新たな歩み



「……っはぁっ!!」
 急に酸素が入ってきたためか、は意識せぬほど大きく息を吸い、吸いすぎて逆にむせた。
 体全部が、急激な変化に耐え切れなかったのだろう。
 は口元に手をやり、幾度か乾いた咳を繰り返した。
 そうして――気づく。
 指が、動いている。視界も。
「……動いてる」
「「お父さん!!」」
「坊ちゃん!!」
 3人の声がすぐ横から聞こえ、はふと顔を向けた。
 まず視界に入ったのは、驚いて腰を抜かしているらしい、石像だったを購入したこの家の富豪。
 次に、以前見たときよりも年を取ったように思えるサンチョ。
 そして――金髪の少年と少女の姿。
 2人の子供を見止めた瞬間に、理解する。
 長いこと声を出していなかったせいか、喋る際に舌がもつれそうになった。
「――、なのか?」
 赤子の姿でしか知らないだったが、彼らが自分の子供であるという自信を持っていた。
 ただ、声に不安が入り混じるのは仕方がない。
 何しろ、何年経ったか分からないが、赤ん坊だった子供たちが、いきなり成長して自分の目の前に現れたのだから。
 の戸惑いをものともせず、少年と少女は泣きそうな顔で彼に抱きつく。
 強く強くしがみ付いてくる子供たち。
 自然に、の手は彼らの背中に回されていた。
 とんとんと、あやすように2人の背中を叩いてやる。
 伝わる微かな震えと温もり。
 己の体が石の呪いから開放されたのだと、改めて感じた。
「お父さん……会いたかったよ!」
「会いたかったです……!」
「ああ、俺も会いたかったよ。……助けてくれてありがとう、。君たちは最高の子供だ」
 泣き出す。涙を我慢する
 2人を抱きしめ、柔らかな髪を首元に感じながら、は瞳を閉じる。
 この時ばかりは、自分に過酷な試練を与え続ける神に、全身全霊でお礼を言いたくなった。
 ――ああ神よ。希望をありがとうございます。
 ――そして何より、自分の子供に心からの感謝を。




 再開を果たしたと子供たちは、サンチョの提案により、一度グランバニアに戻ることにした。
 がルーラを使って戻ったのだが、少なからずは驚いた。
 ルーラは古代呪文だったはず。
 使える者は、自分の他にはいない――はずだったのだが。
 サンチョ曰く、「様の魔法の力はとてもお強い」だそうだ。
 を最も驚愕させたのは、幼いが天空の剣を使える、ということだった。
 選ばれた者――つまり勇者――にしか使えないそれを、軽々と使ってみせた
 父パパスや自分が必死に探していた頃には、勇者は生まれてすらいなかった。
 その事実はに相当の衝撃を与えたが、今更言っても詮無いことだ。
 天国にいるはずの父親も、苦笑いしているに違いない。

 ともかくグランバニアに戻ったは、国民に喜びの声と共に迎え入れられた。
 長い間城を留守にして申し訳なく思いながら、未だ自分を王と認めてくれていることに、とても嬉しくなる。
 喜びの表情がもっとも顕著だったのが、元大臣のオジロンだった。
 彼はの両手を掴み、腕がもげるのではないかと思うほどに上下に振った。
 すぐに話を、と思ったのだが、オジロンはに体を休めて欲しいと言い含め、早々にを部屋に押し込んでしまった。

「……変わらないな」
 の部屋――つまり王の部屋は、彼がここを立ち去ったときとまるで変わっていなかった。
 もちろん、騒動で壊された窓などはきちんと修繕されているが。
 ベッドも調度品も手入れされている。
 部屋は久方ぶりに主人を受け入れて、温かな雰囲気すら発しているようでもあった。
 は窓辺に近付き、そこから階下を見つめた。
 庭師が庭園を手入れしている。
 暖かな雰囲気。王が戻ってきたことで、少なからず安堵の彩を示すグランバニア。
 ――だが。
 は表情を曇らせる。
 自分の隣にあるべき姿がない。愛しい人の姿がない。
 それはとても耐えられる代物ではないように思えた。
「……俺は」
「お父さん、入っていいですか?」
 ノックの後、扉の向こうから小さな声が聞こえてくる。だ。
 が扉を開くと、彼女だけではなく、と――もうひとり。
 懐かしい面差しの女の子――否、もう女性だが――が立っていた。
「君は……いや、とにかく入って」
 は嬉しそうに、部屋に駆け入る。
 それを見た女性が軽くため息をついた。
「お二方。嬉しいのは分かりますが、お部屋で走ってはいけません」
「「はぁい」」
 すぐさま大人しくなる双子を見て、は目を瞬く。
 女性は微笑み、静かな動作で扉を閉める。
 の前に真っ直ぐ立ったかと思うと、突然彼女は体を折り曲げた。
 床にひざを突き、頭を深く下げる。
 何事かと驚く子供たち同様、も彼女の行動の理由が見出せずに戸惑う。
 は彼女の体が、小さく震えていることに気づいた。
 無言のままの彼女の名を、記憶の中から引っ張り上げる。
「確か君は、ジゼル、だったね? の傍仕えをしていた女の子だろう?」
「憶えていて下さって光栄です。……わたくしは王様に、お詫び申し上げなければ」
「詫び?」
 ジゼルは顔を上げぬまま、続ける。
「8年前……わたくしは……王妃様をお守り出来ませんでした……。そのせいで王子様や王女様にも寂しい思いをさせてしまっています」
 が異論を唱えようとして、に口を塞がれた。
 は小さく首を振ると、ジゼルの肩に優しく触れた。
 顔を上げる彼女の顔は、が連れ去られたときよりもずっと大人びていたが、瞳に含まれた不安と後悔は、あの時と同じであるような気がする。
「君があの時にクローゼットから出ていたなら、君も、もちろん俺の息子と娘もこの場にいなかっただろう」
「王……」
「だから、君の判断は間違ってはいなかった。それに……謝らなければならないのはこちらだよ。子供を残して勝手に国から出て行った挙句、を助けるどころか石化していたんだから」
「そのような」
「ジゼル。君が俺との子供を育ててくれたこと、感謝している。だから立ってくれ。――だって君を恨んだりしていない。君たちを護るために力を振るったのだから」
 の言葉に、ジゼルは顔を泣きそうに歪ませる。
 涙を見せることはなく、額に手をやった後にすっと立ち上がった。
「……取り乱しまして申し訳ございません」
「いや。……しかし8年というのは長いね。子供が大きくなっていることにも驚くが、君が立派な女性になっているのにも驚いた」
「王は、あの時のままのお姿ですから、周囲が驚くのも無理はありませんね」
 ふぅ、と息をつくジゼルの瞳が、黙ったままの双子に向けられた。
 も同じようにそちらを見る。
「さ、様、様。お父様にお願いがあるのでしょう?」
「お願い?」
 首を傾げる
 口火を切ったのはだった。
「お父さん、お母さんを助けにいくんでしょう?」
 がそれに続く。
「わたし達、お父さんに付いて行きたいんです」
「……俺、まだ何も言っていないと思ったけど」
 ちらりとジゼルを見やれば、彼女は訳知り顔で微笑んでいる。
「王様が、様を放っておくはずがありませんもの。前回のように、誰にも何も言わずにお出かけになるのは明白。ですから」
「まさか、オジロン王……いや、大臣か、とにかく大臣にも言ったのかい?」
 当然ですと軽く胸を張るジゼル。
「というより、最初から皆分かっておりましたので。明日にも出られるよう、お仲間のモンスターたちにも様がお伝えしていますし」
 は苦笑した。
「参ったな……」
「お父さん、お願いだから僕たちも」
「お願いします!」
 双子の、あまりに必死な表情に、は否を言うことができなかった。
 石化していた自分を助けてくれたのは彼らだし、少しサンチョに聞いた所では、既に年単位で旅をしていたそうだし。
 現状の情報に通じているのは自分ではなく、間違いなく彼らでもあったし。
 危険を計算に入れた上で、は双子の提案を呑んだ。
 思えば、自分も幼い頃は父パパスに連れられて、あちこち移動していた。
 年齢を理由に、彼らの切なる願いを切り捨てることなど、最初からにはできなかったのかも知れない。
「分かったよ。――お助け願えますか、勇者様と賢者様?」
 双子は互いに顔を見合わせ、満面の笑みを浮かべて頷いた。



2009・5・29