父との邂逅


 ポワンに借りたホルンを、教えられた湖で吹くと、大きな城が現れた。
 湖いっぱいに広がる妖精の城は、なるほど確かに隠れていなければ誰にでも発見できてしまう程の大きさで。
 しばし外観に呆けていたたちは、サンチョに急かされて湖の岸から小船を使い、城へと踏み込んだ。
 その場に足を踏み入れた瞬間、は無意識に身を強張らせる。
 、サンチョ、その他の仲間たちも同様の感覚を抱いたらしく、少しばかり表情に緊張が見て取れた。
 門番らしき妖精に従い、通された先は広い部屋。
 煩くない程度に豪華なその場所の中央。見事な衣に身を包み、頭に小さな冠を乗せた小柄な女性が大きな椅子、否、玉座に座っていた。
「女王様、お連れいたしました」
「ご苦労」
 門番に短いねぎらいの言葉をかけた女王の目が、に向けられる。
 ポワンのそれとは違い、少し厳しさの混じる金の瞳に向かって、は頭を下げた。
。貴方の願いは分かっています。結論から申しますが、わたくしは貴方の望む物そのものを持ってはおりません」
 は頭を上げて女王を見つめた。
 隣で膝を折っていたが立ち上がり、不満交じりの声を上げる。
「じゃあムダってこと?」
 小さく名を呼び、をたしなめる。
 彼はぐっとつまり、不満を面に浮かせたまま、それでも口を閉ざした。
 頭を下げ、は無礼を詫びる。
 女王はゆるりと首を振った。
「幼き勇者の不満ももっともなこと。確かにわたくしは、『そのもの』は持っておりません。故、の力が必要なのです」
「僕の力?」
 頷く女王。彼女は玉座から立ち上がると、の目の前にやってきた。
 彼女の手の平から光が溢れ、の手に零れ落ちてくる。
 軽い重み。
 気づくと、自分の手の上にゴールドオーブがあって。
「ゴールドオーブ……」
「なんだ、あるんじゃないか」
「ちょっと、さっきから失礼よ!」
 ずっと黙っていたが、の服の裾を思い切り引っ張る。
 それでまた彼は不満そうにしながらも、口を閉ざした。
 は手の上にあるそれを見つめ――女王に視線を向ける。
「……とてもよく似ていますが、これは違いますね?」
「ええ。外見はオーブそのものですが、内包する力は本物とはかけ離れて弱い」
 女王は息を吐き、玉座に戻ってゆっくりと腰を下ろした。
「天空の城が落ちたと知り、わたし達は浮力であるオーブが失せたのだと思いました。そこで取り急ぎ、次のオーブを作ろうとしたのです。ですが、できなかった」
 何度試みても、かつてのそれと同等のものは作れなかった。
 何か特別な手法を用いて作られたオーブ。
 けれど、その『特別』な部分は、長い妖精たちの歴史の中で失われてしまったのだ。
 妖精とて平和に慣れる。忘却していく。人と同じに。
「そこで、先ほど申したように、の力が必要なのですよ。この城の上部に、小部屋があります。そこに一枚の絵がかかっている」
 女王の表情が曇って見える。
 禁じ手であるのかも知れない。
「絵は、正面に立った人物を、強く願った場所、強い記憶の残る場所へと誘います。――貴方は子供の頃、本物のオーブを手にしていた。ですから」
 は、あっと声を上げた。
 幼い頃に出会った男のことを、唐突に思い出したからだった。
 まだ平和な、サンタローズ村でのことだ。
 その男は、旅人だと言っていた。そして、綺麗な珠を持っているねと声をかけてきて。
 ――俺はそれを、その人に見せたはずだ。
「まさか、あの時の人が俺……?」
「オーブを取り戻すには、これしか方法がありません。そして、貴方は甘美な記憶の中に戻ることになります。そして、貴方が歴史を無用に波立たせれば、総てが歪む。――分かりますね」
 は手の中にあるオーブを大事に包み込み、力強く頷いた。



 ざあ、と風が通り過ぎる。
 閉じていた目を開いたの目の前には、泣きそうになる位、懐かしい風景が広がっていた。
 あの頃よりもずっと高くなった視界で見るサンタローズ。
 何かひとつが違えば、ずっと平和な村であり続けたであろう場所を、は暫く眺めた。
「……おいアンタ」
「あ……」
 門番の男が、不審そうな目でこちらを見ていることに気づく。
 はにこりと微笑み、会釈した。
 門の番をするには、少しひょろりとした彼は、よく
「パパスさんみたいに強くなるには、一体どうしたらいいんだ」
 とこぼしていたものだ。
「村に何の用だ? ここらじゃ見ない顔だが」
 一瞬戸惑ったが、はぎこちなくない程度に言い訳を口にしていた。
「旅の、者です。こちらにパパスという剣豪がおられると聞き、立ち寄ってみたのですが」
「パパスさんに弟子入りでもするつもりか? だとしたら諦めるんだな。あの人は旅ばかりで、ひとところに腰を落ち着けない。……ま、記念に話でもしておくといいぜ」
 半ば反射的に口にした誤魔化しの言葉だったが、存外うまくいったようだ。
 は一礼し、村の中へと足を踏み入れる。
 懐かしい顔と懐かしい土くれの香り。
 記憶が確かならば、長い冬を終えて春を迎える頃合い。
 がポワンのお願いを終えて、妖精の国から戻ってきた――その時のはずだ。
 道なりに歩いていると、色々と懐かしい顔に怪訝な顔をされた。
 サンタローズは排他的な村ではないが、旅人がちょくちょくやってくる場所でもなかった。
 だから、あからさまに『旅人』の風体である自分が、少々好奇と警戒の眼差しを受けることも頷ける。
 今この時、この場所では自分という存在は部外者だ。
 その事にわずかな違和感を感じはするも、懐かしさに満たされた胸の殆どは、喜びを訴えている。
 自然と軽くなる足。
 けれども、父とサンチョがいるであろう家を目の前にして、の歩はぴたりと止まった。
 ここへ来る前に言われた言葉が、脳裏でがなる。
 ――歴史を狂わせれば、総てが歪む。
 ラインハットの兵士に壊されていない、暖かな村サンタローズ。
 ――もしも俺が今、父さんに警告を発したら、彼はラインハットへ行かないかも知れない。
 そうすれば、死ぬことはないはず。
 ――ダメだ。それは歪みを生じることだ。
 分かっていながら、悩んでいながらも、の本心を掬い取るかのように、彼の足は2階にいるであろうパパスの元へと向かっていた。
 家の中へ入る。懐かしい香りがした。サンチョが昼食を準備している時の匂い。
 泣きそうなほど、甘美な香りだった。
 当のサンチョは出かけているのか、1階に人の気配はない。
 鍵をかけないで出かけるのは、村の皆は家族同然だという雰囲気のなせる業だ。
 は引き寄せられるように、2階の階段を上る。
 扉にてをかけたところで、中から声がかかった。
「どなたかね」
 一瞬、扉を開けることを躊躇する。
 自分がバカなことをしていると、はよくよく理解していた。
 それでも、記憶にある父親の優しさを求めてしまうのは、甘え以外の何物でもない。
 はぐっと口唇を噛み締め、意を決して扉を開けた。
 求めていた存在を視止めた瞬間に、彼の――パパスの名を呼びたくてたまらなくなる。
 椅子に腰を下ろして、何かを書いていたらしいパパスの目が、を見た。
「……はて、わたしに何か御用かな、見知らぬお方よ」
 乱雑にくくった黒髪も、優しい瞳も声色も、すべてがの感情に訴えかける。
 目の奥がつんとする。今にもわっと泣き出しそうだ。
 ――父さん。ああ父さん。
 幼い頃は何よりも高く大きく見えた背中は、今や自分と同じほどに見えた。
 勿論、戦士としての強さは、未だ彼に到底敵わないだろう。否、一生敵わないように思う。
 にとって、パパスは永遠に超えるべき壁であったから。
「どうかなさったか」
「い、え。……いえ、なにも。俺……僕は、あなたにお会いしに来たんです」
「ふむ。不思議なお方だな。まあ座るといい」
 パパスに、向かい側の椅子を示される。
 今すぐきびすを返して逃げ出したい気分と、もっと父と語り合っていたいという矛盾した気持ちをない交ぜにしながら、結局椅子に腰を下ろした。
「それで、用向きは」
 促されるが、特にすべき会話などあるはずもない。
 混乱する頭で口にしたのは、
「ラインハットへは行かないで下さい」
 最も口にすべきではない事柄だった。
 パパスの目が驚きで軽く見開かれる。
「何故にそれを」
「危険です。お願いだ、行かないで下さい」
 俺は今、泣きそうな顔をしているに違いない。思いながら、はパパスの目をじっと見つめ続けていた。
 パパスは腕を組み、深く息を吐く。
「お主がどこのどなたかは存じぬし、何故、わたしがラインハットへ行く事を知っているかも存じぬ。だが、友の願いを断るなどできぬ相談なのだ」
「しかし!」
「妻と同じ目を持つ不思議な人よ。忠告はありがたく受け取るが、わたしにはわたしの為すべき事があるのだ」
「為すべき、こと」
 ――何をしているんだ俺は。
 パパスの言葉に、冷や水を浴びせられたように、頭の芯がすっとした。
 今この場所ですることは、父を、ラインハットに向かわせないことではない。
 幼い自分と出会い、オーブを交換することだ。
 押し黙る
 パパスの表情が緩む。
「お主にも、何か大事なことがあると見えるな」
を……大切な人を、探しているんです」
「ほう」
「真っ直ぐで強がりで、でも時々弱くて……とても怖がりなんです。だから早く見つけないと」
 彼女が今この瞬間もたった独りでいることを思うと、胸が軋む――自分への怒りで。
 あの時自分がもっと機転を利かせていたら。
 後悔は澱のようにを浸食する。
 幼少の頃は、もっと強かったら父を失わずに済んだのだと己を責め立てた。
 今はそこに、を護りきれなかったという事実が混じり込んでいる。
 を見つめていたパパスは、ふ、と顔を緩ませた。
「お主はどこか、わたしにも似ているな。――妻と同じ目を持つ若者よ。己の周囲が絶望ばかりだとしても、その暗澹たる泥の中に、一滴の希望があると願おうではないか」
 パパスの視線が、の背後にある窓に向けられた。
 風が、かたかたと窓を鳴らす。
「生の中に無駄なことなど、何もない。無駄な足掻きこそが、その後の己を形作る切っ掛けになったりするものだ」
 その言葉は、パパスが自身に言い聞かせているようでもあった。
 マーサを、そして勇者を探して方々に足を伸ばす根無し草同然の旅。
 絶望したことも、数え切れない程あるやも知れない。
 それでも真っ直ぐに前に突き進む父。目指すべき人物だと、は心から思う。
 ――そうとも。
 開かない扉とて、僅かに指先が引っかかれば、次は足先が入るかも知れないじゃないか。
 奴隷生活という絶望の中で、という大事な人を見つけられた。
 それだって、闇の中の光。
 だから今度だってきっと。
「――ありがとうございます、パパスさん」
「いやなに。ひどく境遇が似ている気になってな……」
 確かに、状況は似ている。笑えない程に。
「僕は、貴方とこうして話をできたことを、誇りに思います。――もう、行かないと」
 立ち上がり、パパスに一礼する。
 彼は記憶の中にあるのと同じ、柔らかい微笑を浮かべていた。
 戻ったら、2度と見ることのできないであろう父親。
 彼はこれからラインハットに赴き、帰らぬ人となる。
 それでもにとって、彼が永遠の超えるべき壁であり、師匠であり、優しい父であることになんら変わりはない。
「若者よ。諦めてはいかんぞ」
「はい。――僕、父親に似て諦めが悪いんですよ」
 言って、は笑った。



2010・2・19