悪魔の塔 デモンズタワーと呼ばれる塔。 かつて神に祈りを捧げる場として作られたその場所は、いまや魔物の巣窟と成り果てていた。 極北の地よりも寒々しい風が周囲を遊び、ちらつく雪が肌寒さを倍増させる。 はその塔の一室に閉じられたまま、夫と子供たち、自分を取り巻く人たちのことを考えていた。 ここに連れられ、既に数日。 最初こそなんとか逃げ出そうと苦心してみた。 塔の外壁に足をかけて、なんとか降りられないか。強行突破で真正面から出られないか。 その他たくさんのことを細々考え、全てが徒労に終わった。 外壁に足をかけるほどの取っ掛かりはないし、強行突破しようにも、魔力を封じられている上に武器さえもない。 八方塞りとはこのことだった。 「…………それにしても、よく殺されないでいるよね」 呟き、今更ながらなぜ自分が浚われたのか、疑問が浮く。 さらわれて以降、は外界から隔離された状態だった。 今いる部屋は、元々神に仕える者たちが使っていたものらしく、小ぶりなベッドや洗面などは備え付けられている。 魔物によって食事も運ばれてくる。きちんと『人間用』。飢え死にさせる気はないようだ。 奴隷の頃を思えば、ベッドが硬かろうがあるだけで幸いと言える。 こうして独りでいると、いかに自分がに守られているかを痛感してしまう。 自分の身を自分で守る。頼る人がいない。そう考えるだけで、自然に、全てに対して緊張している。 の全神経は鋭さを増していた。妙に戦い慣れた自分が片隅にいて、危険回避方法を、今の自分に教えているみたいだった。 「おい女」 遠慮もなにもなく開け放たれ、入ってきたのはミニデーモン。 得意げに大きな銀のフォークをに突きつけ、 「ジャミ様がお呼びだ!」 声を張った。 は案内人を睨みつけるが、否などは言わせてもらえない。 結局、腹立たしく思いながらも後についていった。 馬だ。 は彼――生物的に雄のようだし――を見た瞬間そう思った。 本来四足歩行であるはずの彼は、王座と見まごうばかりに豪華な椅子に腰を下ろしている。 その様はいやに堂々としている。いっそ嫌味なほどに。 暴君。 そんな雰囲気を匂わせている。 「………実はお前をどうするか、頭を悩ませている」 悩ませるほどの頭がおありか。 「悩むぐらいなら、連れてこないで欲しかった」 「フン。口の減らん女だ。まあ……さすがグランバニアの王妃だとでも言っておこうか」 ジャミは荒く鼻息を鳴らし、をしげしげと眺める。 視線が妙にねっとりしていて気色が悪い。 「見たところ普通の女でしかない。殺してしまえば、お前が子を成すことはない。子孫が生まれなければ、なんら脅威にもならん」 はジャミの言葉を理解しようと努めていた。 殺してしまえば。子孫が生まれなければ。 ということは、彼は、に子供ができることを怖れている。 の子であることが重要なのか、それともの子供であることが重要なのかは判らない。 むしろ単純に、『子供』そのものが重要なのかも知れないが。 そしてその子供は、ジャミ――魔物にとって脅威にあたる存在になるらしい。 魔物にも預言者がいるのだろうか。 残念ながら、すでには子を成した。子供たちが彼らの脅威になるかと思うと、自然と口端があがった。 「殺してしまうべきだ。だがゲマ様がお前を生かしておけと伝えてきた以上は、おれはそれに従わねばならない。様子を見ろとの仰せだからな」 「ゲマ……」 の父、パパスを殺した魔物のことだとすぐに気づく。 ジャミとゴンズ、そしてゲマ。 この三匹の名前はの口にのぼる時、彼らしからぬ憎悪に満ちていた。 当然だ。大事な肉親を奪っていったのだから。 生きていたら、義理の父になったであろうパパス。 当時関わりがなかったとはいえ、彼を屠ったうちの一匹が目の前にいるこの状況。を苛立たせるものに違いはない。 王気取りで椅子に座るジャミに、苦痛を与えてやりたい。 だが武器も魔法も失っている今は、まさしく手も足も出ない状態だ。苛立ちが募る。 ――の宿敵が目の前にいるのに、なにも出来ないなんて。 の苛立ちなど知らず、ジャミは面倒くさそうに大きな頭部を振った。 「お前に特別な力があるなど信じられん。確かに人間の割には匂いがしない……食いやすそうだが」 「ああそう? それはどうも」 「……まあいい。殺そうが殺すまいが、本来の目的は半分果たされた。残る半分もじきに果たされるだろう」 は怪訝な顔でジャミの薄ら笑いを見た。 目的のひとつは、に子供を産ませないことだろうと思う。 それではもうひとつは? 「を……ここへおびき出そうというの?」 「その通りだ。そしてこのおれがグランバニアの王になり替わってやるのさ」 「……っ今すぐ私を帰しなさい!」 「お前は頭のいい女だ。叫んでも無駄だということは分かっているだろう? ……お前はグランバニアの王妃だ。つまりなり替わったおれの妻になる。せいぜい従順にしているがいい」 不興を買わないようになと笑うジャミ。こんな馬の妻になりたいと思うやつがいたらお目にかかりたいものだ。 当然は嫌悪感も露わに、ジャミから距離をとる。 そこへキメラが慌て飛んできた。 「ジャミ様! グランバニアの王が塔内へ侵入してきました!」 「フン、そうか。……嬉しいだろう、お前の夫が助けにきてくれたぞ。なあに心配するな。奴が死んでもおれが一緒にいてやろう!」 「黙れ!」 怒りのままに吠え、は階下にいるであろうの元へ駆けて行こうとした。 しかしキメラが素早く階段への道をさえぎる。同時にの足元を灼熱の炎がさらった。 ジャミの傍近くまで後退するはめになる。 もう一度、と足を動かそうとして――できなかった。 ジャミの魔力が、の体を地面に縫いとめていた。 「っ……!」 「今しばらくここにいろ。そのうち向こうから出向いてくる」 は口唇を噛み、階下で戦っているであろうや仲間たちのことを思った。 来て欲しい。けれど来て欲しくない。 彼がジャミに倒されるとは思っていないが――嫌な予感がした。 ややあって、走りこんできた夫と仲間たちの姿を見た途端、は涙腺を潤ませた。 「……!」 「!!」 随分と久しぶりに彼を見たような気がする。 指先だけでもかけられればと思うけれど、ジャミの魔力に絡めとられていて、足の裏に根が生えているかの如く身動きが取れない。 この馬野郎と罵りたくなった。 の表情を見つめるの面には、怒りが浮いて見て取れる。 「彼女を放せ」 静かな、けれど憤りのこもった口調。 ジャミは鼻先でせせら笑う。 「そんなことをすると思うのか? 返して欲しくば男らしく力尽くでどうだ」 「…………、待ってろ」 の、剣を持つ手に力が込められた。 2009・1・27 |