自分との邂逅


 幼い自分と顔を合わせるのが、こんなにも奇妙なものだとは思わなかった。
 身長が腰ほどもない幼い子供は、怪訝な表情でこちらを窺っている。
 子供の後ろにいるキラーパンサーは、が知る彼とは、やはり大きさがまるで違った。
 プックルが不思議そうな顔をしているように見えるのは、たぶん、『が2人』いるからだ。
 は、ふぅっ、と息を吐く。
 懐かしさと、これからすることへの緊張。
 複雑な気持ちを押しのけ、少年に向けて、出来る限りの柔らかな笑みを浮かべた。
「こんにちは、坊や」
「……うん、こんにちは」
 ――物凄い違和感だ。
 そして変に照れくさい気もした。
 明らかに未熟な、小さな自分。別の生き物のようにも思える。
 だぼっとした紫色の外套の下から、ちらちらと妖精の剣が見えていた。
 サンタローズ村では、決して手に入れることなど出来ない代物。
 剣を見た父が、ひどく不思議そうな顔をしていた覚えがある。
 『妖精の国を救ってきた』と意気揚々に言えば、父は笑いながら『その調子で強くなれば、勇者様にもなれるだろう!』と頭を撫でてくれた。
 実際は勇者ではなく、勇者の父親になったわけだけれど。
「お兄ちゃん?」
「あ……ああ、ごめんね。少しぼうっとしていたみたいだ」
 自分にお兄ちゃんと言われる日が来るなど、誰が想像できただろう。
「お兄ちゃんは、旅のひと?」
「そうだよ。――ここはいい村だね、暖かくて、優しくて」
 が言うと、少年のは今までの警戒の表情などどこへやら、ぱっと明るい顔になった。
「うん、ぼく、この村が大好きなんだ! あんまり来れないけど、次の旅がおわったら、しばらくここでお父さんと一緒に住むんだよ!」
「そう、か」
 は唇を噛み締める。
 少年の嬉しそうな顔は、毒にも思えた。
 幸福が消えて、絶望の時間が来ると、大人のは知っているから。
 こちらの心情を知らない子供は、あっ、と声を上げる。
 何かと思っていると、いきなり道具袋をごそごそとあさり始めた。
 そして、黄金色の球を取り出す。
 思ってもみない展開――否、覚えていないだけだ。
 だって彼は自分だし、目の前で起きている事柄は、かつて己がした行動なわけだから。
「ねえ、いろんな所に旅してるなら、コレがなにか知ってる?」
 ――確かポワン様に、オーブを大事にしているよう言われた覚えがあるのだけれど。昔の俺、案外簡単に人に見せてるな。
 いや、違う。
 ――思い出した。
 顔も覚えていないが、あの時村にいた旅人に、何故だか警戒心を持てなくて。
 それで気が緩んで、ゴールドオーブについて聞いた、はずだ。
 大事にしろと言われたものの、それがどう大事なのか理解できなくて困っていたような気がする。
 父親にすら見せなかったはず。
 その『旅人』以外には、本当に、ちらりとも見せていなかった。
 は警戒されないよう、幼いの目をじっと見つめる。
「見せてもらってもいいかな?」
「どうぞ! でも気をつけてね、こわしたり、キズつけたりしちゃダメだよ」
 少年の手からゴールドオーブを受け取る。
 震えそうになる手を叱咤しつつ、不自然にならないような動きで眺めた。
 ――あの時の旅人は、どうしていただろう。
 必死に思い出しながら、『彼』の行動をなぞらえる。
 自分には、奇術師のような能力はない。
 当時の彼とて同じはず。
 だから、取れる方法は限られていた。今のと同じように。
 は、今気づいたというような態度で、
「そういえば俺も似たものを持っているんだよ。見るかい?」
 少年に進言する。彼は興味深そうに頷いた。
 は微笑み、外套の下にある道具袋に手を伸ばす。
 少年とプックルから視界になるよう、注意を払いながら光の球を取り出す――そうして、手にしていたオーブと光の球を交換した。
「はい、これだよ」
 差し出したのは、本物のオーブの方。
 少年は「わぁ、そっくり」と声を上げた。当然といえる。そちらは本物のゴールドオーブなのだ。
「使い方は、俺も知らないんだ。でも大事にしておいたほうがいい。こんなに綺麗なんだから、人に見せたりしたら、欲しがる人もいるかも知れない」
 それに、とは続ける。
「秘密を持っている方がカッコイイ、だろ?」
 言いながら、少年から渡されたオーブを道具袋にしまいこむ。
 そうして彼に――光る球を渡した。少年もまた大事そうに球をしまう。
 ゴールドオーブを持ち去ってしまうことに、少なくはない罪悪感を感じるが、これがなければ先に進まない。
 は小さく息を吐き、幼い自分の手を握った。
 男の子にしては大きな、くりくりとした目が己を見つめる。
「お兄ちゃん?」
「君は……これからたくさんの辛い経験をすると思う。泣きたくなったり、絶望したり、ぜんぶが嫌いになったりするかも知れない」
 少年の大きな目が瞬く。
 物言いたげな口からは、けれどなにも発せられなかった。
「それでも、諦めてはいけないよ。疲れた時に寄りかからせてくれる誰かが、きっと傍にいてくれる」
「……? うん。ぼく、諦めないよ。だってお父さんのコドモだもん」
「そう……そうだね」
 優しく少年の頭を撫で、は彼に背を向けた。
「坊や、お父さんを大事にするんだよ」




 懐かしい空間から戻ってきた時、目の前にあったのは、額縁に入った風景画だった。
 今はなんの変哲もない風景画――緑の草原と大木が描かれているが、が先ほど見た時には、壊されるサンタローズの絵だった。
 ――記憶に触れるための絵、か。人によって絵柄が変わるんだろうな。
 甘美な記憶に囚われて、戻ってこなくなる者もあるだろう。
 だからこそ女王はこの絵を安易に利用させないため、特設の部屋を作り、常に門番を置いている。
 は道具袋の中にあるオーブを確認し、部屋の外へ出た。
 途端、向かいの壁に寄りかかっていたが近付いてくる。
「2人とも……ただいま」
「おかえりなさい! はぁ……よかったよ。ずっと戻ってこないから、女王さまに聞きに行こうかと思ってたんだ」
 が大きく息を吐く。
 聞けば、二刻は戻ってきていなかったらしい。
 が不安そうな顔をしていたのは、そのためだったのかと、は微笑みながら2人の子供を抱き寄せた。
「お、お父さん……」
「心配しました。消えたまま戻ってこなかったらって……っ」
「すまない。けど、オーブは手に入れた。これで天空城は浮き上がるはず」
 そうすれば、を探す大きな力になる。
 は双子の温もりを感じながら、門番に軽く頭を下げた。
「さ、2人とも。女王様にご挨拶してから、プサンさんのところへ戻ろう」
「これで天空城が浮くんだね!」
「お母さんを助けに行けます……」
 砕かれたものさえ手に戻るんだ。
 きっと、だって無事に戻ってくる。

 ――、もう少しだけ待っていてくれ。俺が、俺たちが必ず救うから。


2010・3・19