立ち去る背中 ジゼルは、クローゼットの中でがたがたと震えていた。 両手にしっかりと抱えている双子は、事情を知ってか知らずか、こそりとも物音を立てない。 外部から零れ聞こえてくる恐ろしい音に耳を澄まし、ジゼルは何度も何度も胸の内で祈りを捧げていた。 何故、魔物がこのような場所に入り込んできたのだろう。 ああ神様、様をお救い下さい。 わたしたちに訪れた幸福のひとつを、どうぞ奪わないで下さい。 幾度となく祈っているうちに、窓硝子の割れる、けたたましい音があった。 北だ、北だと言いながら、げらげら笑う声が遠ざかる。 隠れている人間を殺せと息巻く声が近づく。 直後、クローゼットが揺れた。 「――!」 恐怖で咽喉が引き攣り、悲鳴さえ発せない。 今にも扉が壊され、魔物が赤子と自分を引き裂くに違いない。 浅い息を繰り返しながら、ジゼルはその時を待っていた。 けれど、それ以上のなにかはやってこなかった。 それどころか、外部の音はぴたりと止んでいた。 なんの物音もしない――否、外から風が吹き込み、窓掛けを揺らしているような、微かな音だけはあったが。 「………、さま」 ほんの小さな期待を込め、呼びかける。 当然のように返答はなかった。 冷や汗で全身が冷え切っている。 恐怖で強張った身体は、容易には動いてくれなかった。 まだ十代の、年若い娘には過分な恐怖。 震えることしかできない自分に嫌気を覚えながら、本能には逆らえなかった。 彼女は、扉を開き、表の状態を見ることができないでいた。 は寝室の惨状を見て、言葉を失っていた。 戴冠式を終えた後に来た時とは、まるで違っていたからだ。 なにかが壁に衝突したらしく、岩壁がぼろぼろになっていた。 柔らかな絨毯の上には、はっきりと分かる血痕があちらこちらに飛び散っている。 と子供達が眠っていたベッドは、炎によるものなのか、焦げ目がついている。 椅子は足が折れていた。 惨劇の、跡。 に遅れてやって来たプックルとピエールは、やはり部屋を見て愕然としたようだった。 「……殿、これは、もしや」 「ピエール。悪いけど、オジロン様やサンチョを起こして来てくれないか。――急いで」 ピエールは頷き、プックルを伴って、誰も彼もが眠っているはずの大広間へと急いだ。 残されたは、この部屋の中でただひとつ、なんら変化の起こっていないクローゼットの前に立つ。 祈りを込めて戸に手をかけると、細かな光が飛び散った。 「……今の、は……?」 光は、空気に溶けて消えてしまう。 途端に、引いてもいない戸が、勝手に口を開けた。 中には半ば呆然とした様子のジゼル。 そして、静かに眠っている双子。 「ジゼル……」 名を呼ぶと、彼女は掠れた声で、 「王妃さまが……わたしたちをお隠しに……それで、物音が……硝子が割れて………」 訥々と呟く。 は拳を握り、口唇を噛んだ。 叫び、暴れたい衝動に駆られる。 己の不甲斐なさで、自分を屠れそうな気さえした。 ピエールたちに呼ばれてやって来たオジロンとサンチョは真っ青になりながら、静かに瞳を瞑っている双子を1人ずつ抱きかかえた。 ジゼルはの手によって助け出されるが、そのまま床の上にへたり込んでしまった。 ぼたぼたと涙を溢しながら、お許し下さいと何度も告げる。 「王妃様を護らねばならなかったのに……わたし、恐ろしくて……!」 は首を振る。 もしジゼルが飛び出していたら、双子の命もなかったはずだ。 「どこへ行ったか、心当たりは」 「……北と、言っていました」 「北」 「ええい、どうなっておる! 何故このような……大臣はどこへいった! すぐに会議を開いて対策を練らねば!」 オジロンが苛々とわめけば、双子が揃って泣き声を上げ出す。 2人であやしてやれども、泣き止む様子はない。 「おおよしよし。泣き止まれませ! と、とにかく王妃様をお助けしなければ――坊ちゃん?」 サンチョが顔を上げた時、そこにの姿はなかった。 「坊……ちゃん……?」 「王!? 王、どこへ行きなされた!」 「……王は」 ジゼルが、細かく震える指で、戸口を指す。 「……王は、出てゆかれました」 己の手で大切なものを護るために、出てゆかれました。 告げるジゼルの瞳には、なおも涙が浮いている。 泣き続ける赤子は、これから先に起こることを知っているかのように、声が枯れんばかりに泣き続けていた。 「殿、よろしいのか」 子供たちのことを言外に言われ、はややあって、頷いた。 ――大丈夫だ。すぐにを連れて戻るのだから。 そうしては、仲間以外の誰にも告げることなく、グランバニアを後にした。 2008・12・9 |