必要なもの



 サンチョと仲間たちを、マスタードラゴンの玉座に残したまま、玉座裏の長い階段を下りた先。
 何も乗っていない台と、そこに乗せられたの受け皿――元は何かが据えられていたようだ――を見つめ、プサンが首を振る。
「……まさか、ゴールドオーブが壊されていたとは」
 の顔を見ながら、プサンが何かとてつもない失敗をした時のような声色で呟く。
 彼の声色と同じように、の表情も沈んでいた。
 プサンの、現状に対する残念さとは違ったところで、は己を悔いていた。
 天空城が沈んだ理由は、城を支えていたオーブの、対のひとつが何処へかに消えてしまったから。
 そしては、その対のオーブ――ゴールドオーブを、一度は確かに手にしていた。
 幼い頃にビアンカと『おばけ退治』へ向かい、解決する過程で手に入れた、金色のオーブ。
 しかしそれは、目の前で無残に壊された。
 父を屠った、ゲマによって。
 その場面を、一度だって忘れたことはない。
 目の裏に焼きついて離れないその場面。
 オーブの件について考えると、自然、父親を喪う場面も浮かんできて、はきつく拳を握った。
 父親の不穏な空気に気づいてか、が目を瞬き、の手を掴む。
「お父さん……?」
「すまない。大丈夫だ」
 娘と息子を不安がらせてはいけない。
 にこりと微笑むと、も、幾分か肩の力を抜いたように見えた。
 小さく息を吐き、はプサンに視線を送る。
「それで……一体どうすればこの城は浮き上がるんですか」
「オーブを揃えれば。しかしオーブはそこらで手に入る物ではありません」
 が頬を膨らませ、プサンに詰め寄る。
「やってみなきゃ、わからないじゃないか」
 が同意するみたいに大きく頷き、プサンは何が嬉しいのか頬を緩ませた。
 彼は表情を引き締めると、ひとつ咳払いをする。
 そうして、オーブを手に入れるために必要なことを口にした。
 話を聞いたは、目を瞬く。
 まさかこんなにも大人になって、もう一度その場所に関わりを持つとは思っていなかったからだ。
「妖精がオーブを作る……ですか」
「ここよりずっと西に、妖精の森と呼ばれる場所があります。その森を抜け、妖精の国の女王に頼む他、オーブを取り戻す手立てはありません」
「わぁ、妖精さんに会えるのね!」
 が両手を組んで喜びをあらわにする。
 も目をきらきらさせて、興奮を伝えてきた。
「早く行こうよお父さん!」
「ああ。しかし……懐かしいな、妖精か」
 夢と間違うほどに美しく、神秘的な場所だった。
 父と一緒にたくさんの場所を旅したの記憶の中でも、最も――良い意味で――印象に残る場所。
 美しくて儚くて、手を触れたら消えてしまいそうな世界。
(――妖精は人よりずっとゆっくり年を取るのよ。もしかしたら、大人になったに会ったりするかもね)
 当時の友人、妖精ベラの言葉を思い出す。
 もしかしたら彼女に、本当にまた会えるかも知れない。
 くすりと笑う
 双子が首を傾げた。が問う。
「お父さんは、妖精に会ったことがあるの?」
「ああ。お前たちぐらいの頃に、妖精の国を冒険したんだ」
「えーーー! いいなあ!」
「妖精たちの困り事を解決して……そういえば、女王様に何かあったら頼れと言われていたな」
 その言葉に、プサンが大笑いし出す。
 彼以外の全員が、ぎょっとして目線を送った。
「はははは! ふぅ、すみません。さんは不思議な人脈を持つお方ですねえ……いやはや、これで希望が持てますよ」
「どういう……?」
「妖精の許しがなければ、たとえオーブがあったとしても持ち出せないんですよ。国の神秘を外部へ持ち出すには、許しが必要ですからね」
 それじゃあとにかくお願いします、と笑うプサンの表情が、なぜだか急に固まった。
 不思議に思いながら、彼の、一点に向けられている視線の先を追うと、
「俺の荷物が、どうか?」
「いえいえ。ここに来るのにだいぶ治療薬を使わせてしまいました、と思い返しまして」
 誤魔化すような雰囲気の混じったプサンの言葉に、は違和感を感じながらも乗った。
「大丈夫ですよ。妖精の森へ行く前に買い足しますから」
「そうですか、すみません。それじゃあ――お願いしますよ」
 言って、彼は台座をじっと見つめる。
 これ以上の会話は不要だとばかりに。
 を連れ、上の階に待たせている仲間たちと一緒に、妖精の森を目指した。



 かつては見えた妖精の姿が、見えなかった。
 その事に、少しばかり落胆してしまった
 大人になるということは、子供の頃に持っていた不思議を見つける能力を少しずつ削って、目の前の現実への対処に変容させていく、ということなのかも知れない。
 それを喪失と呼ぶか、成長と呼ぶかは、人それぞれだろうけれど。
 懐かしい妖精の村へ足を踏みいれたは、ほっと息をついた。
がいなかったら、延々と森を歩いていただけかも知れないな」
 ありがとうの意を込めて、子供たちの頭を撫でてやる。
 くすぐったそうに微笑む双子の後ろには、と同じように、懐かしそうな、安心したような顔をしているプックル。
 ピエールはなんとも呆けたような声で、
「この桜の中で酒でも口にできれば、良い塩梅でしょうなあ……」
 などと言っている。
 現状を鑑みれば、和んでいる場合ではない。
 ただ、そうさせる雰囲気がここにはある。
 視界が妙に透き通っていて、けれど夢の中にいるような現実感のなさ。
「さて。ぼんやりしていないで、とりあえずは目的を」
「あらあら。随分と大きくなったのね!」
 言葉に被さるようにかかった声は、の記憶にあるものと全く変わっていなかった。
 驚きと一緒に嬉しさが込み上げて、知らず、口が緩む。
 綺麗な紫の髪。少し吊りあがった、意思の強そうな目。
 しっかり者のように見えて、実は抜けていたり大食いだったりする妖精。
 かつては見上げていたその顔が、今は自分より下にあるのは不思議に思えた。
「ベラ……久しぶりだね」
「大きくなったわね。っていうか大きくなりすぎよ。……まあ、子供までいるんだもの、当たり前よね」
 けらけらと笑うベラを、はきょとんとして見つめている。
 プックルが懐かしそうにノドの奥で唸った。
「もっとお話していたいけど、今は一緒に来て。ポワン様がお待ちよ」


 城である大樹と、多くの妖精たちが住む場の間には、湖が横たわっている。
 橋の代わりに、大きな蓮が連なっているその場所を通り抜け、ベラに続いて女王の間へと足を踏み入れた。
 記憶にあるものと変わらない――視界はだいぶ変わった広間を懐かしく思いながら、はポワンの前で頭を垂れる。
 優しく、柔らかい声が振ってきた。
「久しぶりですね、
「お久しぶりです、女王様。またお目にかかれるとは思っていませんでした」
 深く頭を下げているに向かって、ポワンは一瞬驚いたような表情を浮かべた後、微笑む。
「頭を上げてください。この国の救い主たる貴方に、そんな気遣いは無用です」
 は言われたとおり、頭を上げた。
 倣って、も頭を上げる。
 ピエールもプックルも、彼らなりにきちんとした態度をとっているようだ。
、ひとつ訂正しましょう。わたくしは『女王』ではないのですよ。確かに妖精の国の一部を預かっている身ですが」
「そ、そうだったのですか?」
 幼心に彼女を女王だと思い込んでいたからだろう。
 失礼な発言だったかと慌てたに、ポワンは柔らかな声をかけた。
「あなた方風に言えば、『領主』でしょうか。ですから、わたくしのことは名前で」
 くすりと笑ったポワンは、言葉を続ける。
「あの時の子供が一国の王になり、子供までいる。時の流れとは不思議なものですね」
「つちわらし相手に、ひーひー言ってた子供だったのに」
 からかい混じりで言うベラに、は苦笑いを浮かべた。
「ああそうだ、ドラゴンベビーの火の息で『火傷するから止めてよ!』って逃げ回ったこともあったわよね」
「ベラ……人の過去を」
「お、お父さん、そうだったの?」
 が驚いたようにの袖を引く。
 咎めるようにベラを見ると、彼女はけらけらと笑っていた。
「お父さんにも、子供時代があったってことだよ」
 微妙に気恥ずかしい気持ちになったは、誤魔化すようにの頭を撫でた。
 その様子を見ていたポワンが、やんわりとベラの名を呼んで制する。
 途端、ベラは顔を引き締めた。
「も、申し訳ありませんポワン様。冗談が過ぎました」
「許してくださいね。ベラも貴方に会えて嬉しいのです」
「僕も同じ気持ちですよ。時間があったら、もっとゆっくりしたいのですが――」
「ええ。今はすべき事を」
 ゆうるりと、ポワンが手の平を差し出す。その上に、小さな楽器のようなものが現れた。
 白銀の中に桜の色が揺らめくそれ。
 ベラの手を介して渡された楽器は、ほのかな温もりを感じさせた。
「それは、妖精のホルンと呼ばれるものです。世界の中心、セントエベレス山の麓にある、大きな湖。常に霧がたちこめ、人を阻むその場所で、ホルンをお使いなさい」
 そうすれば、妖精の城が見えてくるはずだと微笑む彼女に、がおずおずと声をかける。
「あの、ボクたちゴールドオーブが欲しい、んですけど」
「ええ、分かっていますよ。けれど……申し訳ないのですが、わたくしにはどうにもならないのです」
 が小首を傾げる。
「ポワン様がオーブを作っている、のではないのですか?」
「ええ。わたくしは季節を司る妖精。神秘の物を作れるのは、妖精の城におわす女王様なのです。そしてそこには、認められた者しか入ることが出来ません」
「――分かりました。では、このホルンはお借りしていきます」
 が一礼し、小さなホルンを道具入れにしまう。
「ホルンは、総てが終わるまで預けておきます。――、貴方の妻が無事に戻ることを、祈っていますよ」
 柔らかな笑みにつられるように、自然、の口元が緩む。
「次は――妻も一緒に、ここにお邪魔します。必ず」



2009・11・27