天空城



 エルヘブンを出てから、たちは一度ラインハットへ立ち寄り、後、かの長老らに教えてもらった道筋をたどった。
 天空の塔を経て後に、天空城とやらが水没していることを知った。
 手に入れたマグマの杖で、塞がれていた岩盤を開き、炭鉱のような場所を延々と進み続けた一行。
 トロッコで海へ突っ込んだ時は生きた心地がしなかったが、何かの力が働いていたのか、特に何かがあるでもなく無事に天空城に辿り着けた。
 間違いなく海水の中だというのに、達の服は全く濡れていない。
 周囲の空気は、微かに湿り気を帯びている、とは思うが。
「これは……」
 背後で小さな声がし、は振り向いた。
「どうかしたんですか、プサンさん」
 プサンは、例のトロッコ坑道で出会った、カジノのディーラーでもやっていそうな風体の男だった。
 黒いズボンを黒い吊りベルトでとめている、少しだけ細身の彼。
 何をどうしたのか、閉ざされていた坑道でトロッコに乗って、延々と同じ場所を回っていた、かなり怪しい人物だ。
 サンチョは多少警戒していたが、悪い人にも思えなかった。
 そのため一緒に連れて行って欲しいという願いにも、はあっさり頷いてしまった。
 が、変に彼を気に入ってしまった、というのも理由のひとつではあるが。
 ともかく、そのプサンはかなり衝撃を受けた表情で、眼前の巨大な城を見上げている。
「プサンさん?」
「なぜ……このようなことに。わたしがいない間に、一体何が」
 こちらの問いなど耳に入っていない様子で、彼は突然駆け出して行った。
 通路に広がる水溜りを気にもせず、目的を見定めているかのように。
「独りじゃ危ないですよ! ……なんなんだ、あの人は一体」
 は軽く息を吐き、横でぽかんと大口を開けて城を見つめたままの双子を呼ぶ。
「2人とも行こう。プサンさんが」
「うん」
 2人が頷く――が、が突然目を見開いて、の後ろをじっと見つめた。
 振り向くが、そこには誰もいない。
?」
「お父さん、人がそこに」
「……? 、俺には」
「あっ、待って!」
 には見えない誰かが、移動し始めたのだろう。
 はその人を見失わないためにか、急いて駆け出して行く。
「こら! ……仕方ない。サンチョ、を頼む。皆と一緒に、プサンさんが向かった大扉へ行って」
「坊ちゃんは」
を連れて行くから。頼んだよ」
 言い、は急いで息子が消えた扉へと向かった。


 は、父が止める声を耳にしていたが、駆ける速度を緩めることが出来なかった。
 先ほど見た人を、どうしても追いかけなければいけない気がしたからだ。
 急いでいて注意力散漫なせいか、片足を大きな水溜りに突っ込ませてしまい、跳ねた雫で靴と外套の裾が思い切りぬれる。
 海の中なのに、水溜りがあるなんておかしいなと思いながら、は入り組んだ道の先で消えてしまったその人の姿を探した。
 長い通路の右側には、扉がたくさんあった。
 しかし不思議なことに、水で壁ができていて入れそうにない。
 鏡面に指先を触れさせると、弾力と共に弾かれてしまった。
「じゃあ、こっち……かなあ」
 呟き、ふ、と視線を逆側――通路の左側へ向ける。
 あちらには、扉がひとつ、ぽつんと備わっているだけだ。
 誘われるようにそちらに向かい、ゆっくりと扉を開く。
 部屋の中を見た途端、は「わぁ」と呟いた。
 そこは、室内庭園のようだった。
 花壇には、この城が水浸しであることを忘れさせてくれる程に、美しい花々が咲いている。
 部屋の中央、ひときわ大きな花壇には、小さな噴水さえ設えられているし、部屋の端には天空人の休憩場所だったのか、テーブルやイスもある。
 花の好い香りが漂う中、は自分が追っていた男性が、噴水つきの花壇の脇に立っていることに気がついた。
 どうして、あんな目立つ所に立っていて、すぐに気づけなかったのだろう?
 部屋の素晴らしさに目を取られて、視界に入らなかったのかも知れない。
 は彼から少し距離を取って立ち、声をかけた。
「あの!」
 しかし、視線の先の人はなんら反応を起こさない。
 俯いていて表情も読めず、何をしているのかも分からない。
 ――なんでボク、この人を追いかけたんだろう。
 ひどく不思議な感じがした。
 この人と自分には接点などないはずだし、どこかで出会った覚えもない。なのに、懐かしい。
 グランバニアの王宮に、賓客として来た?
 それとも、旅の途中で見たことがある?
 どれも違うと、思う。
 噴水の、水が水を叩く音だけが耳に入ってくる。
 決して、静かにしていることが得手ではないは、もう一度声をかけようとして――ぎくりと身をすくませた。
 彼が、俯いていた顔を上げた。
 ――うわ、あ。
 声に出さず、は口を開けて驚いた。
 人の容姿に驚くことがあるとは、思わなかった。
 自分の知るどんな人より綺麗な、翠の髪。濃い空色の目。通った鼻筋。
 格好よさは自分の父親が断然上だと思うけれど、この人もすごい、とは妙な感想を抱く。
 じっと顔を見ていると、彼はふいに眉を寄せた。
 慌てて謝ろうとしたより先に、彼が、口を開く。
『ごめん』
「え……?」
 突然の謝罪に、は目を瞬いた。
 青年は苦しげな表情のまま、また言葉を綴る。
『守れなかった。望みを叶えられなかった』
 苦しくて、泣きそうで、とても辛そうな声。
 は無意識に、己の胸元に手を当てていた。
『君の、望むものに、なれなかった。――ごめん』
 の存在など、そこにないかのような独白は、突然に終わった。
 ――彼が、消えてしまったから。
「え、え!? なに、今の……」
! 無事か!?」
 背後からの声に振り向くと、そこには息を切らした父親の姿があった。
「やっと入れた……」
「お父さん。え、入れたって」
 は大きく息をつく。
 ここしか入れる部屋がないのに、その扉が頑として開かずに困ったのだと言いながら、彼はもう一度息を吐いた。
 は首を傾げる。
 ボクが入ったときは、すんなりと開いたのに、と。
「お父さん、ボクが追ってきた男の人、消えて――ええ!?」
 花壇に目を向けたは、驚きのあまり大声で叫んでしまった。
 目を擦り、何度も風景を見返す。
「な、なんで? だってさっきまで凄く綺麗な花が……噴水だって……」
「花?」
 が訝しげに部屋の中を見つめる。
「……ああ、確かに花壇や噴水があったんだろうね。けど、手入れされなくなってだいぶ経つだろう、この様子では」
 先ほどまで香る程に咲き誇っていた花も、綺麗な水の噴水も、そこにはなかった。
 崩れかけた花壇の枠。当然、花などない。あるのは土塊ばかり。
 信じられない思いのまま、は先ほど男性が立っていた場所を見た。
「あれ?」
 そこに、鈍い光を放つ何かがある。
 はそれを手にとって眺めた。
 細かな細工の施された腕輪。
 元は黄金色をしていたのだろうが、今はくすみ、しかも所々欠けているように見える。
 彫り物は複雑で、グランバニアの名匠が彫ったものと同じ位、細かく美しかった。
「お父さん、これ」
「……天空人の忘れ物、にしては……不思議な感じがする」
「持っていこうよ。何かに使えるかも知れないし」
「そう、だな」
 は少しだけ考えたものの、結局それを道具袋に入れた。
 腕に着けるものなのだろうが、何故だか、そうする気には、2人ともならなかった。
「さあ、達が待ってる。今度はプサンさんを追いかけないとね」
「うん」
 部屋を出るに続くように、も足を進める。
 は部屋を出る前に、例の男性がいた場所を振り返り見た。
 そこにはやはり、誰も居なかった。


2009・10・17