていた。
 道すがら、天空人たちがたちの姿を訝って声をかけてきたが、彼らが城を再浮上させた者だと知るや否や、物凄い勢いで歓待された。
 水が引けたためか、生き残った天空人たちが活動を再開し始めているらしい。
 詳しく話を聞かせてくれと強請る天空人の願いをやんわりと断り、たちは目的の場所を見つけると、軽く扉を叩いた。
 中からしわがれた声が発せられ、次いで、ゆっくりと扉が開く。
 顔を出したのは老人だった。
「お入りなさいな。なにも出すことはできんがね」
 失礼しますと一礼してから、部屋の中へと入る。
 も、に倣うようにぺこりとお辞儀をしてから室内へ足を踏み入れた。
 青と白で統一された室内は、水が引けたにもかかわらず、どこかしら水中を思わせた。
 老人はゆっくりとした動きで、部屋の奥にある棚から長いものを取り出す。
 大きな留めかぎの付いた、かなり長いロープのようなそれを机に置くと、緩慢な動きで椅子に腰を下ろした。
「すまんね。探したんだが、客用の椅子はどこかに行ってしまったようでな」
「いえ、すぐにお暇しますから。――俺たちがなにを必要としているか、ご存知だったのですね」
「単なる勘じゃ。なに、長く生きていると状況からなにかを理解することもある」
 城が浮上したが、主――マスタードラゴンの力は感じられない。
 だとしたら、城を浮上させた誰かが次に取る手段は、神の力を取り戻すことだろう、と。
 老人の言葉に、は目を瞬いた。
「おじいさんは、神様がどこにいるかご存知なの?」
「いいや知らんよ。ただ、マスタードラゴン様が力を封印した時、わしもお手伝いしたのでな……。人間にはこれが必要なことを知っているだけじゃよ」
 弱々しいため息をつき、老人は背中を丸め、額を手で覆うと首を振る。
「……そこのお子らは、お前さんの?」
「俺の子供です」
「そうか……。天空の剣を持っているということは、お子が勇者なのじゃろう?」
 は戸惑い気味に、老人に訪ねた。
「ねえ、おじいさんはずっとずっと生きてるんでしょ? ボクの前にも勇者さまっていたんだよね?」
「ああ、ああ、おったよ」
 どんな人だったのかと、目を輝かせて聞く
 は、老人がひどく辛そうな顔をしていることが気になった。
 も、前代の勇者の生き証人がいるということで、老人の苦悩には全く気づいていないようだが。
、無理を言ってはいけないよ」
 やんわりとたしなめると、
「お父さんだって知りたいでしょ?」
 息子は口唇を尖らせた。
 それは勿論、興味はある。
 父パパスは様々な文献に目を通して、武勇伝などを聞かせてくれたが、それはあくまでも『伝説』だ。
 勇者を知る人物から語られたものではない。
 知ることができるのなら、知りたい。
 ――ただ。
 老人の痛みを感じているような表情が、知りたい、と言わせてくれない気がした。
 彼は言い淀むをちらりと見て、
「まあ、あんたら人間は興味があるじゃろう。まして、小さな勇者は特にの」
 ふぅっ、と、大きくため息をつく。
「精悍というよりは、どこか弱々しさを見せる青年じゃったよ。我侭でもあった」
 は顔を見合わせる。
 互いに、思っていたようなイメージではないと感じたのだろう。
「翠の髪に空色の目の、いい人間だった」
「……ボク、その人、見たことあるかもしれない」
 に顔を向ける。
「ボクがここの花壇で見た男の人、そんな感じだったんだよ!」
 興奮して声を張るは、老人が先ほどよりも苦しそうな顔をしていることに気づかない。
 の方は表情の変化に気づいたらしく、思い切り双子の兄の服の裾を引っ張った。
「な、なんだよ
 彼女は兄を睨み付け、老人を示す。
 それでやっと、表情に気づいた。
 が申し訳なさそうに訊ねる。
「あの……なにか失礼を?」
「わしにとって、『勇者』は苦い記憶を呼び起こすものなのじゃよ。気にされるな」
「理由をお聞きしても」
「――かの勇者は、天空人にとっては罪そのものだったんじゃよ。転じて勇者として英雄となったが、失われたものが大きすぎた……わしにとっても、勇者にとっても」
 老人の話は抽象的であると同時に、事柄を理解していないたちにとっては、理解しがたいものだった。
 そもそも最初から、この人は説明をする気がないのだろう。
 口に出すのも躊躇うような様子だったのに、聞いたこちらが悪い。
 は深々と頭を下げた。
「すみません」
「いいや。――マスタードラゴン様がお戻りになったら、訊ねなされ。その気があれば、話して下さるじゃろう。――さあ、もう行きなさい」
 老人はそれきり、口を開かなかった。


 竜の神の力が封印されているという塔。
 正面扉は堅く閉ざされており、どの仲間がこじ開けようとしてもできなかった。
 それも、神聖な力で閉じられているのではないことが、たち一行を暗鬱とさせたが、とにかく進まないことには話にならない。
 外周をぐるりと回り、塔の天辺に向かう階段を見つけて上った。
 頂上には、なにかを引っ掛けるための金具と、大人が数名通れる程の穴がぽかっと空いている。
「……お父さん、ここ、降りるの?」
「そのようだね」
 は、天空人の老人から渡された留めかぎ付きの長縄を取り出す。
 金具と留めかぎをがちりと組み合わせ、長縄を穴の底へと放り投げた。
 下から吹き上がってくる空気は淀んでいる上、悪寒を走らせるような何かを含んでる。
 好んで進み入りたい場所ではないが、仕方がない。
「プックルたちはここからは下りられないな……中から正面扉を開けるまで、下で待機していてくれ」
 ベルトに縄を通し、身体をしっかりと固定してからそれぞれが穴の底を目指して滑り落ち始める。
 ぎこちない動きで下りてくる息子と娘が、万が一にも落ちないように注意しつつ、はゆっくりと身体を降下させていった。


 元来、神聖な力で護られていたはずのこの塔。
 けれども今や魔物の巣窟と成り果てていた。
 封印された力を探す過程で通った祭壇の前には、うな垂れる様にして躯と化している神官の姿があった。
 なにかを訴えるように開かれていた眼をはそっと塞ぎ、後で必ず埋葬すると物言わぬ体に約束して、先を急いだ。
 神の力に至るまでの道は、何者かが竜の目を奪い取ったために閉ざされていた。
 隠された場所を推し量るのは、そう難しいことではなかった。
 地下から流れ込んでくる邪悪な気配は無視できないほどだったし、何より、先に進むに連れて、その淀んだ流れの中に、微弱ながらも、が神聖なものを感じ取っていたから。
 大きな毒溜まりを避け、は後ろを来る息子たちとプックルの様子を窺う。
「みんな、大丈夫か?」
「平気さ。もプックルもね」
「でも……お父さん、あの子たちはだいじょうぶかな」
 の視線が天井に向く。
 彼女は、地下への入り口に残してきたピエール達を気にしていた。
 塔の入り口を開け放ち、仲間を引き入れたものの、いざ地下道に足を踏み入れる段になって、ピエールが『ここで守りを固める』と言い出した。
 全員で地下に入ってしまって、万が一ここが塞がれたら出て来れないと。
 そんな訳で、プックルを除く仲間たちを上に残してきたのだが。
 プックルがの不安を慰めるように、ぺろりと手の甲を舐めている。
 彼女はくすぐったそうに笑った。
「彼らは強いから大丈夫だ。早く用事を済ませて戻ってやろう。ここも、余り長居するには向かない場所だしね」
「お父さん! なにかがいるよ!!」
 の声で、全員が臨戦態勢に入る。
 自分たちが捜し求めている『瞳』がそこにあると確信しながら、は己の視界に入った存在に愕然とした。
 剣を持つ手が震える。
 歓喜か、それとも恐怖か、そのどれでもない感情か、彼にはわからなかった。
 忘れたことなどないその顔。
「ゴンズ……俺を覚えているか」
 名を呼んだゴンズの、下品な笑いが鼻につく。
「覚えているとも、惨めったらしく泣いていたあの餓鬼だろう。わざわざまた泣かされに来たとは愚かだな」
 げらげらと笑うその声は、ひどく耳障りだ。
 プックルが唸り声を上げる。
 は父親の雰囲気ががらりと変わったことに、少々の驚きと恐れを抱きつつも、目の前の敵から視線を外すことはない。
 は無言で剣を構えた。
 それが合図だったかのように、プックルの体が動いた――ゴンズの体を切り裂くために。


 あれほど恐怖を感じた相手は、今や、にとって通過点でしかなかった。
 ゴンズはやはり『瞳』の片方を持っていた。
 となれば、もうひとつ――より兇悪な気配が流れてくる先にいるのは、奴しかいない。
 確信さえ持っている。
 父の仇のうち、2つは手折った。
 残りはただひとり。
 父の仇だというだけでなく、自分の妻を奪った、そいつ。
 ――必ず、奴を。

 地面に転がるゴンズを無感動な目で見つめる
 そんな父を、は、ただ無言で見つめていた。
 どう声をかければいいのか、幼い子らには分からなかった。




2010・4・23
描写もなくあっさりと倒してすみません…でもこんなのがもうひとつ続くかと。