残された者たち



 風が、凪ぐ。
 たとえ世界がどんなに乱れようとも、人が苦しんでいようとも。
 構いなしに、大気は流れて通り過ぎていく。
 整えられ、花咲き乱れた庭園を部屋から眺め、少女はその金糸の髪を風に遊ばせていた。
 庭園には自分たちの教育係のジゼルの姿があり、大臣オジロンと話をしていた。
 また、難しい話をしているのだろう。
 窓から離れようと体を捻る。同時に扉が開いた。
 開いた先には、少女と同じ金色の髪の少年。
、お祈りのじかんだって」
「うん、じゃあいっしょに行こ、
 言って、は先を行く双子の兄の後ろについて歩き出した。


 城塞都市グランバニア。
 豪華さよりも秩序と実利を重んじたその国は、乱れ行く世界の中に在ってなお、それまでと変わらぬ平穏の中にあった。
 ――少なくとも外皮は。
 グランバニアの王と王妃が消息を絶って、5年の月日が流れていた。
 前王パパスの嫡男が王位を継承し、それと同時に双子の世継ぎが生まれ、祝賀に沸いていたその最中に始まった悪夢。
 それは今も続いている。
 の消息も、その妻の消息も依然として掴めない。
 かといって、王がいなくなった国家は荒れる。
 幾らグランバニアが山岳に護られた城砦国家だとしても、王が不在では、いざ外敵から攻撃を喰らった際に立ち行かなくなる。
 そのため――特に内政不安に陥らぬよう重鎮が考えた結果――に王位を渡して引退しようとしていたパパスの弟オジロンが、王の代理として政治を行うことになった。
 直ぐに見つかるだろうという甘い認識は、あっさり砕け散った。


 お祈りの時間が嫌い。
 性格も方向性も全く違う双子の兄妹が、唯一、意見を一致させる事柄だった。
 残念ながら彼らにとって、祈りは毎日すべき仕事のひとつだったし、駄々をこねれば自分たちの周囲に迷惑がかかることを、双子たちは理解していた。
 だから今日も文句を言わず、お勤めを終える。
 教会から出て双子は、母親代わりのジゼルに誘われ、空中庭園でお茶をすることにした。
 庭の端にある小さな休憩所が、いつもお茶をする場所だった。
 ジゼルが運んできたクッキーとお茶に、が満面の笑みを浮かべた。
「いただきまーす!」
 クッキーを一つつかんで、ぱくりと口に放り込む
 ジゼルは小さく「お行儀」と言いつけた。
「今はぼく、『王子のおしごと中』じゃないよ」
「……まあ、仕方ありませんね。楽になさってください、様も」
「はい。じゃあ……いただきます!」
 ぴしっとしたままでいたは、ジゼルのお許しが出るとすぐにクッキーを掴んで、がそうしたように口に放り込んだ。
 甘い味が口の中に広がって、とても幸せな気分になる。
 嬉しそうな双子の様子を見ながら、ジゼルは紅茶のカップを手に取った。
「今日はとても天気がよろしいですね」
「うん。エジーのべんきょう、たぶんお外だよ」
「この間教えてもらったまほう、やってみることになってます」
「お怪我はなさらないよう、気をつけて下さいね?」
 特に様。
 言われたは、少しだけ眉を寄せた。
 いつもぼくばっかり注意する、という文句があるのだろう。
 男の子だからか、生来のものからか、双子のうちでどちらが突拍子もないことをするかと問われれば、の方であることは間違いなかった。
 の暴走を止める側。
 とはいえ、2人ともまだ幼子。双子揃って悪戯をすることもある。
 元気に育っている証拠だと、オジロンなどは喜ぶぐらいだが。

 紅茶を飲みながら、しばしの談笑をする。
 楽しそうにしている双子を見やりながら、ジゼルは知らず小さく息を吐いていた。
 それに気づいたが、真っ直ぐな瞳で彼女を見る。
 ジゼルは慌てて笑顔を取り繕う。
様? どうか」
「……お父さまとお母さまは、まだ見つからないの?」
「……ええ。オジロン様も手を尽くしておられますが……未だ」
 ですが、とジゼルは微笑む。
「王子と王女が一生懸命に神様にお祈りすれば、早く見つかると思いますよ」
「そんなのでたらめだ」
 硬い声で割り込んできたのは、だった。
「お祈りしたって、お父さんもお母さんも帰ってこない」
「王子」
 諫めるように言うが、は止まらない。
「国のたくさんの人たちが、心から2人が帰ってくるようにってお祈りしてる。それでも帰ってこない。お祈りが足りないはずないじゃないか、みんな毎日、いっしょうけんめいお願いしてるのに」
 憤りさえ見せるに、ジゼルは何も言えなくなる。
 いつもなら彼を治めるも、口を挟まないでいた。
 彼女もまた、と同じことを思っていたからだろう。
 双子に信仰心がないわけでは、決してない。
 ただ、それとこれとは、双子の中では別というだけで。
「神さまに、お父さんとお母さんが無事なようにお祈りするよ。でも、ぼくたちはそれだけじゃだめなんだ」
「わたしたちはこの国の王女と王子だから。早く立派にならなくちゃ……」
 周囲の子供よりも、遥かに突出した思考と心に、ジゼルは自然、舌を巻いた。
 少なからずは、ジゼルが考えるよりもずっと大人びている。
 環境と状況がそうさせたのだろうか。
 王家の一員という責任ある立場を、彼らなりに理解はしているように思えた。
 それだけに、ジゼルはしばしば心を痛める。
 彼らは幼いながらに、現在のこの国――グランバニアが内政不安定であることを、確実に感じ取っているように思う。
 形式上、大臣オジロンが全てを円滑に回しているように見えるこの国も、蓋を開ければ問題が山積していた。
 貴族の中には、両親不在の今のうちにに取り入り、もしも王らが戻ってきた折にはとりなして貰おうという、露骨な者もある。
 万が一王たちが戻って来なくとも、正式な王位継承権はが持っている。
 媚びて、その後に不都合があるこどなどない。
 そういう思考の輩も少なからずあるから、も、他人の善意や悪意に敏感になっている節がある。
 ジゼルは双子の教育係を任されているが、こちらの方が教えてもらうことが多い気さえした。
 それ程、彼らの言葉は時に胸を突く。
 ふぅ、と息を吐き、ジゼルは柔らかく微笑んだ。
様、様、だからといってご無理はなさいませんように」
「「はーい」」
 間延びした声で、緊張が解ける。
 彼らの勉強時間まで、今少し。
 楽しそうにしているを見ながら、ジゼルは思う。
 成長を見守ることができないの代わりに、彼らの成長を目に焼き付けておきたいと――心から。




2009・3・10