反転する祝福




 その日、グランバニアは2つの祝辞を祝う者たちで溢れていた。
 ひとつは、正当な後継者たるが、王として即位したこと。
 もうひとつは、そのの妻であるが、子供を出産したこと。
 子は双子。王子と王女。
 長く祝い事のなかったこの国の民たちは、夜を徹して騒ぎ立てるつもりのようだった。
 店を営む者たちは、店の外に長テーブルを並べ、次々と料理を運んで出した。
 誰も彼もが無礼講だと叫び、酒や馳走を振舞う。
 国からの支給金も手伝って、誰も出し惜しみをしない。
 グランバニアいちの宿屋の息子として育った少年ピピンもまた、今日の日を喜ばしく思っていた。
「でも僕、戴冠式を見たかったなあ」
 忙しなく人々の世話を焼いている母親を手伝いながら呟くと、その母はからからと笑った。
「馬鹿をお言いでないよ。そりゃあ、オジロン王……オジロン様はお人がいいからね、民百姓でも戴冠式をお見せ下さるだろうさ。けどねえピピン、あたしらが揃って詰めかけてごらんな」
「……広間がまんぱいになっちゃうね」
「折角の王の晴れ舞台が台無しだろう? 様も気さくな方のようだし、そのうちお顔を見せてくれるさ」
「それにしても……今日は知らない人がたくさんいるね」
 ピピンは次から次に運ばれてくる料理を皿に盛り付けながら、あちこちで酒を振舞っている――主に女性を見た。
 見たことのない人ばかりだった。
 今日は遠方からの旅人も久しぶりに多いし、当然の話かも知れなかったが。
 ピピンの母親は、ああ、と頷く。
「新しく入った侍女さんたちだろ。ジゼルがそんなことを言っていたけど」
「ジゼル姉ちゃん、様のお傍つきなんだろ? いいなあ」
 近所に住んでいるジゼルが侍女になれるのなら、自分も兵士見習いとして王宮仕えできていいはずだと頬を膨らませる。
「さあ、仕事仕事! 大飯ぐらいどもが騒ぎ出すからね!」
 母親は微塵も疲れていないかのように、せっせせっせと給仕をしている。
 ピピンは少しだけ疲れていた。
 だが、兵士達と一緒に上から降りてきたの仲間モンスターの姿を見止めると、少年の顔はパッと輝いた。
 の仲間たちとピピンは、よくよく一緒に遊んでいた。
 最初は恐ろしかったが、彼らは総じて優しかったし、面白い。
 スライムナイトのピエールには、剣術を習ったりもする。
 ピピンは大人になったら兵士になって、と一緒に旅をしたいと思っていた。
 もう王様と王妃様になってしまったから、旅なんてしないかも知れないけれど。
「母さん、僕様のお供たちのところへ行って来る!」
 後ろで母親の咎めの声が上がったが、ピピンは軽く舌を出して駆けて行った。



 血相を変えて飛んで来たを見て、はなんだか嬉しくなり、やんわりと微笑んだ。
「お帰りなさい。戴冠式は無事に……?」
「ああ、済んだよ。側についていられなくてごめん……」
「ううん。……あれ?」
 よく見ると、は正装のままだ。
 式が終わってすぐにこちらに来たことが窺える。
 の言わんとしたことが分かったのか、彼は失笑した。
「式が終わってすぐだから……。、ありがとう。ご苦労様」
 お礼と、そしてねぎらいの言葉と共に、キスが降ってくる。
 はそれを受け入れながら、出産で疲れきった顔をしていなければいと思った。
 彼女の両脇には、安心した様子で眠っている子供がひとりずつ。
 まだ、名前は決めていない。
「ねえ。名前だけど……女の子はって名前にしようと思って。――駄目?」
「まさか! か。いい名前だね」
「でね、男の子はに付けて欲しいなって」
 彼は頷くと、暫しの間、顎に下に手をやりものを考えていた。
「――にしよう」
「強そうな名前だね」
「実は昔、ヘンリーと伝説の勇者についてあれこれ話してた時に、勝手に勇者につけていた名前なんだ」
「そんなことしてたんだ」
 くすくす笑うを見て、も柔らかく微笑む。
「決まりだな。。――。俺たち、いい親になろう」
「そうだね。愛情たっぷり注いで、幸せな子にしたい」
 ひどく嬉しそうに言う
 は軽く咳払いをし、
「夫にも、愛情は注いで欲しいんだけどな?」
 ちらりと彼女を見る。
 は一瞬目を瞬き、分かっているとばかりに彼を手招き、口付けた。
 産後の疲れで、自分からは余り身動きが取れないのが辛かった。



 昼間から続いているらんちき騒ぎ――つまり大宴会は、山間から夕暮れの橙色が消え、星が瞬き出しても、まだ続いていた。
 常時であれば、「これだから男は仕方がないわね」と怒り出す女たちでさえ、男に混じって騒ぎ立てている。
 は城の大広間で、オジロンと共に賓客たちの相手をしていた。
 と子供達のことが気がかりで、自分では飲む気になれないものの、それでも勧められれば、ほんのひとくち、酒に手を付ける。
 宴会場と化している広間からは、たちがいる西棟は見えない。
 仲間たちは住民たちと一緒になって騒いでいるというし。
「……ジゼルが側にいるっていうけど、大丈夫だろうか」
 ほんの微か、訳の分からない不安に駆られる。
 ――少し早く切り上げて、彼女の様子を見に行こう。
 思う横から、は完全に酔っ払って泣き上戸と化しているサンチョに抱きつかれていた。



 瞼の裏に閃光が走る。
 何事かと目を開き、瞬間的に身体を起こしたは、室内に異変が見当たらないことに息を吐いた。
 丁度部屋に入って来たジゼルが、驚いた様子でこちらを見ただけだ。
様、どうかなさったんですか?」
「……ううん、なんでも」
 何事もないはずだ。子供は無事に生んだし、は王になった。
 今日は、幸せなことだけで終わる。
 けれども、なにかがおかしい。旅人としての本能――培った勘が、訴えかけていた。
 肌に突き刺さるような、ぴりぴりした気配。
 祝いの雰囲気に包まれたグランバニアには、全くそぐわないそれが、こちらに近づいてきている。
 は未だ本調子ではない身体をベッドから下ろすと、部屋の隅ににしまわれていた、己の剣――白光石の剣を取り出した。
様!? 一体なにを」
「…………ジゼル、お願いがあるの。子供達を連れて、隠れて」
「い、いきなりなにを仰るんですか? 隠れてって、誰から隠れるんです?」
 無言のまま、は室内の燭台の炎を総て消した。
 窓からの明かりだけが、部屋の中を照らす。
 すらり、鞘から剣を引き抜く。刀身は月明かりを浴びて、より一層白く見えた。
 は眠ったままの赤子を見つめ、やんわりと微笑む。
 その柔らかな2人の頬にそっと口付けを落とすと、剣を握りなおし、窓の外を睨みつけた。
「ジゼル、お願いだから」
「は……はいっ」
 剣幕に押されてか、ジゼルは双子を抱える。
 彼女は部屋の端――クローゼットの中に身を潜めた。
 は軽く剣を振り、
「      」
 何事かを呟く。
 自分では認識できない言語だった。
 当たり前のように剣から白い光が散り、ジゼルと双子が隠れたクローゼットに吸い込まれる。
 普段なら、自分がなにをしているのか分からない上での行動を恐れただろう。
 だが、今はその感情を抱く暇はなかった。
 扉が開け放たれ、入って来たのは――歪な笑顔を浮かべる、3人の女たちだった。
「……こんな夜更けに、何用?」
 剣先を向け、訊ねる。
 女たちは一層笑みを深くし――突然、身体をくっと曲げたかと思えば、次の瞬間には魔物の姿へと変貌していた。
 ミニデーモン2体に、アームライオン1体。
 さして大きくもない部屋だ。アームライオンの獣の身体があるだけで、いやに狭苦しく感じる。
「人の姿に化けるなんて、随分と手の込んだことをするね」
 アームライオンは喘息でも起こしたかのような様子で笑いながら、に向かって鋭い爪を繰り出した。
 一撃はなんとか避けたものの、更に受けた攻撃は流しきれず、寝巻きの裾がごっそり引き裂かれた。
 ミニデーモン2体が飛び掛ってきて、一体を剣で斬りつけながら、もう一体にメラミを喰らわせる。
 メラミの直撃を受けた1体は、壁にぶつかった。ばらばらと小さな石が剥がれて落ちてくる。
 一体を始末したかとおもえば、新手が次々とどこからかやって来て、の行動範囲を狭めていく。
「あんたたち、一体っ……なんなの!」
 吼えるように声を発す。アームライオンが、にやりと顔を歪ませる。
 敵は思ったよりずっと俊敏な動きで、の腕を捕らえようとした。
「こ、のっ……!!」
 下段から跳ね上げるように、剣を振る。
 多少の抵抗を感じながら、得物はアームライオンの腕の大きく切り裂く。
 痛みに呻き、怒りを露わに咽喉の奥で唸りながらも、敵の攻撃は緩まない。
 絨毯に獣の血がぼたぼたと落ちた。
 ミニデーモンの魔法が、の頬をかすめる。
 ダックカイトが飛び込んできた。なんとか避けながら、力を込めて2つに斬り捨てる。 
 産後の身体だ。もとより万全ではない。
 普段なら、もう少し早く気付いたかも知れないのに。
 正面だけに気を取られていた彼女は、窓に近づいてきた影に全く気付けなかった。
 唐突すぎる硝子の砕ける音に、ほんの一瞬、身体が止まった。
 その小さな停止の時間は見逃されなかった。
 アームライオンの腕が、の腹部を強打する。
 痛みに息を止め、よろめいた彼女の手から剣が抜け落ちる。
 次の瞬間には窓の外に躍り出ていた。
 硝子を割ったホークマン2体が、を掴んで闇夜の空を飛んでいたのだった。



2008・10・24